カタカナ語排斥論者の嘆きと密かな怒り:
今回も私独得の「我が国の英語教育批判でもあり、何処を改革したらより実用性が向上するかの提言でもあるのだが、件名のように無駄な結果に終わるだろう」と承知はしている。でも言っておきたいのだ。
このところというか、近頃は安倍首相を始めとして政治家に加えてマスコミというか評論家や著名人がしきりに使われるカタカナ語に「ウインウイン」がある。あらためて言うまでもないが、その意味はジーニアス英和にもあるように「(交渉などで)双方が満足できる」ことだ。カタカナ語になっている「名詞形」ではない。それによって生じるだろう困ったことは元の英語になったときには名詞としては使えないという点だ。
それは、Oxfordには“win-win”は“only before noun”であって「名詞の前に置く形容詞である」となっていることだ。我が国の嘆かわしきカタカナ語では、99.9%が名詞として使われている。だが、私以外には何方もその誤りを指摘しないのだ。思うに「総理大臣も使っておられるから真似ても良いのだろう」と誤認識している人が多いのではないか。とんでもない誤解だ。
私はカタカナ語排斥論者だが「誤用されているカタカナ語をどうお使いになろうとご随意に。但し、それは本当の英語とは異なる意味で使われていて、我が国で何処かの通信社が創り出したか、先人が苦心して編み出した純粋の日本語として普及させたのであるとお心得を」と言って来た。だから、件名は敢えて「無駄な抵抗」としたのだ。遺憾ながら、私がどう言おうと状態は好転しないだろうという嘆きである。
私は「我が国でカタカナ語を濫用するか、創り出す方々の語彙の広さには尊敬すべき点があると思っている」とも永年指摘してきた。私はお恥ずかしながら、22年以上もアメリカの会社の一員として働きながら、こういう表現があるとは承知していたが“win-win”などという難しい表現を使う機会などなかった。使えた記憶がある表現は“It appears we are in a no-win situation.”だけだった。これは当に“win-win”とは反対の遣い方で「決して勝つ見込みのない」か「うまくいきそうにない」とジーニアス英和に出ている。
しかも、“win-win”の遣い方としてチャンと“situation”という名詞の前で使って「双方共に満足できる状況」という意味なる“a win-win situation”という例文まで掲載されていた。
もうこれくらい言っておけば十分に解って下さる方もおられるだろうと希望的に考えている。何処かで誰かが格好が良いと思ってカタカナ語を幾ら使っても私の知ったことではない。だが、“win-win” は形容詞であって名詞の前に置くべき表現であることくらいは、政治家もマスコミの方々も知っていなければならないのである。
いや、学校教育の何処かで英語の言葉や表現を恣意的にカタカナ語にした場合の、英語での本当の意味や正しい遣い方くらいを教えておくべきなのだ。この程度が我が国の科学としての英語教育の輝かしくない成果では、情けない極みではないか。この程度の基本的なことが解っていないような政治家が、いや文科省が「小学校3年から英語を英語専門ではない先生方に英語を教えさせようというのも、とんでもない誤りである。本当に困ったものだ」と、私は怒り、且つ嘆いているのだ。
今回も私独得の「我が国の英語教育批判でもあり、何処を改革したらより実用性が向上するかの提言でもあるのだが、件名のように無駄な結果に終わるだろう」と承知はしている。でも言っておきたいのだ。
このところというか、近頃は安倍首相を始めとして政治家に加えてマスコミというか評論家や著名人がしきりに使われるカタカナ語に「ウインウイン」がある。あらためて言うまでもないが、その意味はジーニアス英和にもあるように「(交渉などで)双方が満足できる」ことだ。カタカナ語になっている「名詞形」ではない。それによって生じるだろう困ったことは元の英語になったときには名詞としては使えないという点だ。
それは、Oxfordには“win-win”は“only before noun”であって「名詞の前に置く形容詞である」となっていることだ。我が国の嘆かわしきカタカナ語では、99.9%が名詞として使われている。だが、私以外には何方もその誤りを指摘しないのだ。思うに「総理大臣も使っておられるから真似ても良いのだろう」と誤認識している人が多いのではないか。とんでもない誤解だ。
私はカタカナ語排斥論者だが「誤用されているカタカナ語をどうお使いになろうとご随意に。但し、それは本当の英語とは異なる意味で使われていて、我が国で何処かの通信社が創り出したか、先人が苦心して編み出した純粋の日本語として普及させたのであるとお心得を」と言って来た。だから、件名は敢えて「無駄な抵抗」としたのだ。遺憾ながら、私がどう言おうと状態は好転しないだろうという嘆きである。
私は「我が国でカタカナ語を濫用するか、創り出す方々の語彙の広さには尊敬すべき点があると思っている」とも永年指摘してきた。私はお恥ずかしながら、22年以上もアメリカの会社の一員として働きながら、こういう表現があるとは承知していたが“win-win”などという難しい表現を使う機会などなかった。使えた記憶がある表現は“It appears we are in a no-win situation.”だけだった。これは当に“win-win”とは反対の遣い方で「決して勝つ見込みのない」か「うまくいきそうにない」とジーニアス英和に出ている。
しかも、“win-win”の遣い方としてチャンと“situation”という名詞の前で使って「双方共に満足できる状況」という意味なる“a win-win situation”という例文まで掲載されていた。
もうこれくらい言っておけば十分に解って下さる方もおられるだろうと希望的に考えている。何処かで誰かが格好が良いと思ってカタカナ語を幾ら使っても私の知ったことではない。だが、“win-win” は形容詞であって名詞の前に置くべき表現であることくらいは、政治家もマスコミの方々も知っていなければならないのである。
いや、学校教育の何処かで英語の言葉や表現を恣意的にカタカナ語にした場合の、英語での本当の意味や正しい遣い方くらいを教えておくべきなのだ。この程度が我が国の科学としての英語教育の輝かしくない成果では、情けない極みではないか。この程度の基本的なことが解っていないような政治家が、いや文科省が「小学校3年から英語を英語専門ではない先生方に英語を教えさせようというのも、とんでもない誤りである。本当に困ったものだ」と、私は怒り、且つ嘆いているのだ。
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