何とも騒がしい時になった:
日本時間27日から開会されるパリオリンピックについては、マスコミ報道が段々に過熱気味となってきたところだ。そこに加えるにアメリカ合衆国ではバイデン大統領の撤退でハリス副大統領が民主党の候補者指名獲得が確実になるにつれて、一時は沈静化していたトランプ節とでも言いたい口撃が再開されたのだ。件名に掲げたように「物情騒然」とでも言いたくなる情勢だ。国内では岸田総理の再選云々もきな臭くなってきたではないか。
共和党のトランプ候補:
今朝も早くからニュースでは、トランプ氏が例によって言葉の限りを尽くしてハリス副大統領を罵倒しているのを聞かされて、何とも言えない索漠たる思いをさせられた。私が22年以上も慣れ親しんできたアメリカが変わってしまったと感じざるを得ないほど、トランプ氏の言動には品位が欠けているので。
昨日もST教授と月例の懇談会で語り合った話題の一つがトランプ氏だった。私からは、先日紹介したアメリカを代表する音言っても過言ではない企業の幹部が指摘した「仮にハリスがトランプ氏との討論会で追及したとしても、彼の岩盤の支持層が離れていくことがないだろう」との点を引用して「トランプ氏の悪口雑言は支持層に連中に向けてのことで、ハリス副大統領を罵倒すればするほど、支持者たちは歓喜するだろう」と述べて、言わば追随した。
当方はそもそもトランプ大統領時代からファンでも何でもなかったし、あの悪口雑言の限りを尽くす語り口には嫌悪感すら覚えていた。先ほども聞こえていた音声では、お定まりの“You are fired.“から始まって、カタカナ書きにすれば「ゲラウタヒア」という非常に好ましくない発音でハリス副大統領を罵倒したので、聴衆は一斉に拍手大喝采だった。
「ゲラウタヒア」とは、お分かりの方は多いと思うが“Get out of here!”で、普通ならば「出ていけ」なのだが、トランプ氏式のアクセントと発音では「出て行きやがれ」か「失せやがれ」という意味になる非常に強く激しい罵倒なのである。私が勤務していたような会社内では、こういう言い方をする者に出会ったことがなかった。
私はトランプ氏が受けを狙って“Get the hell out of here.”という典型的な汚い言葉の“hell”を使わなかったのは不思議だとすら受け止めている。
要するに私が強調したいことは「苟もアメリカ合衆国の次期大統領を目指す方が、このような非知識階級からの支持を確実にする為に、品位に欠けた言葉遣いをすることは何たることか」なのである。トランプ氏がアメリカの全人口の10%にも満たないだろう高等教育を受けた知識階級を狙っていない作戦は解るのだが、その為にあの言葉遣いなのかと幻滅を感じている。
私がこれまでに何度か指摘してきたことで、英語を勉強しようとする若い人たちが「トランプ氏が使ったから」と受け止めて、こういう言葉遣いを真似たりして欲しくないのだ。ここまでを締めれば「トランプ氏批判」であると同時に「元大統領のnative speakerが使ったからと言って真似て欲しくない『英語の勉強法』なのである」という事になる。
パリオリンピックの報道に思う:
我が国の代表選手たちの活躍を祈る気持ちは変わらないが、当方の持論は「オリンピックとはメダルとやらの獲得競争ではないはずだ」なのである。故に、マスコミが何かと言えば「メダルだ」だの「何色のメダルを目指すのか」などと騒ぎ立てる傾向を苦々しい思いで見ている。選手たちはオリンピックでの優勝を目指して長い間懸命の努力してきたのだから、「メダルがどうの」と騒ぎ立てるのは、要らざる圧力をかけているのと同じで宜しくない。
間違っていたらご免なさいと逃げを打ってはおくが、私はマスコミが未だに戦後間もなくの「オリンピックで活躍してメダルを沢山取って国威を発揚しよう的な前時代的な感覚から離れられていないのでは」としか思えないのだ。あのような大会で諸外国の強力な選手たちと争って頑張るのは大いに賞賛すべきだが、そこでは勝ち負けにばかり拘らずに「世界最高水準の技術」の争いにも詳細に触れて貰いたいのである。
彼等は大谷翔平の大活躍を連日のように詳細に報じている。それはそれで良いのだが、大谷がアメリカに行ってからあれほどの体格に仕上げ、素晴らしい技術を身につけたMLBを代表する選手になる為にどのような合理的、科学的なアメリカ式なトレーニングをしたのか、MLBの技術を習得したかには殆ど触れていない。これでは片手落ちだと思う。尤も、大谷は「機密事項である」と封印しているかも知れないが、それならそうと言えと言いたい。
要するに、私の主張は「スポーツの報道は勝敗だけに重きを置くのではなく、然るべく技術や練習法にも触れて深みを出して欲しい」という点にある。聴衆の中には単なる日本選手の応援団の一員ではなくて、世界最高水準の技術の鑑賞を楽しむ者もいるのを忘れて欲しくない」という事にある。