我が国とアメリカ・ヨーロッパの諸国との文化の相違点:
この度の岸田政権の北京オリンピックに対する橋本聖子組織委員長、山下泰裕JOC会長、森和之パラリンピック委員長の3名の派遣の決定は、将に私が永年指摘して来た「我が国とアメリカ・ヨーロッパ諸国との文化の相違点の典型的な現れ」だったと思う。岸田総理は熟慮して適切な時期に発表すると言われてきたが、結果的には単にアメリカのサキ広報官が明確に“diplomatic boycott”と宣言した12月6日から18日も遅れただけだったように思えてならない。
私が指摘し続けてきた「文化の相違」とは「他国との重大な懸案事項について何らかの決定をする際に我が国が採る手法には、往々にして先方の顔を潰さないように好意的且つ慎重に妥協案を検討する」事が根底に流れていると、アメリカ側は見てきていた。その具体的な手法を列記してみれば、
*時間を費やしてでも落とし所を模索して提案し、双方の立場を傷付けないようにする、
*妥協点を探るべく双方の考えの中間点を見出そうとする、
*価格交渉であれば、双方の提案を足して二で割って中間を提示する。
と、このようになると見てきた。このような手法というか考え方は先方の立場を尊重し、尚且つ自社(自国)にも傷が付かないように配慮した奥床しい我が国独得の美風なのだ。だが、二進法的思考体系で如何なる重大な決定でも、いともアッサリと二択で決めてしまうアメリカ側から見れば、往々にして「あれは単なる感情論ではないか。決定が遅いのは間怠っこい」としか解釈されないようなことになってしまう事が多いのは残念だ。
このような文化と思考提携の相違点を基調にして今回の決定を見ると「元首乃至は閣僚級の使節団と選手団を派遣する」という中国に最大限の配慮をするやり方と「外交的ボイコットを宣言した上で人権尊重をも要求する」というアメリカを主体とする出方の中間点を探り当てて、「外交的ボイコットという表現を使わず、上記のお三方の派遣で中間点を採った」となったのだと見えるのだ。岸田総理はこれで中国との間に深刻な軋轢を生じない最善の手を打ったとお考えなのだろうが、私は諸外国は「日本的な落とし所以外の何物でもない」と見るだろうと考えている。
私はオリンピック憲章なるものに関心もないし、トーマス・バッハ氏率いるIOCは今や「IOC利バッハ欲」だけの無用の長物だと思っている。彼らが主催するオリンピックでは選手団や使節団の派遣はIOCに申請するものであり、開催国の政府宛ではないと聞いた気がする。そうであれば、松野官房長官は記者発表ではなくて、IOCとリモートででも会談すべきだったのではなかったのか。何れにせよ、我が国が必ずしも明快ではないかも知れない態度を明確にしたことは、“Better late than never.”と評価させて頂く。