団塊の世代前後の年齢層だけの問題か:
今朝は久しぶりにジョン・コルトレーンがソプラノサックスを吹き、ジョニー・ハートマンが歌う“My one and only love”を流しているが、この頃のコルトレーンは未だ聞きやすいので付いていけるが、50年代半ばに彼が出てきた頃には「もう、ジャズも終わった。付いていけない」と仲間と語り合っていたものだった。だが、その当時のコルトレーンのテナーサックスの演奏も、今となっては「どうってことないじゃん」としか聞こえないのだ。
閑話休題。本論に入ろう。1990年代後半の私はウエアーハウザーから引退していたのだが、多くの方々のご好意で方々の会社に出入りする機会を与えられていた。私はその場合でもウエアーハウザー在職中と同じ考え方で、アメリカの偉い人が尊重する“high level contact“を避けて、日常的に実務を担当している若手(20歳台後半から30歳台前半)との交流を続けていた。彼らは明らかにディジタル化された世代に属していたと承知していた。
そういう年齢層の精鋭たちの多くが殆ど嘆きにも声を上げていたことがあった。それは「今、我々の上にいる課長から部長代理の年齢層が我が社の経営を担うようになった頃には、確実に我が社は衰退していくだろう。今のうちにあの連中を何とかしないことには、我々の将来はなくなってしまう。彼らの大半は時代に付いて行けていないのだから」なのだった。即ち、彼らが指摘していた年齢層は所謂「団塊の世代」とその前後であると解釈した。
こんな経験もあった。某社では繁忙期でもないのに、2名の若手が「今日は深夜まで残業です」と言うのだった。「何で」と訊けば「これから我々2人で来季の予算を作るのです」と言う。「何で君たちが」と尋ねると「課長たちはろくにパソコンが使えないのです。だから、我々に目標とする売上高と利益を指定し、このような弾性値でやってみてくれ」しか言えないのです。
2名は更に「こんなもの、このソフトを使えば、ほんの1~2時間で終わります。だが、簡単に仕上げたのでは意味がないので、残業にしただけのこと」とまで言ってのけた。要するに、パソコンを使いこなせない年齢層は時代遅れだと強調したのだった。極論だと思わせられる点もあるが、私から見た次世代のまた次の世代が、何を以て価値の基準とし上司を判定しているのかを知り得たのだった。
丁度その頃、伊藤忠商事では世間にも広く知られていた、ある年齢層を指定して「早期退職」の募集を開始していた。その中心になっていたのが団塊の世代のようだった。しかし、丹羽社長は早期退職者には1億円の退職金をつけたのだった、辞めていって欲しくはない者たちも応募してくると承知の上で。
確かに、私が知る限りでも「まさか」と思わせられた者までが、優良な転職先を得て退社していった。結果的には若手たちが指して非難して年齢層が粗方一掃された。その伊藤忠商事のその後の成長と発展振りは広く知られている通りだし、新卒予定の文系の大学生たちの希望先の第1位の座を占めるようになっていた。
ここまでで何が言いたかったのかだが、我が国の経済界というか産業界の長きにわたる低迷の原因の一つに、私が上記に掲げた90年代後半の若手たちの懸念というか悲観的な予測が外れていなかったことが挙げられるのではないかということ。「そんな乱暴な議論があるか」と批判されることは百も承知で言っている。現に、過去に一度だけ団塊の世代を云々したときには猛烈な非難攻撃を受けた経験があった。
我が国の経済が一向に成長していないことも大問題だが、何かを怖れているのか内部留保には走っても、何時まで経っても賃金を上げようとする勇気が無い経営者たちはどの年齢層だったかということのようだ。90年代後半に若手たちが指摘していたもう一つの問題点は「彼らは先輩たちが残していって下さった遺産の恩恵に浴して、良い目を見た上で引いていくが、我々は彼らが踏み散らかしていった後を引き継ぐ危険性が高い」だった。
「30年近くも前に現職から離れたディジタル化にも付いていけないアナログ世代が何を抜かすか」と攻撃されるだろう。だが、「往年の輝きを失った会社が多くなり、サプライチェーンの要衝として中国との接し方も解らないままに、韓国が日本は追い抜いたとまであからさまに喧伝するようになったのは何故か」に思いを致すときに、上述の嘗ての若手の精鋭たちが表明していた「懸念」に至り付いてしまうのだ。
私は何も解っていないのだろうか、そうであるのかどうかも解らないほど、時代の変化は激しく急速である。何故、我が国にはGAFAM的な存在が現れないのだろうか。時代の先を見通している経営者が現れないのだろうか。私が言う往年の若手の精鋭たちは何をやっているのだろうか。彼らにも、決起して貰いたいものだ。