新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

旧名統一教会の処理の問題について思う事

2022-10-20 07:21:19 | コラム
専門家会議への疑問:

昨19日夜のPrime Newsは興味を持って聞いていた。それは、テレビも新聞も岸田内閣が旧名統一教会に対して質問権を行使して本格的な審査を開始するとの態度を鮮明に(されたのだろう)するや否や、明日にも解散命令が出されるかのような報道をしていた。そして、解散させられても、団体としては存続し活動は続けられることまで取り上げたのだった。これだって宗教の組織としての税金の免除がなくなる程度のことだ。

それはそれとして、私が疑問に感じていることがある。それは政府が何かというと「専門家会議」を設けて何でもかんでも諮問することである。この手法は私には程度が悪い責任逃れとしか思えないのだ。それは各省庁の大臣に任命される議員の諸先生方は、官僚の上に立たれるのだから、その地位に相応しい知識と経験をお持ちのはずなのに、何が故に専門家に頼るのかということ。

最近の例を敢えて挙げれば西村康稔氏は全て「尾身茂氏率いる専門家会議に訊く」と責任逃れの一点張りだった。後難を恐れずに言えば、西村康稔氏は旧通産省の出身だが、この官庁におられても製造・販売の実務に携わっておられた訳ではないのだし、彼が感染症の臨床医でもなかったのだから、分科会に依存したのは解るが、責任逃ればかりのお利口さん的な姿勢は見苦しかった。

昨夜も、司会者の反町がフリップ(この先に「チャート」が付くのが本来の英語だが)を出して、今回の旧名統一教会の処理の段階を見せていた。そこには先ず「専門家会議」を設けて質問の内容を十二分に討議し、その先(下)の実行会議だったかに回すのだそうだが、この会議は専門家会議と同一の顔ぶれになるとあった。

すると、紀藤正樹弁護士の発言が凄かった。それは「その専門家会議に入りたいし、その会議は私の意見を聴取して欲しい」というものだった。「何と言うことを言われたのか」と、呆れる前に驚いた。紀藤弁護士はもう何十年もこの問題に真っ向から取り組んでこられた経験も理論とも十分な存在だと思う。それにも拘わらず、専門家会議には入れない(入らない)と決めつけたことを言われていたのだ。彼が専門家でなくて、誰が専門家なのだろうか。

私はCOVID-19対策の専門家集団であるはずの分科会を真っ向から批判しておられた、何名かの臨床を専門とされる医師に出会っていた。先生方の指摘は「分科会長は臨床医ではない上に、最早政治家の如き事ばかり言っている。政府は実際に現場で患者を診て、接している医師たちの意見を訊くべきだ」だった。

私の年来の主張は「実務の現場を経験せずして、何か知った風なことを言って欲しくない」であるので、全くその通りだと思って拝聴してきた。ズバリと言えば「机上の空論の尊重を控えて、実務者の声をも良く聞いてから対策を立てよ」なのである。今回の専門家会議には宗教者が入るのだと指摘されていたが、旧名統一教会を処理する会議に、紀藤弁護士のような実務に携わってこられた方を排除して学者や理論家ばかりを集めようというのであれば、見当違いの怖れなきにしもあらず、と言いたくなる。

昨夜も野党代表の長妻昭は「何時になれば解散命令を出せるのか。年内と唱えておられるが、果たしてそうなるのか」との疑問を呈していた。検察出身の高井弁護士の発言も懐疑的だったし、専門家会議を設けることにも肯定的ではなかった印象だった。私はこの件に関してだけのことではなく、政治家全体に本当の意味での専門的知識や実務の経験に乏しいか、あるいはないことを問題にしたいのだ。

彼らがもし専門分野を持っていれば、何も現場を知らない学者や大学教授等を集めた会議など要らなかったのではないのかと思っている。例えば、日本大学危機管理学部の福田教授は「尾身茂氏を長とする分科会に危機管理の専門家が入っていないこと」を非難しておられた。この指摘も尤もだと思うが、政府は何かの専門家会議を設置するのであれば、実務の世界というか企業社会から現場を経験してきた権威者をも加えるべきではないのかとずっと考えてきた。