結局は人災ではないか:
専門家の何方かがテレビの報道で、この見出しのような結論を導き出していた。私は相当程度尤もな見解だと思っているので、その辺りを分析してみようかと思う。なお、私は絶対と言って良いほど「コロナ」という表現は使わない。それは簡単な理屈で「明らかに言葉の誤用」であるからだ。“corona”という単語にはウイルスの意味などないのは明らかである。お疑いの向きは英和辞典でもご参照願いたい。
昨21日には医療関係9団体の代表者が集まって記者会見をして、寧ろ悲壮感さえ漂わせながら、医療がどれほど逼迫して危機的であるかを訴えられた。そして、法律の改正がない限り強制力がないと承知だろうが、緊急事態宣言に近いことを発出して貰いたいと要望された。中川日本医師会長の「我が国が世界に誇る医療体制の崩壊が迫っている」と言われたのが白眉だっただろう。私が不思議だと感じたことは、この会見とは別に西村大臣と尾身分科会長も記者会見を開いて「似て非なる事」のプリゼンテーションをしていたことだ。両者間には意思の疎通はないようだ。
西村大臣は「未だ緊急事態宣言は早い」という意味の事を言っておられたようだ。何度でも同じ指摘をすれば、西村氏は決して自らが言い出した形になって責任を問われそうな思い切ったことは言わない大臣なのだ。良く言えば慎重派なのだが、コインの裏側は責任回避しかないお人のだ。今や担当大臣が責任回避を優先している時期は過ぎている。大体からして分科会長と一緒に出てくること自体が疑問だ。彼は少なくとも担当の大臣なのだ。
尾身会長が「感染者の半数以上が夜の飲食店での会合から発生していると言える材料がある」と言われたのは、業者たちにとっては苛酷であり辛い指摘だったのだろう。私は在職中でも夜になって飲み歩く行動とはそもそも縁がない暮らしをしていたので、この種の業界に暗いしまた関心もないので、尾身会長の指摘の正当性の有無には言及できない。だが、事態がここまで来れば、最早彼らを保護する施策を採る時期は過ぎたとしか思えない。可能な限りというかあらゆる手段を尽くして、感染の拡大を回避する事を優先すべきではないのか。
更に言葉を弄ぶ嫌いがある小池都知事も会見され、フジテレビがニュース番組の“it”で「縦読み」と称する語呂合わせをしているのと同じような方式で述べられた後だったか、政府に特措法改正の緊急の決断を求めていた。この辺りが小池都知事の常套手段で、政府よりも先行したことを公に発言するか、誰にでも解っているようなことを先回りして言ってしまうのだ。だが、今回は言うべきだと思わせられることを指摘したと思う。私は菅内閣がよもや「特措法改正」を考えていないとは思わないが、あのように言われては如何にも内閣が後手後手のように国民にも思われるだろう。
そこで菅内閣である。私は西村康稔大臣と田村憲久厚労大臣には全幅の信頼は置けないが、菅首相も厚生労働省も事態がどれほど切迫しているかをご存じではない事はあるまいと期待している。そこで打つべき手が「国会を緊急に開いてでも特措法を緊急事態宣言をも含めて、現在の情勢に見合うように改正するか」または「予算に予備費があるのだったら、精神的にも経済的にも疲弊し切っている病院と医療従事者の一刻も早い救済に乗り出すべきか」、あるいは「感染症の2類から外すか」等を慎重に検討中なのだろうと、未だ好意的に考えようとしている。
極めて重要なことは「ここまで述べてきたことに共通する点は、全て何処かで誰かが思い切って決断すべき事柄ばかりだ」という点だ。いきなり話が身内に飛ぶが、家内は尾身会長の夜の飲食業界原因説を聞いていて「そんなことを言うのならば,呑みに出ていく人にも問題があるのではないか。自粛していれば済むことになる」と言ってのけた。即ち、あれほど自粛を要請されても,人々は呑みにも出ていくし、観光旅行にも渋谷にに浅草にでも出て行くのだ。盛り場でインタービューされた若者が「何処かの国のように罰金でも取られれば・・・」とケロッとして言ったのだった。
要するに「人々の中には自覚もなく自粛の気もない者がいるかと思えば、小池都知事式にカタカナ語で言えば『要請に従順に従って“Stay home”(UKの英語では“Stay at home”となっていたが)している人』もいる」のだ。これ即ち、新型コロナウイルスの問題と言うよりも「人」が起こしている事態ではないのかと言いたい。換言すれば「内閣が思い切った決断をするか」または「人々が自らを守る為にクリスマスがどうの等と戯けて事を言わないで、家に籠もっていようと決断するか」なのではないか。これが出来なければ、事態が一層悪化する「人災」になってしまうのではないか。
専門家の何方かがテレビの報道で、この見出しのような結論を導き出していた。私は相当程度尤もな見解だと思っているので、その辺りを分析してみようかと思う。なお、私は絶対と言って良いほど「コロナ」という表現は使わない。それは簡単な理屈で「明らかに言葉の誤用」であるからだ。“corona”という単語にはウイルスの意味などないのは明らかである。お疑いの向きは英和辞典でもご参照願いたい。
昨21日には医療関係9団体の代表者が集まって記者会見をして、寧ろ悲壮感さえ漂わせながら、医療がどれほど逼迫して危機的であるかを訴えられた。そして、法律の改正がない限り強制力がないと承知だろうが、緊急事態宣言に近いことを発出して貰いたいと要望された。中川日本医師会長の「我が国が世界に誇る医療体制の崩壊が迫っている」と言われたのが白眉だっただろう。私が不思議だと感じたことは、この会見とは別に西村大臣と尾身分科会長も記者会見を開いて「似て非なる事」のプリゼンテーションをしていたことだ。両者間には意思の疎通はないようだ。
西村大臣は「未だ緊急事態宣言は早い」という意味の事を言っておられたようだ。何度でも同じ指摘をすれば、西村氏は決して自らが言い出した形になって責任を問われそうな思い切ったことは言わない大臣なのだ。良く言えば慎重派なのだが、コインの裏側は責任回避しかないお人のだ。今や担当大臣が責任回避を優先している時期は過ぎている。大体からして分科会長と一緒に出てくること自体が疑問だ。彼は少なくとも担当の大臣なのだ。
尾身会長が「感染者の半数以上が夜の飲食店での会合から発生していると言える材料がある」と言われたのは、業者たちにとっては苛酷であり辛い指摘だったのだろう。私は在職中でも夜になって飲み歩く行動とはそもそも縁がない暮らしをしていたので、この種の業界に暗いしまた関心もないので、尾身会長の指摘の正当性の有無には言及できない。だが、事態がここまで来れば、最早彼らを保護する施策を採る時期は過ぎたとしか思えない。可能な限りというかあらゆる手段を尽くして、感染の拡大を回避する事を優先すべきではないのか。
更に言葉を弄ぶ嫌いがある小池都知事も会見され、フジテレビがニュース番組の“it”で「縦読み」と称する語呂合わせをしているのと同じような方式で述べられた後だったか、政府に特措法改正の緊急の決断を求めていた。この辺りが小池都知事の常套手段で、政府よりも先行したことを公に発言するか、誰にでも解っているようなことを先回りして言ってしまうのだ。だが、今回は言うべきだと思わせられることを指摘したと思う。私は菅内閣がよもや「特措法改正」を考えていないとは思わないが、あのように言われては如何にも内閣が後手後手のように国民にも思われるだろう。
そこで菅内閣である。私は西村康稔大臣と田村憲久厚労大臣には全幅の信頼は置けないが、菅首相も厚生労働省も事態がどれほど切迫しているかをご存じではない事はあるまいと期待している。そこで打つべき手が「国会を緊急に開いてでも特措法を緊急事態宣言をも含めて、現在の情勢に見合うように改正するか」または「予算に予備費があるのだったら、精神的にも経済的にも疲弊し切っている病院と医療従事者の一刻も早い救済に乗り出すべきか」、あるいは「感染症の2類から外すか」等を慎重に検討中なのだろうと、未だ好意的に考えようとしている。
極めて重要なことは「ここまで述べてきたことに共通する点は、全て何処かで誰かが思い切って決断すべき事柄ばかりだ」という点だ。いきなり話が身内に飛ぶが、家内は尾身会長の夜の飲食業界原因説を聞いていて「そんなことを言うのならば,呑みに出ていく人にも問題があるのではないか。自粛していれば済むことになる」と言ってのけた。即ち、あれほど自粛を要請されても,人々は呑みにも出ていくし、観光旅行にも渋谷にに浅草にでも出て行くのだ。盛り場でインタービューされた若者が「何処かの国のように罰金でも取られれば・・・」とケロッとして言ったのだった。
要するに「人々の中には自覚もなく自粛の気もない者がいるかと思えば、小池都知事式にカタカナ語で言えば『要請に従順に従って“Stay home”(UKの英語では“Stay at home”となっていたが)している人』もいる」のだ。これ即ち、新型コロナウイルスの問題と言うよりも「人」が起こしている事態ではないのかと言いたい。換言すれば「内閣が思い切った決断をするか」または「人々が自らを守る為にクリスマスがどうの等と戯けて事を言わないで、家に籠もっていようと決断するか」なのではないか。これが出来なければ、事態が一層悪化する「人災」になってしまうのではないか。
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