新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

超後期高齢者が階層社会を語れば

2022-10-06 09:28:58 | コラム
戦前の我が国には階級があった:

ふと思いついて高齢者らしく、昔の事を含めて、色々と振り返ってみた。

戦前の話:
昭和16年に、私が病弱だったので、藤沢市の鵠沼に転地療養に短期の引っ越しをした。余談だが、その後半年も経たないうちに西大洋上で戦争が始まって「疎開」と同じ事になってしまった。その仮住まいのはずだった家の隣に「魚いく(幾?)」さんがあった。戦争も始まっていない長閑な鵠沼だった頃の話だ。鵠沼海岸一帯をある開業医の先生が評して「台所の束子の果てまでも日本橋まで行って三越で買ってこなければ気が済まない方々ばかり」と皮肉った別荘地帯だった。

戦前のことだから、小学校も私立の小学校や中学校や高等女学校に行く階層と、市立の学校に行く人たちと明らかに別れていた。その女学校では乃木女学校(後に白百合から湘南白百合)の小学校と市立の鵠沼小学校と歴然と階層が別れていた。その白百合の小学校に「魚いく」の大将の幾さんが、長女を入学させたのだった。鵠沼中の話題をさらってしまう事態を招いたのだった。

誤解無きよう申し上げておけば、戦前とはそういう時代だったのだ。私は私立の小学校に転入したのだったが同級生たちと共に、私立の小学校に通う子供たちに虐められ続けていた。中には勇敢に立ち向かう英雄もいたが、何時も朝の通学の時には逃げ回っていた。

インドでは:
国外にも目を転じてみよう。某財閥系商社で我が社を担当していた中堅社員がインドに転勤された。帰任されてからインドの経験談を聞かせて貰う機会があった。彼の社宅には料理係、掃除係、門番等々全て階層別に使用人がいるので、カースト制の現実を見たと語っておられた。そこで、門番が非常に良く働いてくれたので、「庭掃除(だったか?)の係に昇格させれば」と家主に提案してみたそうだ。

しかし、呆気なく却下されたそうだ。理由は「彼は門番の階層に生まれた者であるから、そこから何処にも移動することはないのだ」だった。「カースト」とは如何なる事をいうのか、乃至は意味があるのかを学んだと述懐された。彼は「我が国にいては到底学び得ることなどない現実を知り得た貴重な経験だった」とあらためて語っていた。私も大いに勉強になった。

タイ国では:
次はタイ国での経験を。1991年に生まれて初めて「微笑みの国」タイ国に社用で観光旅行に行く機会を得た。実は、取引先が創立記念日に全社員でタイにパック旅行で出掛けた際に、原材料供給先である我が社の担当マネージャーの私が招待されたのだった。「タイ国は一度も異国に侵略されていない歴史があったので、独自の言語と文化を維持している」と、現地の日系人のガイドに日本語で教えられた。

勿論、主たる移動手段はバスだった。そのバスには少年が一人乗っていて、停車する度に真っ先に降りて、ステップとなる台を置いて乗客が安全に乗り降りできるようにする仕事をしていた。乗客の一人が「あの子供にあんな仕事をさせているのは可哀想だ。我々は自分の足で降りられる。彼を解放してやったらどうか」と、ガイドに提案した。

ガイドは「それは出来ない。あの子はそういう役目をする階層に属しているのだから、他の仕事につけさせることはない」と言った。一同は誰も何も言えずに「シーン」となるだけだった。私はインドのことを聞いてはあったが、タイ国にもそういう制度があったのかと、ここでも勉強になったと言うよりも、見聞が広まった。この一点だけを取って考えてみても、我が国は機会均等であり、如何に平等な国であるかが見えてくると思う。

アメリカでは:
お仕舞いにアメリカの階層社会を。1972年にアメリカの企業社会に転進してから、徐々にそこにある文化が我が国とは趣を異にしている状態が見えてきた。最初の驚きは「我が国では新卒で入社した者たちが先ずは工場勤務となるのはごく普通のことであり、工場が本社機構とは別組織であることなど先ずあり得ないのだが、アメリカではそのようになっていないこと」だった。アメリカの企業社会の文化では「本社とは離れた場所にある工場は、会社とは別個の組織」なのである。

本社とは別な組織である以上、工場はそれぞれ場独自で社員を雇用している。また別な組織である以上、工場が独自に現地で採用した社員が本社乃至は本部の機構に転属することは例外を除いてあり得ないのだ。言い方を変えれば「属する階層が違う」となるだろう。だが、工場長や製造部長のような地位には本部からエリートが派遣されている。工場では本部とは別に各部門の長が独自に要員を試験して採用するのだ。

ここまででも十分に文化の違いが解ると思うが、工場の中では社員と現場の職能別労働組合員とはまた全く別な存在となっている。現場の労働者たちは会社に所属しているのではなく、法律で保護されている職能別労働組合員なのである。社員たちはサラリー制であり、組合員たちは時間給制というように確然と別れている。従って、組合から別組織である会社の社員に転属することは原則あり得ないのだ。私は19年間に例外的に転属した者に2名会ったことがあった程度。

指摘しておきたいことは「アメリカの会社組織ではサラリー制の社員と時間給制の労働組合委員とは全く別個の存在であるという点」である。解りやすくしようと思って言えば「労働組合という階層が、会社員という階層とは別個にある社会であり、この独立した階層間での人の移動は先ずないと思っていて良いだろう」となる。即ち、このように社員と組合員とは階層が別れていて、組合員の階層からは社員の層に移っていくことは希であるという格差社会なのだ。

この違いを知れば、我が国がどれほど平等で機会均等な世界であるかが解ってくると思う。因みに、私の生涯最高の上司だった副社長兼事業部長は州立大学の4年制の出身で、地方の小さな工場の会計係の職を得たのだった。即ち、本社機構に就職した訳ではない。だが、その類い希なる才能と頭脳を評価した本社機構が引き抜いて転進させ、そこから先は彼の努力と才能で、先ずはあり得ないMBAではない本社の副社長にまで昇進した例外中の例外的存在だった。