新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

続X4 America Inside

2023-07-19 07:49:09 | コラム
アメリカ式合理主義か:

半分食べて残せば良いじゃないか:
アメリカ風のピザパイはイタリアとは違った味があるので好みだった。またピザ店は方々にあるのだが、問題は大きすぎで私一人の手には負えないことだった。1970年代のシアトル郊外には有名なNorth Lake Tavernという店があり、同僚たちには何度か連れて行って貰えた。そこでは、大きなピッチャーのビール(当時は飲めていた)と共に楽しんでいた。市内にも良い店があったが、如何せん単独で行く訳にはいかず何となく悩んでいた。

そこで、副社長に何気なく悩みを打ち明けてみれば、彼は事もなげに「何を悩んでいるのか。一人で店に入ってsmallを注文して、食べられるだけ食べて残りは置いて行くか、doggy bagにして貰えば済むことではないのか」と言われた。「なるほど。アメリカ的合理主義か」と目が覚めた。そこで、ここが良いと承知していた店に行ってsmallの半分と一寸を堪能してきた。かくして、アメリカ式な合理主義を実践できた次第。

I don’t need a credit.:
一寸日本語にし難いが「私の成績(手柄として評価する)にならなくても良い」とでも言えば良いだろうか。アメリカの会社組織では各人は言わば「個人事業主」として勤務していると解釈していて良いと思う。ということは「何か実績を残せば、それは年度末の査定で評価の対象になる」のである。それを事業部長が認めていてくれていなければならないのだが。

1970代の末期だったか、当時の技術サービスマネージャーが問題を解決したので、売り上げの増進にも貢献したのだった。私が「貴方のお陰で売上高も伸ばして貰えたので、その点を副社長に伝えておく」と言ったところ、見出しの「俺の手柄にしてくれなくても良い」と否定されたのだった。それは、当時は彼が工場長の管轄下に入っていたので、営業面での実績(credit)は評価の対象ではないので不要。工場長が評価しなければ無意味なのだと言ったのだった。

日本のような人事部がなく、査定は全て直属の上司と対面で行うアメリカの評価方式では、「技術サービスマネージャーの技術面での功績と実績を直属の上司が認識していなければ何にもならない」のだという事を示した例だと思って取り上げた。

Job securityが不安になる:
始めにお断りしておくが、securityの発音は断じて「セキュリティー」ではなくて「セキュアラティ-」なのである。話を本筋に戻せば、アメリカの会社組織では「職即ち地位の安全」は非常に重要なのである。ある程度以上の職を得れば実績を挙げていても、いつ何時予期せぬ四囲の状況に変化が称して、その地位を失う危険性が生じかねないのだ。それが、ここに掲げた“job security”なのだ。

上記の技術サービスマネージャーは優秀で、得意先からも絶大な信頼を得て、多くの困難な技術的な問題を解決してきた。その彼の努力の甲斐あって工場というか労働組合員たちの品質に対する意識改革も著しく進み、クレームが激減した時代がやってきたのだった。そして、我が事業部は日本市場最大の市場占有率を確保するに至ったのだった。彼と(私の?)のcreditに帰することだった。

すると、技術サービスマネージャーと静かに語り合う機会があった時に彼が言ったことは「これほど品質改善が進み、クレームが激減したのは良いことだと思う。だが、私が不安に思っていることがある。それは、何処からもクレームを言われなくなってしまえば、自分のような技術サービスマネージャーのjobは要らなくなりはしないかと不安なのだ。換言すればjob insecurityの事態が生じるのではないかという事」だった。

アメリカ式合理主義から考えれば、品質問題が発生しなければ、嘗てはトラブルシューティングも彼の仕事だったので、技術サービスマネージャーを置いておく必要がなくなってしまうかも知れないのだ。一所懸命に努力して、自分の職を不安定にしたとは、合理主義にも矛盾点が生じた気がした。

そこで、彼と色々と話し合って、副社長に新たにjob descriptionに書き加える項目として申請しようと考えたことは「全取引先の本社と工場を常時巡回して『何か新規のご要望は、何か問題は』と尋ねて回ること」だった。これは採用されて、彼の職はsecureされて、文字通りの「技術サービス」の職が確保されたのだった。「何だ、手柄話か」などと思わないで頂きたい。アメリカの会社組織ではjobはこのように安定性に乏しいのである。