新潟県での選挙にまつわる出来事:
自民党新潟県支部は泉田裕彦議員を除名するとか。この度の新潟県政のドントやら言われている県会議員と泉田裕彦議員との間の揉め事(カタカナ語にすれば「トラブル」だろうか?)を連日のように報道されては、呆れもしないし、悲しくも感じないし、怒る気もしないのだ。と言うのは、我が国に於ける政治ではなくて地方に於ける顔役が選挙ともなれば、あのように候補者まで支配している有様というか醜態を、あれほどまでに「これでもか」と見せつけられては、何とも言いようがないのだ。
この状態を見せつけられて思い出したことがあった。それは、これまでに何度か引用したことだ。神奈川県下の某市の選挙管理委員長だった中学校以来の旧友(級友)に「我々の仲間で県下の政界に隠然たる影響力を持つXX君は、何故彼自身で国会に打って出ないのか」と尋ねた時の委員長の答えである。「お前も解っていないな。彼奴は自分から出ていくほどのアホじゃないのだ」だった。「なるほど。政治と選挙とはそういうことか」と素直に納得した。
新潟の一件が、この思い出話と同じ範疇に入るのかどうかまでは解らない。地方で市会議員から県会議員と上昇(なのだろうか)して行ったのだろう、自称か他称なのか知る由もない「ドン」の「当選したかったら2~3千万を惜しんではならない」と勧告した裏だっただろう話を、比例で救われた泉田裕彦議員が暴露したという事案のようだ。選挙、それも特に地方での裏の出来事であるべきことを表に浮かばせてしまったようだ。
泉田裕彦議員は敢えてそんな実態を公開し、星野県会議員が真っ向から捏造だと否定してかかっているようだ。その何とも言いようがない有様をこれでもかと言わんばかりに報道されても、最早驚く気にもならない情けない次元の出来事であると思った。これまでにそういうことではないのかと思わせられてきた「地方に於ける選挙の実態」を、あらためて認識させて貰えたのである。
私は地方の方が志を立て市会議員に当選し、そこで「地方に於ける政治の実態」を学び、次の段階で県会議員と一歩上か横に進んで見識を広め経験を積み。遂には国会の赤絨毯という立身出世があるようだと、朧気ながら感じてきていた。それはそれで個人の意志で進出されたのだから結構なのだが、私にはその間に学習したことは仲間内と議場での駆け引きと後援してくれているだろう人たちを組織化することのように思えてならないのだ。換言すれば「非常に限定された世界の中での生き残り術」を習得しただけで真の政治だとは思えないきがするのだ。
報道によれば、地方の議員さんたちも公費で世界各国の事情を視察に出掛けておられるようだが、その成果についてのテレビ局の報道は何時でも極めて辛辣で「税金の無駄遣い」と決めつけられている。即ち、地方の都市であるとか県という限定された範囲の中での政治というか駆け引きの術を身につけられて、究極的にはそれだけの見識を引っ提げて国会という大海に乗り出してきたのではないのかという気がするのだ。広い世界を見てこられた訳ではなく「井の中の蛙」となっただけではと思うのは僻目か。
星野県会のドンは泉田裕彦議員に「大海に漕ぎ出す為には投資を惜しむな」と教え諭したのだろう。私のように間もなく89歳になろうとする人生で、未だ嘗て一度も居住する地区の議員さんから接触された経験がない者には、想像も出来ないような次元の出来事であるとしか思えないのだ。当事者のドンは音声まで暴露されても、色々と詭弁の如き事を言って責任を回避しようとする姿勢には、情けなさの前に哀れさえ感じさせてくれるのだ。言ってみれば「こういう環境から国会に議員が送り込まれるのでは、安心して任せて良いものやら」という状態だ。
マスコミが星野ドン県会議員と泉田裕彦議員の何れをも叩かないのは、彼らの常套手段だとは思う。また、自民党内からも野党からも何ら非難か批判めいた声が聞こえてこないのは、まさか彼らは身につまされているから何も言えないのではあるまい。誰か一人くらい「あれは新潟県だけの特殊な事例であり、我々は2千万も何も撒くことなしに当選してきた」と胸を張って言って欲しいと思う。そうでなければ「選挙とはこういうものだった。反省している。是非改革しよう」と言ったらどうか。
自民党新潟県支部は泉田裕彦議員を除名するとか。この度の新潟県政のドントやら言われている県会議員と泉田裕彦議員との間の揉め事(カタカナ語にすれば「トラブル」だろうか?)を連日のように報道されては、呆れもしないし、悲しくも感じないし、怒る気もしないのだ。と言うのは、我が国に於ける政治ではなくて地方に於ける顔役が選挙ともなれば、あのように候補者まで支配している有様というか醜態を、あれほどまでに「これでもか」と見せつけられては、何とも言いようがないのだ。
この状態を見せつけられて思い出したことがあった。それは、これまでに何度か引用したことだ。神奈川県下の某市の選挙管理委員長だった中学校以来の旧友(級友)に「我々の仲間で県下の政界に隠然たる影響力を持つXX君は、何故彼自身で国会に打って出ないのか」と尋ねた時の委員長の答えである。「お前も解っていないな。彼奴は自分から出ていくほどのアホじゃないのだ」だった。「なるほど。政治と選挙とはそういうことか」と素直に納得した。
新潟の一件が、この思い出話と同じ範疇に入るのかどうかまでは解らない。地方で市会議員から県会議員と上昇(なのだろうか)して行ったのだろう、自称か他称なのか知る由もない「ドン」の「当選したかったら2~3千万を惜しんではならない」と勧告した裏だっただろう話を、比例で救われた泉田裕彦議員が暴露したという事案のようだ。選挙、それも特に地方での裏の出来事であるべきことを表に浮かばせてしまったようだ。
泉田裕彦議員は敢えてそんな実態を公開し、星野県会議員が真っ向から捏造だと否定してかかっているようだ。その何とも言いようがない有様をこれでもかと言わんばかりに報道されても、最早驚く気にもならない情けない次元の出来事であると思った。これまでにそういうことではないのかと思わせられてきた「地方に於ける選挙の実態」を、あらためて認識させて貰えたのである。
私は地方の方が志を立て市会議員に当選し、そこで「地方に於ける政治の実態」を学び、次の段階で県会議員と一歩上か横に進んで見識を広め経験を積み。遂には国会の赤絨毯という立身出世があるようだと、朧気ながら感じてきていた。それはそれで個人の意志で進出されたのだから結構なのだが、私にはその間に学習したことは仲間内と議場での駆け引きと後援してくれているだろう人たちを組織化することのように思えてならないのだ。換言すれば「非常に限定された世界の中での生き残り術」を習得しただけで真の政治だとは思えないきがするのだ。
報道によれば、地方の議員さんたちも公費で世界各国の事情を視察に出掛けておられるようだが、その成果についてのテレビ局の報道は何時でも極めて辛辣で「税金の無駄遣い」と決めつけられている。即ち、地方の都市であるとか県という限定された範囲の中での政治というか駆け引きの術を身につけられて、究極的にはそれだけの見識を引っ提げて国会という大海に乗り出してきたのではないのかという気がするのだ。広い世界を見てこられた訳ではなく「井の中の蛙」となっただけではと思うのは僻目か。
星野県会のドンは泉田裕彦議員に「大海に漕ぎ出す為には投資を惜しむな」と教え諭したのだろう。私のように間もなく89歳になろうとする人生で、未だ嘗て一度も居住する地区の議員さんから接触された経験がない者には、想像も出来ないような次元の出来事であるとしか思えないのだ。当事者のドンは音声まで暴露されても、色々と詭弁の如き事を言って責任を回避しようとする姿勢には、情けなさの前に哀れさえ感じさせてくれるのだ。言ってみれば「こういう環境から国会に議員が送り込まれるのでは、安心して任せて良いものやら」という状態だ。
マスコミが星野ドン県会議員と泉田裕彦議員の何れをも叩かないのは、彼らの常套手段だとは思う。また、自民党内からも野党からも何ら非難か批判めいた声が聞こえてこないのは、まさか彼らは身につまされているから何も言えないのではあるまい。誰か一人くらい「あれは新潟県だけの特殊な事例であり、我々は2千万も何も撒くことなしに当選してきた」と胸を張って言って欲しいと思う。そうでなければ「選挙とはこういうものだった。反省している。是非改革しよう」と言ったらどうか。