新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

小学校6年生の女児に午後10時になって縄跳び

2021-12-15 09:07:28 | コラム
我が国の運動競技の練習の在り方に思う:

小学生のバドミントンの指導者:
つい先頃のことだった。何気なく合わせたBSだったと思うチャンネルで、小学校6年生の女児のバドミントンの猛練習が放映されていた。この女児の目標は同年齢の全国大会での優勝であり、それを厳しく指導する監督の指導法の特集のようだった。私はその練習法には、ある意味で驚愕したが、偽らざる感想は「矢張り、我が国には未だにこういう猛練習を信奉している指導者がいたのか」だった。お断りしておくが、私はこのような指導法をどう評価するかについては意見を留保しておく。

その内容はと言えば、かなり高齢と見たコーチの方が絶え間なくシャトル(というのだったか)を女児に向かって打ち、それを指示された「アウト」とならない方向に打ち返してくのだった。これだけならば驚くには当たらないが、その数は600に達するまで続くのだ。私には600が小学校6年生の児童に過剰負担なのかどうかを判断する基準の持ち合わせはないが、この年齢の女児に対してはやり過ぎではないのかと思わずにはいられなかった。言ってみれば「画に描いたような昔ながらの猛練習」だった。

だが、午後6時からだったかに始まった練習はここで終わりではなかった。一緒に練習していた仲間の女児たちと何と5 km走に出ていったのだった。私は高校の頃でも長距離走が嫌いだったのだが、その練習を600球打った後の子供にやらせていたのは「どうかな」と思わずにはいられなかった。女児たちは「ハー、ハー」言って帰って来たので、そこで終わりかと思えば、何と未だ先があったのだった。それは縄跳びの二重跳びを300回という「余りにも苛酷では」と思わせる訓練だった。終了が午後10時でそれから夜食となるのだった。

この女児は全国大会の決勝で前回の覇者だったかと予想通りに出会ったのだったが、セットカウント1対2で敗れ去ったのだった。その様子を重症で入院していたコーチが見守っているという、何と言って良いか解らない状況だった。そのコーチは惜しまれつつも亡くなるのだった。私はいうべき言葉を知らなかったのだが、非常に偉い指導者だったのだと言うべきかとも考えた。

男子高校のバスケットボール:
中部大学一高は高校総体の優勝校で、次なる全国大会の優勝を目指して練習に励んでいる場面が放映された。この高校の監督さんはただひたすらコート内を全部あるいは部分的にダッシュさせる訓練を延々と課していた。この走力を鍛える練習には一理も二理もあるとは私も承知している。勿論、そういう基礎体力を鍛えてあったからこそ、高校総体の覇者となり得たのだろう。生徒たちは「全国には八村の出身校等々の強豪校が多々あるので、未だ未だ鍛えなければならないことが沢山ある」と言っていた。

恐らく、この練習だけではなく、基礎というか基本技も十分に練習しておくのだろうが、走力を鍛え上げた先に全国優勝があったということは、大いに意義があると思って見ていた。それは、バスケットボールは野球とは異なって40分間を走りきる体力が備わっていないことには、勝負にならない競技である。その点はサッカー、ラグビー、フットボールと同様である。野球では故金田正一や張本勲などが何かといえば「走れ、走れ」と強調するが、野球は試合開始から終わりまで走り続ける競技ではないので、自ずと意味が違うと思う。でも、必要な訓練法ではある。

女子高校のバスケットボール:
別の機会に、あの去りしオリンピックで大活躍をしてバスケットボールファンを興奮させて貰えたあの女子代表の主将だった高田真希さんがNHKのBSに出て、彼女の母校である桜花学園高校の練習法を語っていたのを聞いた。桜花学園高校ではただただ基本技の練習をこれでもかと続けるのだそうだ。私はこの練習法も理に叶っていると思って聞いた。尤も、そうする為には基礎体力が出来上がっている必要があるのだが。それだからこそ、桜花学園高校は高校総体も全国大会もほぼ独占的に優勝し続けているのだろう。「なるほど。そうだったか」と納得だった。

矢張り手前味噌も一言言わせて貰いたい。往年の我が湘南中学・高校の蹴球部では(当時はウエイトトレーニング何ていう斬新な概念も無く、練習中に水を飲むことなど禁じられていた)最も重きを置いた練習は基礎と基本技だった。これほど面白くない練習はないのだが、明けても暮れても球扱いの基本技と桜花学園と同様に1対1、1対2、2対3、5対4のような練習だった。それだからこそ、戦前には基礎練習だけで全国大会で準決勝まで出たし、昭和21年の第1回国体では優勝し、昭和23年の国体では準優勝だったのだ。

橋詰功前監督の日本大学フェニックス:
橋詰監督は立命館大学パンサーズのコーチだった頃に、アメリカの大学フットボールの強豪校、オクラホマステート大学にコーチ留学されて、アメリカ式の近代的というか合理的な練習法を学んできていた。私もそれ以前からアメリカの練習法というか、体幹と身体能力を鍛える練習法のことは聞いていた。そこでは、部員一人ひとりにコーチから「何処を鍛えておくべきか」を伝えられ、各人が自分でトレーニングをして、体を作り上げて全体練習に参加するという、我が国とは大いに趣が異なる鍛え方だった。しかも、全体練習は2~3時間だとなっているとかだ。

この部員たちの自主性と体を作り上げてというか、体力を増進し体幹を鍛え上げて、フットボールに適するようにしておくのがアメリカ式なのだ。橋詰氏はこの方式で短期間にフェニックスを作り上げてアメリカ式の最短の練習時間で、就任3年目に甲子園ボウル出場を成し遂げたのだった。このアメリカ式と上述の小学校6年生の女児の鍛え上げ方には、我が国とアメリカとの文化の違いを私は見出すのだった。