2度目のダイレクトメールが到来:
未だ対応していないが、「お早めに二つ折りの旧式の携帯電話(FOMA)を離れてスマートフォンに転向するよう」と提案する2回目の手紙が来た。ご親切なことである。前回も愚息たちに相談したが、「電話という意味で考えれば、スマートフォンに切り替える意味はないし、仮令買い換えたとしても、使いこなすことが出来るか否かの疑問もあるし、それほどの投資に意味があるかも疑問だ」ということで、反応しないことにした。私は入れ替えることに興味はあるが、そうした後で使えなくなる事態が何時生じるか(?)を考える時に、無駄な投資を避けようとの考えもあった。
私は2003年の70歳になった時に、止むを得ざる仕事上の事情が発生して、それまで頑強に避けてきたPCを導入した。それだけでも検索は出来るし、Emailもアメリカまで送信できて昔の上司、同僚、友人、知人たちとも交信できるようになって十分満足だった。しかも、PCとその付属品やプリンタへの投資は高齢者には結構な負担であり,その上にスマートフォンにまで出費する必要があるのかと考えた。確かに、チャージしてスマートフォンで支払いが出来れば便利かも知れないし、色々とアプリを採り入れて暮らしを現代風に出来るのかも知れない。
ドコモからの書面には「電話でかんたん!スマホのご購入は電話でできます」等と謳われているが、そうやって購入できても斬新なアプリとやらをどうやってダウンロードするかであるとか、使いこなし方はドコモショップで指導して貰わないことには「ただ単に携帯電話器を入れ替えて、電話だけに使うこと」になってしまいそうだ。宣伝文句には「富士通のらくらくスマートフォンを購入すれば毎月¥1,166の分割払いで、電話料金は最大12ヶ月¥980/月」となっているが、これでも現在の旧式の月額よりも多くなってしまう。負担増だ。
第一に、2020年の現在となると通話や交信すべき相手が残念なら減少する一方だし、現代の何かにつけてもスマートフォンにアプリをダウンロードしてという「スマートフォンによる包囲網」に素直に応じることの価値がどれほどあるかは解らない。だが、「未だガラケイですか」と侮蔑的に言われない為に「どうだ。88歳にしてスマートフォンだ」と胸を張りたい気がしないでもない。何れにせよ、また愚息たちの指導を仰ぐか・
未だ対応していないが、「お早めに二つ折りの旧式の携帯電話(FOMA)を離れてスマートフォンに転向するよう」と提案する2回目の手紙が来た。ご親切なことである。前回も愚息たちに相談したが、「電話という意味で考えれば、スマートフォンに切り替える意味はないし、仮令買い換えたとしても、使いこなすことが出来るか否かの疑問もあるし、それほどの投資に意味があるかも疑問だ」ということで、反応しないことにした。私は入れ替えることに興味はあるが、そうした後で使えなくなる事態が何時生じるか(?)を考える時に、無駄な投資を避けようとの考えもあった。
私は2003年の70歳になった時に、止むを得ざる仕事上の事情が発生して、それまで頑強に避けてきたPCを導入した。それだけでも検索は出来るし、Emailもアメリカまで送信できて昔の上司、同僚、友人、知人たちとも交信できるようになって十分満足だった。しかも、PCとその付属品やプリンタへの投資は高齢者には結構な負担であり,その上にスマートフォンにまで出費する必要があるのかと考えた。確かに、チャージしてスマートフォンで支払いが出来れば便利かも知れないし、色々とアプリを採り入れて暮らしを現代風に出来るのかも知れない。
ドコモからの書面には「電話でかんたん!スマホのご購入は電話でできます」等と謳われているが、そうやって購入できても斬新なアプリとやらをどうやってダウンロードするかであるとか、使いこなし方はドコモショップで指導して貰わないことには「ただ単に携帯電話器を入れ替えて、電話だけに使うこと」になってしまいそうだ。宣伝文句には「富士通のらくらくスマートフォンを購入すれば毎月¥1,166の分割払いで、電話料金は最大12ヶ月¥980/月」となっているが、これでも現在の旧式の月額よりも多くなってしまう。負担増だ。
第一に、2020年の現在となると通話や交信すべき相手が残念なら減少する一方だし、現代の何かにつけてもスマートフォンにアプリをダウンロードしてという「スマートフォンによる包囲網」に素直に応じることの価値がどれほどあるかは解らない。だが、「未だガラケイですか」と侮蔑的に言われない為に「どうだ。88歳にしてスマートフォンだ」と胸を張りたい気がしないでもない。何れにせよ、また愚息たちの指導を仰ぐか・
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