新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

続・続America Inside

2023-07-08 07:52:23 | コラム
アメリカはこういう国なのだった:

バンパーの使い方:
解説)勿論bumperという自動車の部品のことだ。1972年に初めてアメリカに入って、Mead社のパルプ本部があるこねてコネティカット州のグリニッチ(Greenwich)に行った時のことだった。朝早く目が覚めて所在なく窓の外を眺めていた。そこにあるロータリーの周囲には車がビッシリと、それこそ1インチの隙間もなく駐まっていた。

あれでは車を動かせないだろうと思って見ていると、やってきた1人の所有者が前後の車に、ホテルの部屋の中まで聞こえそうな音がしただろう勢いでガンガンぶつけて動かして隙間を作り、首尾良く抜け出していった。車の運転を知らない私でさえ、あんなことを日本でやったら直ちに警察を呼んで、大もめに揉めるのではないかと思った。そこで、副社長に尋ねてみれば「バンパーはその為にあるのだ。何の不思議もない当然の行動」と、アッサリ答えて貰えた。実は、パリでも同じようなな光景を見る機会があった。

そもそも“bump”は動詞では「人・物が人・物にドシンと当たる、ぶつかる」を意味すると、ジーニアス英和には出ている。バンパーはそれにerを付けたのだからドシンとぶつかる道具なのだ。

Where is the station?:
解説)グリニッチでは週末になったので、所在なくその辺を散歩していた。すると、向こうからやってきた人に「駅は何処か」と尋ねられたのだった。「今週生まれた初めてアメリカに来たばかりなので、地理不案内です」と言おうかと思ったが、遙か彼方にそれらしい建屋が見えたので「あれが非常に駅舎に良く似て見えますが」と答えた。彼は“Thank you.”と言って去って行った。現地人に見られたとは光栄だと思った。

ところが、その2~3年後に東海岸地区を北上する機会があってEastern Airlineに乗った時のことだった。隣に座った高校生風の青年がいきなり“I am 何とかんとか.”と名乗って握手を求めてきた。何のことか良く分からなかったが、取りあえず名乗って握手をした。そして「何で,
外国人である私が英語を解り挨拶を返すと思ったのか」と尋ねてみた。

愚問だったようだ。彼が言うには「我が国の中で、飛行機に乗っている人をアメリカ人だと思うのは当然ではないか。そう思うから挨拶したまでだ。宜しく」と言われてしまった。そこで漸く悟ったことはといえば「だから、グリニッチで通行人に道を訊かれたのだったか」だった。これが多民族国家アメリカの実態かと認識した。「道行く人は皆同胞」であり「神のみ旨」なのだろうか。

先ほど解雇されたばかりだ:
解説)1975年3月にウエアーハウザーに移って“training”という顔見せと顔つなぎの旅で、アメリカ中の事業部の主な施設を回って歩いた時のこと。シカゴの近郊にある食品の紙の包装容器に特化した研究所を1泊2日で訪れた。その案内を若手の研究員が担当してくれた。予定が終わった晩に泊まっていたHoliday Inn(これは「ハラディ・イン」で、断じて「ホリデイ・イン」ではない)で夕食を摂っていた。そこに、その若手が突如として現れて「食事を止めて飲みに行こう」と誘うのだった。

ここだけの付き合いで親しい間柄でもないので「何事?」と訊くと「たった今解雇された。面白くないので鬱憤晴らしに飲みたくなったので、貴方を誘っていこうと思った」と、有無を言わさず食事を中断させられて、夜の街に出かけた。それがシカゴ市内なのかどうかは一切解らなかった。入ったのは映画やドラマに出てくる女性が柱にしがみついて踊ってみせるところだった。圧倒されたが、正直に言って「怖くていい迷惑」だった。

だが、ここで経験したことは「アメリカの会社組織内では、ある日かある時突然解雇されて、経理部等から当日までの給料を貰って帰ってくれ」というのは現実だと知らされたのだった。これ以外にも「本日を以て君のjobは終了した。今日までの給与の小切手だ」という例を見たこともあった。だが、アメリカでは職の流動性が高いので、解雇即ち絶望的な失業とはならないのだ。この辺りが我が国と大いに異なる点であり、job型雇用の恐ろしさであると思う。