「来たるべき事が来たな」と感じた:
今朝程4時に定例になってしまったTBSのニュースを見ると、真っ先に出てきたのがバイデン大統領の撤退だった。正直な感想は「矢張りそうなってしまったか」だった。遅かれ早かれ、決断されると予測していた。バイデン大統領には失礼になるかも知れないが、正しく私が好んで使う“Better late than never.”だったのではなかろうか。この世紀の大決断とでも言いたい撤退宣言は、果たして「「確トラ」を補強するのだろうか。
私は非難の標的にされてきたバイデン大統領の年齢の問題や、あのトランプ氏との討論会で見せて危うさは兎も角として、民主党内でも前任者のバラク・オバマ氏やペロー氏からも撤退を実質的に勧告されたところで、引導を渡されたのと同じだと解釈していた。私は「年齢と性別と国籍で人を差別しない国である」と経験からも確信しているアメリカで、あれほどバイデン大統領の年齢を問題視するのがfearなのかと、理解できなかった。
バイデン大統領に「後継に」と指名されたカマラ・ハリス副大統領が適任であるか否かは、民主党が大会を開催して誰を候補者に推すかを決めるかの問題だと思う。バイデン大統領が「後事を託す」と言っただけで決定した訳ではないと思う。現に、先ほど入ってきたGoogleのニュースでは、ハリス副大統領はバイデン大統領の功績を賞賛して「指名獲得に全力を尽くす」だけ言っていた。
私は昨日、何年か前に繰り広げたドナルド・トランプ氏批判を回顧してみたが、要点はトランプ氏が1期4年の経験を経て、どれ程変わったか(進化した?)ではないかと思っている。当時、私は些か極端だったかも知れないが、トランプ氏の政治手法の大胆さを「無知は力なりか」とまで批判した。そう言う根拠は「彼は自分自身の持っている知識だけを活用し、一般常識を無視した政治を展開して、彼独自の支持層の喝采と支持を得たのだった」から。
その辺りが知識階層から「自分ファースト」との批判を浴びた原因になったのだが、移民の強制送還政策やメキシコ国境に壁を設ける手法などは受け入れられていたようだった。今回も既にトランプ氏独自の強硬政策、例えばウクライナ支援の停止などを打ち出している。それがMAGAの一面になるのだろう。だが、私にはMAGAを強調されればされる程「そう言われるのは、アメリカは偉大ではなくなっていたのだっけ」と受け止めてしまう。
「再び偉大にする」と言われるのならば、「あわよくば世界制覇を」と目指しているのではと疑わせてくれる習近平率いる中国を徹底的に叩いて、その邪な野望を撤回させて欲しいのだ。「世界には偉大な国は一つしか要らない。その偉大な国がアメリカ合衆国である」と全世界に示すような意気込みであって欲しいのだ。アメリカの良識ある国民は、あの国会議事堂乱入事件を忘れないで、次期大統領を選択できるのだろうか。