新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

私を悩ますカタカナ語の使われ方

2022-10-04 08:35:47 | コラム
英語の本来の意味を解らなくさせるカタカナ語:

 最近ではマスコミどころか有識者も、国会議員や所謂専門家と言われている先生方も、タレントとやら称する者どもも、語りの中に当たり前のようにカタカナ語化された英語の単語を使った表現をするようになってきた。私が問題にしたいことは「そのカタカナ語の多くは英語の本来の意味とはかけ離れたことを表している点」なのだ。

私はこのようになってしまった背景には我が国の英語教育では前からずっと今も尚「単語の知識」を重要視していることが作用(悪影響)しているのだろう」と思っている。だが、恣意的に元の意味とは異なったカタカナ語にしてしまった流れは最早阻止しようがないところまで来てしまっているようだ。そのようなカタカナ語を英語でもそういう意味だと錯覚というか誤解して、外国人との英語での会話どころか交渉事の場などで使ってしまうのではないのかと、一人静かに密かに危惧している

 そこで、近頃目立って(「耳立って」とする方が正確かも知れない)来た例を幾つか挙げてみようと思った次第。主張したいことは「単語をバラバラに覚えさせることは忘れて、飽くまでも流れの中での使い方を覚えるように教えよう」という事なのだ。

“power”:
解説)カタカナ語の「パワー」は広辞苑には「力、腕力、体力、また能力が先ず出ていて、次に支配力、軍事力」という意味だと出ている。カタカナ語の「パワー」が、広辞苑にあるような意味だと思う。ところが、Oxfordには“the ability to control people or things“と真っ先に出てくる。次が”political control of a country or an area“である。私は長い間こういう意味だと思って使ってきた。ジーニアス英和には[原義:力、能力、体力]とあり、最初に「・・・に対する権力、勢力、法的権限、支配力、(委任された)権限」が出ている。この点ではOxfordと同じだと思う。即ち、英語では普通には「力」とか「腕力」では使われていないのだ。

Oxfordにも4番目と5番目にカタカナ語のような意味もあると出ているが、その点ではジーニアス英和の「原義」と同じだとは思う。だからと言って「パワーハラスメント」という言葉を作りだしたのは、意味をはき違えていると思う、ここでの[パワー]は上司か権力者のようだから。確かに村上宗隆君には能力も腕力もあるが、権力や法的権限は無いのではないか。

“tension”:
解説)これが事「テンション」となると全く英語とは違う意味になっているようだ。製紙業界の専門語で“tension”と言えば「張力」であり「引っ張ったときの強度」を表しているのだ。だからという訳ではないが「テンション、あげあげで」などと言うのを聞かされると[さて、何の事?]と悩まされた。

このカタカナ語の意味を調べたが、デジタル大辞泉の解説が最も解りやすかった。即ち、“1精神的な緊張。また、不安。「—が高まる」2(1の誤用から)俗に、気分や気持ちのこと。「朗報に—が上がる」「いつも—の低い人」“となっていた。「なるほど」と解りやすくかった。

因みに、ジーニアス英和には「精神的な緊張、不安、国家間何度の緊迫状態」が先ず出ている。矢張り「テンション」は誤用だったのだ。

“challenge”:
解説)これは英単語の意味でもある「挑戦」として使われていると思う。ところが、こういうことを表現したい時にほとんどの人が「チャレンジ」か「チャレンジする」と言うのだ。ところが,ジーニアス英和でもOxfordでも名詞用法の場合に「挑戦」が最初に出てこないのだ。ジーニアス英和には先ず「やりがいのある課題、難問、やりがい、覚悟」とで来る。次に「(競技などへの/・・・しようという)挑戦」が出てくる。近頃NPBでも判定に異を唱えることを「チャレンジ」と言い始めたが「疑念、異議、拒否」も出てくる。

Oxfordでは動詞に使う場合には「申し立てや行動が正確であったか否か疑義を呈する、乃至は拒否か受け入れない」とある。「へー」と思われる方が多いかも知れないが、実際にはこれらが先に立っているのだ。お使いになる場合には、事前に辞書を見ておくべきではないか。

“hurdle”:
解説)「ハードル」を恣意的に使っている人が圧倒的に多いのが疑問だと思う。その意味は「~を達成するには此れ此れ然々の難関を突破しなければならない、または問題を解決しておく必要がある」のように聞こえる。故に「ハードルが高いの低いの」という言い方になっている。この単語は勿論「障害物競走における障害」のことである。比喩的に使うのは結構だが、前述の文章のように長い説明を英語の単語一つだけで説明してしまうのは、私には国語による表現力の低下だとしか思えない。しかも「ハードルをクリヤーする」と動詞まで英単語だ。日本語で正しく言えるように勉強すべきだ。

 ジーニアス英和には「障害物」の他に困難が出てくる。例文として“Besides the basic communication hurdle, there were cultural differences.”などと言う難しい文章がでていた。Oxfordには“a problem or difficulty that must be solved or dealt with before you can achieve ~”というのも最後に出てくる。矢張り、単語をバラバラの覚えていては出てこない使い方だ。私などはついぞ使ったこともない高級な表現だ。

私の考えでは「走り高跳び」や「棒高跳び」で乗り越える「バー」(横木)を跳び越える、即ち「クリヤーする」と言う方が適切だろうとなる。

“impact”:
解説)「影響」という意味で使われていることが多いと思う。確かにそういう意味はあるが、私は「影響」と聞くと“influence”を思い浮かべる。ジーニアス英和には名詞の場合には「(・・・への)衝撃、(・・・との)衝突、衝撃力、反発力」が出てくる。影響は出てこない。Oxfordでも同様で「~に対する強力な効果」とあって、例文には“the environmental impact of tourism”と出てくる。「影響」という意味で使えないこともないという程度だ。意訳すれば「影響」という意味で使えないことはないが、私は使われた例をあまり知らない。

“support”:
解説)「支える」か「支持する」という意味で使われることが多い。例えば「大勢の方々にサポートされて」とか「サポートを得て」というように使われている。私はここで英語の単語を使う必然性があるのかと問いかけたくなってしまう。いや、「単語を沢山覚えておられるのは分かるが、普通に日本語で言おうよ」と言いたくもなる。矢張り、格好を付けたいのだろうか。

ジーニアス英和には名詞の場合には「支柱、土台」が真っ先に出てくる。次が「(比喩的に)・・・の支持、支え、頼りになるもの」が出ている。動詞だと「(人、物が)人・物を倒れないように・・・で支える」となっている。Oxfordには「~に声をかけるか、彼らまたはその事に同意すると示して援助するか勇気づける」とある。私の疑問点は“support”にそういう使い方があると承知で「サポート」と使っている人がどれだけいるかという点だ。英語の現場では“supporting documents”と言って「添付書類」を表していた使い方の例もあった。

 結論:
「矢張り日本語で普通に語っている時には、妙な英語の単語をカタカナ語化した表現を使うのは止めた方が良いのでは」となる。カタカナ語を使う前には、基になっている英語の単語の意味を英和辞典だけではなく、可能ならばOxfordのような英英辞典ででも良く調べて、例文も読んで、正しい単語の知識と使い方を知ってからにして欲しい。Oxford何て持っていないと言われそうだが、大抵の電子辞書には入っていると思う。