新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

近頃一寸気になる事

2022-05-07 08:47:37 | コラム
時事問題も採り上げてみよう:

何で中国の業者に発注:
産経新聞によれば、富山県入善町のウエンテイ・ジャパンが海上の風力発電の風車を導入すべく、中国の明陽智慧能源集団に能力3,000キロワットの風車3基を60億円で発注したと報じていた。私でさえ「何という深い慮りない所業か」と呆れた。中国が今日までに世界の至るところで侵略と言って良いだろう進出を果たしてきた実績を見れば、これが我が国の属国化を企図する布石になりかねないことくらい容易に想像出来たはずではないのか。

産経は元海上幕僚長・藤田幸生氏が「海洋の特性を漏らすことは防衛上由々しきこと。特に沿岸地域は国家機密だと語る」と補足していた。ウエンテイ・ジャパンとやらは、中国の法律では「如何なる企業も業務上知り得た情報を国に報告する義務を課す」と規定されていることを知らないとは言わせたくない。太陽光パネルと言い、この風車と言い、中国に依存せざるを得ない現状は、誠に憂慮すべき事ではないのか。ウエンテイ・ジャパンは脳天気に過ぎる。

街路樹を伐るな:
千代田区では「自転車専用レーンを設ける為に街路樹(銀杏だったか?)を30本伐って拡幅する計画」を発表し、区民が伐採に反対し現場で抗議活動する中で既に2本を伐り倒したと報じられていた。区民が景観を尊重して反対する気持ちも解るが、増える一方の自転車を考える時に、かなり微妙な点がある問題だと思って聞いた。私が問題にしたいのが歩道を我が物顔で疾走する自転車を運転する人たちだが、自動車を運転する人たちにとっては、車道をも危険を顧みずに走行する自転車の「怖さ」を強調している。

もう20年近くも前のことになってしまったが、上海でも北京でも幅広い専用道路(敢えてレーンとは言わない)を埋め尽くして走る自転車の大群を「壮観だ」と思って見た記憶がある。国土が広く後から市街地を設計したからこそ出来た専用道路だと思って見ていた。ところが、江戸の時代の狭くて、しかも曲がりくねった道路しかない東京都区内を、自転車を無限大の如くに増やしては、危険極まりない状況になるのは当然の結末だろう。私はこれまでに歩道で2回自転車に一寸ぶつかられただけで済んでいるが、大袈裟に言えば怪我がなかったのは奇跡的なのかも知れない。

私は行政の怠慢だと敢えて言うし、何らかの自転車を制限する措置を講ずるべきだろう。我が家と山手線と西武新宿線の線路の間の狭い道路の両端に「自転車はここを走るべし」との標識が刷り込まれたが。悲しいかな、その上を走る自転車は未だ数台しか見ていない。狭い歩道の上を走り回る10万円以上もすると聞く電動アシスト付き自転車は増える一方だし、殆どが乳幼児を乗せた女性ばかりだ。専門家はその重量の合計は100kgにも達するので、運転を誤れば走る凶器になりかねないと警告していた。何とかすべきではないのか。

新資本主義:
岸田文雄総理が掲げられた内閣の目玉で悪ければ看板である方針であると思っている。だが、当方不勉強にして、その内容を全くと言って良いほど具体的に把握できていなかった。この件は気になるよりも「何の事かが良く解らない問題」だった。岸田氏が語られることは、以前から言語不明瞭、内容抽象的というか具体性を欠く」と党内でも兎角不評だったとの情報もあったが、総理に就任された後でもその傾向は変わっていなかったと、密かに不安には感じていた。

その総理がUKに出張されて、ロンドンのシテイーで講演され「日本は心配ないから“インベスト・イン・ジャパン」と述べられ、ご自身が掲げられる新しい資本主義を説明されて「日本に投資を」を勧誘されたと報じられた。その新資本主義の内容を総理は下記のように説明されたと、産経新聞が報じていた。これが関西で言う「聞き初め」だったのは、矢張り私の不勉強だったかと反省。そのまま引用すると、官民連携を掲げられ、

1。人への投資、2。科学技術・イノベーションへの投資、3。スタートアップ(新興企業)投資、4。グリーン、デジタルへの投資―を4本柱と位置付けた。人への投資では、賃上げ税制導入のほか、預貯金を資産運用に誘導する仕組みの創設などで「資産所得倍増プラン」を推進すると説明した(以下略)そうだった。思い切って批判めいたことを言えば「総理大臣が言われることだから、具体的に実践する手法は所管の官庁なり民間企業が打ち出すことだろうが、具体的にはどのようにするお積もりでしょうか」と尋ねたくなる。

世間には「アベノミクス」でも具体的な成果が挙がっておらず、黒田日銀総裁が打ち出された2%のインフレすらも実現していない状況にあるのから、新資本主義でどれほど実効が上がるのかと懸念を示す向きもある。私は岸田総理を批判するのではなく、「何とかして眼前の苦境というのか、あるいは諸々の危機を乗り切れるようにして下さい」と願うべき時だと思うのだ。