新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

テレビで扱われていた話題から

2024-07-02 07:58:56 | コラム
興味ある事柄を拾ってみた:

*周囲に気を遣わねばならないので:
昨1日のフジテレビのニュース「イット」で、不妊治療を特集していた。その中で街頭インタビューされた何人かの女性が「産休を取ること」と「不妊治療をしていることが周囲に知れると云々」と語ったのが気になった。要するに「出産に踏み切り難い事柄が多々ある」と語っていたのが私には強い印象を与えていた。

我が国の会社組織では「皆で一致団結して(個性を控えめにして)社業というか業務に専心し、皆で成果を挙げていくことが(「何物にもまして」と言いたい衝動に駆られるが)非常に重要なのである。さらに言えば「個人プレー」や「個人のスタンドプレー」に依存することなく、言うなれば「全員一丸となって努力して目標を達成しよう」という精神の下に動いているのである。

その環境の中では「誰かが苦境に立たされていれば、課の中でも部の中でも、上司でも、誰かが立ち上がって救いの手を差し伸べるように、助け合い且つ競い合って目標達成に向かっていくのだと理解している。このような精神で活動していれば「組織内の誰かに迷惑をかけてしまうような行動は慎まなければならない」と誰もが承知しているとみている、いや、経験もしてきた。

女性たちが遠慮しながら語っていたことは「産休を取ることと、そこから復帰することを躊躇してしまうと言うか、言い出しにくい点があるので・・・」だった。さらに上記のように「不妊治療中と知られてしまうのも『白い目で』に近い受け止め方をされた例もあるので」という意見もあった。結論的には「遠慮してしまう傾向があるので、出生率が上がらないのでは?!」と思わせられる編集の仕方だった。

ここで思い当たったのがノーベル賞を受賞された真鍋淑郎博士がアメリカ国籍を取って帰国しなかった理由を、下記に引用したように語られたこと。

「日本の人々は、いつもお互いのことを気にしている。調和を重んじる関係性を築くから。日本の人々は、非常に調和を重んじる関係性を築きます。お互いが良い関係を維持するためにこれが重要です。他人を気にして、他人を邪魔するようなことは一切やりません。

アメリカでは、他人の気持ちを気にする必要がありません。私も他人の気持ちを傷つけたくはありませんが、私は他の人のことを気にすることが得意ではない。アメリカでの暮らしは素晴らしいと思っています。おそらく、私のような研究者にとっては。好きな研究を何でもできるからです。私はまわりと協調して生きることができない。それが日本に帰りたくない理由の一つです」

筆者としては、大いに思い当たる節が非常に多いし、真鍋淑郎博士が指摘されたようなアメリカの文化に対しては、我々日本人には向き・不向きな点が非常に多いので、個人の能力と個性を主体に構成されているアメリカの文化の中に無邪気に飛び込んでいっても、労多くして報われない結果になる危険性は高いと思う。

*政党の内部は名店街のような組織で良くはないか:
ここもフジテレビであり、1日夜の`Prime Newsから拾った。ゲストの一人に久しく見なかった細野豪志がいた。敢えて付記しておけば、自民党二階派所属である。議題は「自民党総裁選挙と岸田降ろし」だったが、その議論の中で確か細野豪志が指摘したことが「国会議員としては珍しい視点からだったのが印象に残ったので、取り上げようと思った」次第。それは、

「政党内は名店街のようであって良いのではないか。即ち、自由民主党という組織の中に各議員が自分の店を張って、自らの信念で目標を立ててそれに基づいて自らの店舗を運営して、その結果として党全体としての目標が達成されれば良いのではないか」というものだった。私はこういう物の考え方を我が国の政治家から聞こうとは思っていなかった。

即ち、細野豪志が言っていることは「そっくりそのまま」とまでは言わないが、アメリカのビジネスの世界の在り方を語っているのと同じような感が濃厚だったのだから。換言すれば「組織の運営は殆ど全てがそれを構成している各個人の能力と個性を活かす(乃至は依存している)形になっているのだから。

彼は時と場合によっては「派閥の総意にそぐわない意見を持って、自分が選んだ候補者に投票しても良いのでは」という意味で「名店街論」を持ちだしたと思って聞いた。私は嘗て「自分はウエアーハウザーという大規模な大家さんが運営する商店街に自分の店を張って、売り上げ目標達成に全力注いできた(カタカナとの奇妙な合成語では「ベストを尽くす」になるか)」と述べていた。

より具体的に言えば「アメリカの組織では『皆で一丸となって』というような気風は殆ど存在しない。全員には本部長からJob descriptionが与えられ、そこに掲げられた項目の達成の方法などの細かい点の指示などがあったことはなかった。即戦力として採用された経験者の個人としての能力に任せられているのである。誰も同じ組織内にいる同僚を援助しようとか、苦境に立った時に助けて貰おうかなどとは全く考えていない。

彼等の物の考え方では「俺は他人というか同僚を助ける為の給与など貰っていない」なのだと思っている。この考え方は“I’m not paid for that.“に良く現れている。即ち、ここにあるthatはJob descriptionの項目にはないこと(例えば、他人を助けること)を意味している。細野豪志がその辺りのことを指していたのであれば、我が国とアメリカの文化の違いを良く弁えた発言であると評価したくなったのだ。