新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

一寸どころではない微妙な話題を語る

2022-10-29 10:30:49 | コラム
日本国と日本人の存在感を高めるためには:

去る26日に「一寸微妙な話題を」として、「我が国及び日本人が世界では知られざる存在になっているのではないか」という点を取り上げてみた。その辺りについて、畏メル友RS氏からは「今後益々、日本人は珍しいと言われるようになりますね。」との見方も寄せられた。今日までに世界ではほんの20ヶ国、アメリカでは20州を歩いてきたが、「日本人か?」と尋ねられたことは希だった。

何年前のことだったか、上海の地下鉄の駅で青年に英語で“Are you a Japanese?”と尋ねられたことはあったが。そこで、今回は以下に述べていくように「何故、我が国と日本人は海外における存在感が希薄なのか」を考えて見ようと思う。結論ではないが「英語力の向上」は必要であるだろう。

私が残念だと思う例を挙げてみれば、報道で知る限りでは、我が国の前途有為であるべき若者たちは海外に留学したがらないとの傾向があるそうだ。また、現実にアメリカで駐在員の方たちと語り合った際に「我々は日本人だけて行動する癖があり、夜な夜なバーに行ってカラオケで歌っているのが楽しみ」のように冗談めかして言うとか「我が支店の問題点には英語が話せない者が多いこともある」などと自虐的なことをも聞かされていた。

このような事が起きている原因として考えられることは、英語力に問題があると思って聞いていた。そうなってしまう原因には、我が国の科学的な英語教育の問題もあるが、日本人が我が国とアメリカ等の外国との文化と思考体系の違いに馴れていないことを挙げておきたい。私はこれまでに何度もこの「文化の相違点」が相互に存在することを論じてきた。

この「異文化の壁」は実際に経験して見ない事には意識出来ないのだ。私は英語教育の過程の何処かでこの「異文化」をも教えておくべきだと指摘して来た。この他国の文化を理解できていないという点は、諸外国の人たちも例外ではないので、相互に違いを認識できていないままに無用なすれ違いや相克を起こしている例を、私は何度も見てきた。だからこそ、チャンと相異点を理解して認識し得た者が適時に後進を指導すべきなのではないか。

敢えて一口に英語の問題としておくが、外国に出て行こうと思えば、事前に英語の基礎を習得した上で、英語で「自分の思うところをキチンと表現できる」表現力の習得が肝要であろう。この点を英語の場合で言えば“I can speak English.”という程度ではなく“I know how to express myself in English.”の次元にまで高めておく必要がある。その点では、敢えて言うが「我が国の英語教育」だけでは到達し得ないという例を沢山見てきた。

一例を挙げてみよう。我が友のYM氏はスタンフォード、プリンストン、ペンシルベイニア等のアメリカの有力な私立大学のビジネススクールで教鞭を執ってきた。彼が言うには「社費でビジネススクールに派遣されてくる者たちには、英語力不十分な者が多い。彼らは英語での講義の他に討論が多い大学院の授業についてこられないという問題が生じる」と指摘していた。

この点は私がウエアーハウザー在職中に頻繁にセミナーやプリゼンテーションを経験してきたので「自分の意見を堂々と発表でき、尚且つ討論ができる能力の必要性」は十分に認識している。これ即ち“I know how to express myself in English.”の次元までに英語力を向上させておく必要があることを示しているのだ。満座の中で自分の意見を開陳できなければ「存在感」を示せなくなるのだ。自分の意見を発表できない者は存在していないと同様と看做される世界だ。

確かに、白人たちの世界というか、外国に出て行って存在感を示して定着することは、それほど容易ではないのだ。だが、外国には出て行ってみないことには「日本国と日本人ここにあり」と表現できないのだ。だから、出て行って試してみる必要もあるとは思う。

しかしながら、白人至上主義と言えば語弊があるだろうが、彼らの輪の中に入っていって違和感なく行動して存在感を見せるようになるのも容易なことではないと言える。だからと言って、出ていく者が少ないのでは何時まで経っても「知られざる日本」から脱却できないのではないのか。

私が19年在籍したウエアーハウザーのように(実は、今ではその存在も「嘗ては」と言わねばならないほど変化したが)日本市場を重視していたし、アメリカの全部の会社中で何年間も、対日輸出額が2位だった企業でも、本社機構にいた日本人は最大で3名だった。彼らは皆有名大学出身か大手商社から転進してきた優れ者たちだったが、何れも長続きはしなかった。外国企業に勤務することはこのように易しいことではないのだ。

ではあっても、外国人の世界の中に入って彼らの一人として彼らの言語と習慣を理解して共に行動してみない事には、彼らの文化も思考体系も理解できないのではないのか。更に言えば、一神教の信者たちの信仰とは如何なるものかも理解すべきだろう。彼らの思考体系の基になっているのが「神」即ち“God”であることの理解も容易ではないと思う。私はここまでの次元に到達する為には「留学」や「駐在員」の経験だけでは、間に合わないと危惧しているのだが。

ここまで言うようになった根拠は、私が方々で多くの我が国の企業の駐在員たちに「アメリカの会社とは」を語って見ると、大部分の人たちは(most if not allなどと言いますがね)「知らなかった!」と驚くのだ。即ち、外側からアメリカの会社と接していて、その実態というか中身を把握するまでに到達するのは至難の業だということ。私は永年内側にいて、見てそして経験してきたから言うのだ。

外国語(英語と言っても良いが)を介して外国人と接していうという点では、マスコミの駐在員の方々でも同じような域にあるのではないのか。私はただ単に英語が話せるという次元ではなく、彼らの文化と思考体系との違いを弁えて、彼らと腹蔵なく語り合えるようになっていないことには、真の意味での親密な間柄にはなり得ないと見ている。彼ら駐在員たちが機会を設けて、アメリカに於いてならば英語でアメリカ人たちに「日本の文化と思考体系のアメリカとの相違点」を進講して「日本とは」を理解させているのかと疑っている。

議論の本筋からは逸脱するかも知れないが、私は上司の副社長がマスコミを評して“They are not making the things happen."(意訳すれば「彼らは当事者ではない。伝聞を言っているだけ」)と断言していたことを取り上げたい。将にその通りだと思っている。その逆が“We are making the things happen.”で「我々が事を起こしている当事者だ」と言っているのだ。当事者を取材して、聞きにくいことまで聞いてこそ、実態が解るのではないのか。

何を言いたいのかと言えば「外務省の広報活動も大事だし、報道機関に頼ることも必要だろうが、世界に自分で出ていって『日本と日本人これにあり』と見せる必要があるだろう」なのだ。何時まで経っても「誰それさんがノーベル賞を受賞された」と「アカデミー賞を獲った」と外国に認められたことを嬉々として報道するのではなく、自分から諸外国に進出して存在感を示さないことには「日本って?」に終わるのだ。

その点では、私は大谷翔平君が立派だと評価できると見ている。少なくとも、彼はアメリカのMLBの中に入って活躍して広く知られた存在になり得て、アメリカ人のアナウンサーに片言の日本語を交えた中継放映させる存在になったのだから。