新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

勝負の世界の面白さと恐ろしさ

2022-05-22 12:55:20 | コラム
団体競技と個人種目では話が違う:

ジャイアンツ対タイガース:
先ずは団体競技から取り上げていこう。NPBのジャイアンツは好みではないのでその試合を余り見ないようにしているが、今回だけはビリに沈んでいるタイガースが漸く首位に戻りかけたジャイアンツにどのように抵抗するかに興味と関心があった。そこで、2日続けて甲子園での勝負を見ていた。特に20日(金)の試合は、ジャイアンツが先に2点を取ったので、タイガースに追い付くだけの力量があるか、いや無いだろうと思って見ていた。

だが、9回の裏になって「もしかすると佐藤輝明が出塁して、不安定な大山悠輔がホームランでも打つようなことにでもなれば面白いのだが」とふと考えたのだった。するとどうだろう、二死になってから出てきた佐藤が、解説者が「詰まっていても振り切ったからレフトとショートストップの間に落ちた」という幸運のヒットで出塁した。「空想したようになってきた」と思ったところに出来た大山悠輔が、言わば「起死回生」のホームランを打って試合は延長戦になってしまった。ここまでが面白さだ。

ここから先は何処かの新聞が「ベンチワークの差」と酷評して、タイガースの監督を扱き下ろしていた。だが、私が見るところではタイガースの選手層をジャイアンツと比較した場合の薄さが何度もチャンスをものに出来ずにいる間に11回が終わってしまった。当方はここまででタイガースに勝機はないと見切って寝てしまった。そう言うのも、タイガースの選手層も薄いが延長戦にもなって代打陣を使い果たすと、極言すれば「橋にも棒にもかからないようなタマしか残っていないので、もう一歩の押しが出来ずに勝てる機会を逃していた」のだった。

悪い言い方をすれば「大山君、最後になって楽しませてくれて有り難う」という結末で、翌朝の新聞で延長の12回に4点も取られて負けたと知った。それは、そこまでに岩崎(イワザキと読む)を含めて手薄な投手陣では12回まで持たなかったのであり、決してベンチか矢野監督の責任だけを問うべきではないと思った。十分な補強をしなかった会社側が負うべき責任だと思う。同時に言えることは「団体競技ではテイーム全体の弱点は、ここぞという時に露骨に出てくるものだ」なのだ。再度言うが、選手層が薄すぎるのだ、ジャイアンツに比べて。これは「辛さ」であり「恐ろしさ」でもある

21日にはタイガースが先に2点を取ってジャイアンツが追う展開になった。前夜と正反対(何でマスメディアは「真逆」と言うのかな)の試合になった。即ち、手薄なタイガースが逃げ切れるのかということ。タイガースはMLBから新加入したウイルカーソンとかいう投手が7回までをヒット3本に抑える好投で、9回裏まで何と漕ぎ着けた。そこで、ベンチは前夜に乱調なのかそもそもそう言う投手なのか知らない岩崎を又もや出してきたのだった。

岩崎は昨年のホームラン王・岡本和真には四球は出すは後続にもヒットを打たれるはで、1点を取られてしまった。しかも走者は二・三塁に残ったという一打逆転の形にしてしまった。そこに出てきたのが日本ハムを実質的に追放された嘗ては数億円の年俸を取っていた中田翔。ここでも選手層の厚さを見せてくれたのだった。その中田も四球となったが、流石のジャイアンツもここまで来ると二軍級しか残っておらず、増田某を代打に出したがショートゴロに終わって、目出度くタイガースの逃げ切りとなった。「ヤレヤレ」の結末だった。

この展開で面白かったことがあった。それは9回にはジャイアンツは「無死で走者一・二塁と言う絶好の好機に目下首位打者で、故障から復帰したばかりの吉川尚輝にバントをさせて失敗した辺りだった。原監督は二・三塁にして岡本の一打に期待したのだろうが、私はアメリカ式に吉川に打たせた方が面白いのにと思って見ていた。この時の岩崎は制球が乱れていたが、変化球を低目に投げ続けてバントをさせなかったのだった。あの低目に投げたのは意図的だったのか、制球の乱れかは解らなかったが、あのバント失敗が勝敗を分けてしまったと思う。

あのジャイアンツの敗戦はベンチの作戦の誤りと、選手層の厚さを十分に活かしきれなかった点にあると見ている。この辺りは学生の頃に麻雀でしきりに言っていた「ついているかついていないかは腕次第。要点はつきを腕で消さないこと」の通りで、原監督は折角大逆転のチャンスをタイガースから貰えたにも拘わらず、弱気になって3割5分も打っている吉川にバント強制して「ツキを腕で消してしまったのだ」のだった。言うなれば、団体競技の指導者が判断を誤るとテイーム全体が沈んでしまうと言う難しさだ。

相撲の世界:
これは私が「我が国伝統的な由緒ある興行であって、スポーツニュースで扱うのは誤り」と何度も指摘した「勝敗の行く手を観客も楽しむ娯楽」である。とは言うが、個人種目である為に「力士たち練習量(彼らの用語では「稽古」だが)、力士個人の当日の体調や戦術次第では、勝敗は思いがけない方向に流れてしまうようなのだ。一人ひとりの実力もあるだろうが「個人種目である以上、団体競技とは異なって誰か他人が助けてくれることはない」のである。

団体競技では上述のように90%タイガースの負けが見えていた9回の裏に、さして期待していなかった大山悠輔がホームランを打って追い付いてしまうような展開には中々ならないのだ。私には「バイオリズム」というものが本当に影響するのかどうかなど解らないが、相撲には「まさか」というような番狂わせが起こり得るものらしい。例えば、幕下まで落ちた照ノ富士が「もう彼に勝てる者がいないのでは」と解説者が言うほど強くなったにも拘わらず、今場所では3回も負けているのだ。

NPBのリーグ戦のように何ヶ月も続けば、3回くらい負けても挽回可能だが、15日間に3回も負ければ、容易に取り返せないのが、個人種目の辛いところだと思う。私が言いたいことは「頼りに出来るのは自分だけ。その意味は頼りに出来るだけの訓練を積み重ねておかねば何ともならない、辛い世界であること」なのだ。だから、生存競争が熾烈となって、今場所の貴景勝、正代、御嶽海の三大関のように総崩れになりかねないのだと見ている。

勝負の世界に身を置くのは成功すれば万々歳だろうが、そうとは行かなかった場合には、辛い人生になってしまうと思って見ている。だが、その世界に入っていく人は後を絶たないようだ。とは言ったが、勤め人に世界だって生き残って出世するのは決して容易ならざるものだと思うのだが。