新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

我が国は良き国なのである

2022-05-29 08:33:14 | コラム
低次元の国際化を達成してしまったのではないか:

週刊AWACS氏は今週号で重信房子が刑期満了で出獄したことを批判的に取り上げておられた。私もその辺りから「我が国は良き国であるのは紛れもない事実であるし、余りに善意に満ちた良すぎる国ではないのか」と懸念するときがある。今回はそのようなことを取り上げたい。

重信房子が医療刑務所だったかから出てくるところに支援者が集まり、車まで用意されていたとは。矢張り、我が国は言論・思想・信条等々に限りない自由がある良き国なのだと、寧ろ呆れて眺めていた。反政府勢力なんて、中国だったら刑期満了で釈放するだろうか。その我が国の甘さに付け込む輩が自由に行動している有様を、21世紀の今日に見せられては、言葉は失わなかったが、ただただ嘆いていた。

昨日は学会に出席される法学者の先生がその前にここ百人町に立ち寄って下さったので、何年振りかで懇談の機会を得た。先生は以前にも来ておられて「この街の異常さには言葉もない」と慨嘆されておられた。既に何度かこの街に来ておられた某有名私立大学の教授の一言は「私はこの街の異常さにはもう馴れました。その異常さに馴れてしまった自分が怖いです」だった。これだけで誰もが実際のところをくれるとは思えない。少し詳細に語って見よう。

何故、お二方が言われたことを引用したかと言えば、その表現が「ここ百人町/大久保界隈が如何に低次元の国際化を意図せずして達成してしまったか」の典型的な悪い例であるからだ。「悪貨は良貨を駆逐する」と言うが、ここには私に言わせれば「悪貨」のみが集まってきたのである。「悪貨」で悪ければ、「良貨」を集め損なったのである。

折角の機会だったので、先生とは多くの話題を取り上げて語り合ったが、ここに取り上げたいことは私が先生に下記のように申し上げた「目の前に見える低次元の国際化の実体」である。それは、恐らく私がここに書き記したことだけを読まれた方には簡単に理解して頂けないと危惧する。そう言う訳は「私は34年もここに住んで、静かで鄙びたとでも言いたい新宿区の一角が、無残に異邦人に食い荒らされてきた様子を見てきたから」なのだ。

「この街は愚か、我が国の甘さと私に言わせれば異常に外国人を丁重に扱うことに、彼ら発展途上国の選ばれざる者どもに思うように付け込まれている最悪の例が、遺憾ながらここ百人町/大久保界隈です。曰く、韓国人、中国人、東南アジア諸国で特にイスラム教国の者ども、Moslem、ネパール人等々は何故かやって来て、我が国の外国人に対する優しさや甘さに付け込んでいるのだと見ています。

私は政府が国際化を図って、外国人を招き入れることが良いことのように勘違いしているとしか考えられないのです。よく考えないでも自明なことで、自国で安定した地位と身分を確立して資産を保有している者たちが、機会を求めて我が国にやってくる訳がないのです。ある公認会計士の方は「彼らハラルフードを商っている連中は消費税など払わずに営業しているでしょうし、消費税があるなんて知らないのではないか」と指摘されました。雨後の竹の子の如くに増えた海外向け送金事務所が何を意味するかと言えば、彼ら異邦人たちは利益を挙げて、その資金を自国に送金することを示していることに他なりません。

私はこの街の有様がマスコミも称えたがる「国際化」を低次元で達成した見本であると見ております。岸田政権が発表したように、またまた外国から旅行者を招き入れれば、彼らの中から逃げ出してこの街のようなところに棲息する者が出てくる危険性が生じるのではないでしょうか」だった。

ここまで縷々述べてきたことは、この街に何度も来て見ないことには実感がわかない説明になってしまうだろうと怖れている。某元財界人も2回も来てみて、初めて「貴方が語っていたことは、こういうことだったのかと漸く解った」そうだった。私は「マスメディアがこの地区を『新大久保』などというありもしない地名で呼んでいる限り、誰にもこの低次元の国際化の実態は解って貰えないだろうし、この街の惨状がもしかすると我が国の近い(遠い?)将来の姿の一部分になってしまうのではないかと、本気で懸念している。