所変われば品変わる:
「えっ、これがhot dog」:
初めてシアトルのキング・ドーム(今は解体されてしまって存在しない)にMLBの野球を見に行った時のこと。Polish sausageのhot dog(この発音は断じて「ホットドッグ」ではなく「ハットダグ」である)が美味いと勧められて買いに行った。貰えたのは二つに割ったパンの中にポツンとソーセージが入っているだけの物。辛子もケチャップもタマネギもなかった。「何だ、これは?日本ではチャンと何もかも整えて売ってくれるのに」と訝った。
だが、ふと気が付くと、現地人たちは嬉しそうにその何も付いていない代物を抱えて、店の反対側に向かって行くのだった。そこに何があるのかと思えば、きざんだタマネギも辛子も何も全て台の上に用意されていた。彼等はそこで自分の好きなように味付けして持ち帰るのだった。
そこで、漸く気がついたのが「何事でも個人が主体のこの国では、お客の好みで味付けして下さいという方式なのだ」ということ。「なる程」とは思ったが、未だ不慣れな私は何とか味付けしたが、矢張り日本式の「全て調理済み方式」の方が便利ではないかと感じた次第。これも異文化のうちだろう。
両替機で手数料を取られた:
シアトルの空港で荷物を受け取ってから移動しようにも、その時は数も多く重すぎたので、レンタルのカートを借りようと思った。だが、そこでは25セントだったかの硬貨を入れないと取り出せなかった。「これは困った」と思ったが、幸いにも両替機が用意されていたので1ドル紙幣を入れてみた。だが、1ドル分の硬貨が出てこないのだった。また故障かと疑って機械を叩いてみたが無反応なので諦めて、カートを取り出してバス乗り場に向かった。
後で現地人に「あれは何だったのか」と訊けば「それは手数料を取られただけなのだ」と教えられた。「なる程。これもアメリカ式合理主義か」と納得した。
靴の売り場には片方だけ陳列:
為替レートの問題もあるが、靴(革製品)はアメリカで買う方が断然経済的であるし、品質も間違いないのだと先達にも教えられて、シアトル市内の靴の売り場が優れていると定評があるデパートのNorstromで買うようにしていた。そこで気が付いたことがあった。それは売り場では全ての靴が片方だけしか棚に置かれていないことだった。それでも、買う方にとっては充分に品質などが吟味できるので、特に不便だとは感じなかった。
だが、矢張り好奇心から上司に「何故?」と尋ねてみた。その理由は「shop lifting(=万引き)防止策なのだ」そうだった。即ち、一足並べて万引きされることがないようにということ。当方の理解は「矢張り、性悪説の国では人に対する見方が違うな」だった。
話は変わるが、アメリカの事情に詳しい方に「アメリカで靴を買う場合に注意すること」として教えられた相違点があった。それは「車社会で外を歩くことが滅多にない国だから、革には防水や撥水の処理がされていないので、日本に戻ってウッカリ雨中を歩くと、激しく傷んでしまうことになりやすいから十分に注意すること」だった。一方、日本でなめし加工された革製の靴はその心配は無いとのこと。「所変われ品変わる」だった。
契約期間は終わった:
出張してシアトルに入り、某商社を約束の時刻に訪れると、そこには事務所が無かった。慌てて管理事務所と思しきところに尋ねると「もうここを引き払って、こういうビルに移転した」と教えられた。そこは歩いて行ける場所だったので、何とか時刻に遅れずに辿り着いた。担当者に「何故、急に移転したのか」と尋ねて、「そういう習慣というか慣行の違いがあったのか」と驚かされた。
どういうことかと言えば、「商社は最初X年間の入居契約をして事務所を構えた。そして、契約年数が終わりに近くなった時に、家主から「契約期間が終了するので立ち退いて貰いたい。既に後のテナントと契約も出来ているので」と当然のように通告されたのだそうだ。商社側は「日本式ならば、その時点で再交渉しなくても契約は延長されるので、その慣行が通用すると考えていた」そうだった。
私には「商習慣の違い」なのか、あるいは「商社の手落ちか」は判断できなかったが、「契約」という事については、日本とアメリカでは考え方が違うようだとは認識できた。