新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

病院食を回顧する

2022-10-21 14:51:35 | コラム
パンはダメです:

9月の検査入院から退院できてから3週間を経たので、心不全の検査で入院した際の食事をあらためて振り返ってみよう。同病や血管に欠陥がある方の参考になるかも。

先ずは朝食に出てくる米飯は日頃の習慣と違うので、看護師さんに「パンにならないでしょうか」と訴えてみた。答えはにべもないもので「パンには変えられません。パンは塩分が高いし、糖質も含まれているし、炭水化物で良くないのですから」だった。尤も、私はBNPが952だから検査入院となったのだし、病室のすぐ前がナースステーションだった事は「危険な患者」と診られていた証拠だから、仕方がなかったと諦めた次第。

次には15年までの心筋梗塞と心不全での再三再四の入院で経験していたことで、循環器系の患者の食事は「減塩」、「脂肪抜き」(=揚げ物や炒め物無し)、「刺激物無し」といった具合で、解りやすく言えば「味も素っ気もなし」なのである。しかも、それでもチャンと食べないことには、体力が衰えると承知しているので、習うよりは馴れよ」とばかりに殆ど食べ残しはしなかった。

それでも、毎朝6時頃の朝食前に体重を量ると、結果的には退院する頃には約1kgの減量になっていた。15年の2月に2度の心不全の入院の後からは栄養士さんの指導の下に厳重な減塩、食べ過ぎないように、炭水化物を減らすこと等々を家内の協力の下に半年以上続けた。一口に「減塩」と言っても具体性がないだろうが、指示された量は1日6grmだった。これは、実際に秤にかけてみて解ったのだが、殆どゼロに等しいものだった。

この減塩食は、昭和31年からの付き合いだった紙流通業界の大手の役員だった方が重症の糖尿病他の対策で、1年間耐え忍んで続けて何とか正常な生活が出来るようになったと教えてくれたので、「俺にもできるはず」と思って懸命に続けた経験があった。今回の病院食も10日から2週間と予め告知されていた入院だったので、この程度の日数ならば耐えられると見込んで我慢してみたのだった。その結果か9日目に退院が許されたのだった。

要点は「自分の為なのだから、入院した以上は『美味で』あるとか『不味い』などは綺麗サッパリ忘れて、出てくる物を食べていれば良い」と悟ることだろう。退院した後では普通の食事に戻っているが、炭水化物も兎も角、食べ過ぎないようにと注意している。

減塩については、2006年1月の最初の心筋梗塞から立ち直れた後では、それ以前には好みだったラーメンを外で食べることは年に一度か二度で、食べた後では汁は一切飲まないようにしている。味噌汁は元々好みではないので敬遠している。

私の場合はそもそもアルコールが体質に合わないので飲まないし、煙草は当時の湘南中学では喫煙が見つかれば即停学だったし、度重なれば退学だったことなどがあったので、人生で一度も試みたことなかったほど度胸がなかった。これらが89年生き延びることができたことと関係があるのかないのか知らないが、上記のような食事制限は効果があったと思っている。