新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

大変だ、嵐が活動停止を発表した

2019-01-28 08:11:58 | コラム
ジャニーズ嫌いは言う

昨27日には本当に驚かされた。それはどの局だったかすらも記憶はないが、画面に突如「ニュース速報」と出てきたのである。「すは一大事件発生か!」と見守れば、何と詳細は「嵐が2020年12月31日で活動停止」という世の中が引っ繰り返るほど(?!)の大事件が発生したのだった。勿論、ジャニーズを蛇蝎の如くに嫌悪している私は驚き、怒り且つ嘆いていた。それは、これほど我が国の子供からいい歳をした大人までを痴呆化させ、ミーハーに育てたジャニーズ事務所に対する怒りでもあった。

簡単に言うが、頑是無い子供(それも男子ばかり)を集めては下品な芸を仕込み、妙な衣装を着させ、下手くそな歌(それも口パクだという噂)を踊りながら歌わせている罪の深さを一向に反省していないことが腹立たしいのだ。この事務所の罪悪はそれだけに止まらず、迂闊に逆らうとそのガキどもをテレビ局等に出さないといって威張っているそうだ。私はそのガキども(とはいっても嵐の輩は皆30歳台後半で最早良い大人だ)が画面に見えれば、チャンネルを変えることもあるほどあの下品さに参っている。

しかし、テレビ局にはあのガキどもを尊重して頻繁に使うところもあるし、宣伝広告会社に至っては彼らをCMに重用している情けなさだ。それで効果が挙がってるとしたらもっと情けない世の中だ。その情けなさの極みは活動停止の悲報を聞かされて、2年近くも先のことなのに泣き崩れた女性が沢山いたことだった。ジャニーズ事務所とテレビ各局の日本国民の白痴化工作は、十分に効果を発揮していたことだと明らかになった。

もうこれくらいで良いだろうが、こういうことがあると、某テレビ局とD広告宣伝会社がその作品の低俗性を批判した言わば知識階級に属する方々に「貴方のような方々に向けて番組(あるいはCM)は作っていないのだ」と言い切ったのが、残念なほど且つ悲しいほど、現実的で良く理解できるのだ。私は情けないことだとしか感じないのだが。


1月27日 その3 「世界の3大経済大国に思う」の訂正版

2019-01-27 17:33:33 | コラム
何故中国の人口1人当たりの名目消費量が低いのだろう:

私はもう何年もこのRISIが公表する統計を見るのを楽しみにしている。最近は特に中国の消費量が常に低く、上位30ヶ国のリストにかすりもしない点に大いに興味を感じている。RISIは17年度の中国の人口を13億7,930万人として計算しているが、簡単に割り切れば「その大多数の生活水準が未だに先進工業国のそれには遙かに及ばないことを示している」という月並みなことが言えるかと思う。だが、10年ほど前に3度も行った上海の水準などは先進工業国どころではないと既に感じさせてくれていた。

その中国が世界第1位の経済大国であり、紙・板紙の生産量も消費量も往年の1位のアメリカを遙かに凌駕する1億トン台に達し、17年度の全世界紙・板紙の生産量 4億9,687万トンの27.6%を占めていたという凄まじさである。では、世界第2位の生産国・アメリカの1人辺りの消費量は如何なる状態かと見れば、215.5 kgと前年比△1.4%で世界第4位だった。生産量第3位の我が国は208.9 kgで0.1%のプラス成長ではあったが、世界第7位だったという低調?振り。

中国はRISIの発表では17年度は82 kgと、16年度には77 kgだったので6.5%の成長ではあった。因みに、15年度は74 kg。これは全生産量の伸びが2.1%だったことと比較すれば、個人の消費量は大いに成長していたことを示していると思う。それは何故かと推理してみれば、古くから指摘されてきた「中国の統計は仮令公式なものでも信じきれない面がある」事もあるだろう。だが、私はそれよりも「中国ではICT化というかペーパーレス化が先進工業国よりもその進展の速度が速く、印刷用紙や情報用紙の消費が余り進んでないないのではないか」と考えて良いのではないかと思っている。

今や世界各国ではICT化というかデイジタル化が急速に進行し、印刷(紙)媒体への需要が低迷しているのは間違いないところである。RISIの統計でも1人当たりの名目消費量の上位10ヶ国中の半数の5ヶ国では前年比でマイナス成長となっていた。30位までで成長を見せた国でも中国のような6.5%という高い成長率を見せていた国がなかった。ということは、18年辺りには中国では未だ高度成長が続いていたと推理できる気がする。それに、我が国もアメリカでもマイナス成長が続くのではないかとも言えると思う。

それにつけても恐ろしいことは、中国で生活水準も上がりデイジタル化が進んだとすると、13億人もの人口を抱えていれば、もしも1人当たりの名目消費量が我が国の17年度と同水準の200 kgに達したと仮定すると、それを賄う生産量は2億6,000万トンという途方もない量に達するのだ。私には最早現今の世界の原料供給能力や紙・板紙の生産能力が如何ほどか知りようがないが、それを賄うだけに膨大な原料を何処の誰が供給可能かと考えて見ると、空恐ろしいような気もしてくる。

しかも、RISIの発表では最早紙・板紙の生産能力では北アメリカはその中心勢力ではなくなりつつあると指摘されていたし、今後とも成長を続け需要が増加していくのはBRICSのような諸国になって行くのではないかと考えられる。例えば、今や世界的な輸出国となったインドネシアなどは生産量では世界第5位だったが、消費量全体では12位で、2億6,000万人の人口では1人当たりの名目消費量では30位にはとても入らないで、中国の半分以下の31 kg辺りなのだ。私は世界の紙・板紙の需給の未来は恐ろしいことになりはしないかと見ているのだ。

参考資料:紙業タイムス社刊 FUTURE 19年1月28日号

1月27日 その2 世界の3大経済大国を考えると

2019-01-27 15:58:41 | コラム
何故中国の人口1人当たりの名目消費量が低いのだろう:

私はもう何年もこのRISIが公表する統計を見るのを楽しみにしている。最近は特に中国の消費量が常に低く、上位30ヶ国のリストにかすりもしない点に大いに興味を感じている。RISIは17年度の中国の人口を13億7,930万人として計算しているが、簡単に割り切れば「その大多数の生活水準が未だに先進工業国のそれには遙かに及ばないことを示している」という月並みなことが言えるかと思う。だが、10年ほど前に3度も行った上海の水準などは先進工業国どころではないと既に感じさせてくれていた。

その中国が世界第1位の経済大国であり、紙・板紙の生産量も消費量も往年の1位のアメリカを遙かに凌駕する1億トン台に達し、17年度の全世界紙・板紙の生産量 4億9,687万トンの27.6%を占めていたという凄まじさである。では、世界第2位の生産国・アメリカの1人辺りの消費量は如何なる状態かと見れば、215.5 kgと前年比△1.4%で世界第4位だった。生産量第3位の我が国は208.9 kgで0.1%のプラス成長ではあったが、世界第7位だったという低調?振り。

中国はRISIの発表では17年度は82 kgと、16年度には77 kgだったので6.5%の成長ではあった。因みに、15年度は74 kg。これは全生産量の伸びが2.1%だったことと比較すれば、個人の消費量は大いに成長していたことを示していると思う。それは何故かと推理してみれば、古くから指摘されてきた「中国の統計は仮令公式なものでも信じきれない面がある」事もあるだろう。だが、私はそれよりも「中国ではICT化というかペーパーレス化が先進工業国よりもその進展の速度が速く、印刷用紙や情報用紙の消費が余り進んでないないのではないか」と考えて良いのではないかと思っている。

今や世界各国ではICT化というかデイジタル化が急速に進行し、印刷(紙)媒体への需要が低迷しているのは間違いないところである。RISIの統計でも1人当たりの名目消費量の上位10ヶ国中の半数の5ヶ国では前年比でマイナス成長となっていた。30位までで成長を見せた国でも中国のような6.5%という高い成長率を見せていた国がなかった。ということは、18年辺りには中国では未だ高度成長が続いていたと推理できる気がする。それに、我が国もアメリカでもマイナス成長が続くのではないかとも言えると思う。

それにつけても恐ろしいことは、中国で生活水準も上がりデイジタル化が進んだとすると、13億人もの人口を抱えていれば、もしも1人当たりの名目消費量が我が国の17年度と同水準の200 kgに達したと仮定すると、それを賄う生産量は2億6,000万トンという途方もない量に達するのだ。私には最早現今の世界の原料供給能力や紙・板紙の生産能力が如何ほどか知りようがないが、それを賄うだけに膨大な原料を何処の誰が供給可能かと考えて見ると、空恐ろしいような気もしてくる。

しかも、RISIの発表では最早紙・板紙の生産能力では北アメリカはその中心勢力ではなくなりつつあると指摘されていたし、今後とも成長を続け需要が増加していくのはBRICSのような諸国になって行くのではないかと考えられる。例えば、今や世界的な輸出国となったインドネシアなどは生産量では世界第5位だったが、消費量全体では12位で、2億6,000万人の人口では1人当たりの名目消費量では30位にはとても入らないで、中国の半分以下の31 kg辺りなのだ。私は世界の紙・板紙の需給の未来は恐ろしいことになりはしないかと見ているのだ。


オーストラリアオープンテニス雑感

2019-01-27 10:33:49 | コラム
私の感性で捉えたテニスの大会:

昨27日はNHKの夜7時のニュースを見ていたら、自然にテニスの中継になってしまった感じて、結局は大坂なおみさんが勝ちきるところまで延々と見ることになってしまった。何れにせよ大坂さんは大したものであると思う。何しろグランドスラムなるものを二つ続けて獲ってしまったのだから。私は昨年にUSオープンで優勝した時には未だ「出会い頭かも知れない」と未だその実力には懐疑的だった。だが、今回の優勝で本物だと認めるべきだと考えるようになった。その決勝戦を見て感じたことを述べていこう。

誰が言ったことか記憶が定かではないのだが、(試合がそれほど伯仲し、大坂さんが勝ちきれるかどうかと案じながら見ていたので)何処かで「大坂なおみは日本で育てたテニスの選手ではないので」と言うのが聞こえてきた。尤もではあると思わせてくれる要素が多いが、私はかの錦織圭君にしたところで、本格的に育てたのはアメリカのフロリダにあるスポーツ専門のIMGアカデミーだと思っている。言い方を変えれば、多くのプロテニス選手はこの学校から育っているが、大坂さんのようにここを経ずとも世界的な大会を続けて勝てるようにはなるのだと知り得た次第だ。

私は未だに大坂なおみという人が日本とアメリカのに重国籍になっている訳が解らないし、アメリカ側から大攻勢をかけられていながら日本国籍の選手として試合に出ている理由も良く解らない。勿論、国籍の問題については確たる知識はないが、彼女は大阪で生まれて3歳まで日本にいたと聞くが、それで何故アメリカとのに重国籍になっているのかが解らないのだ。父親がハイチ系アメリカ人と聞くが、そういう事情があるとアメリカ国籍を取得できるのだろうか。私は日本国籍というのならば、あの長い髪の毛を途中から染めているアフリカ系のアメリカ人が屡々やっているようなことをするのも不思議な気がするのだ。真っ向から言えば止めて欲しい。

昨夜の試合振りを見ていた、テニスのことを良く知らないままに感じたことがあった。それは彼女が得意とするラインギリギリを狙った絶妙なショットでポイントを稼ぐ技術である。一見力(マスコミも解説者も何でわざわざ「パワー」というカタカナ語だけを使いたがるのだろう)が溢れているストロークの選手でありながら、あのような難しいところを狙って正確なショットを打ち出す能力は大したものだと感心させられる。面白いことに錦織圭もこのてのショットを売り物にしている感がある。

因みに、英語の講釈をしておくとOxfordには“power”とは真っ先に“the ability to control people or things”と出てくる。ジーニアス英和だって「・・・に対する権力、勢力、(法的)権利、支配力、権限」とある。カタカナ語の「力」乃至は「腕力」とはほど遠い気がする。この辺りがカタカナ語の奇妙な特徴である。だが、彼らは躊躇せずに「パワー」か「パワフル」を使うのだ。多分、英和辞書も、電子辞書も持ち合わせがなくて確認できなかったのだろう。お気の毒だ。

表彰式に移ってからは、当然だがオーストラリア人の(テニスの関係者か元選手か)が司会のように仕切り始めた。私の興味はアメリかでは大坂さんのファースネームである“Naomi”は「ネイオミ」と発音されたものがどうなるかにあった。即ち、オーストラリアのアクセントではどうなるだろうかと言えば「ナイオミ」となる確率が高いと思っていたのだ。実際に聞こえてきた呼び方は「ネイオミ」に近いものだった。、解説しておくとUK系の国の英語では、“A”は多くの場合「アイ」と発音されているのだ。

昨夜は名前は「ナイオミ」にはなり切っていなかったが、その後で「お目出度う」に相当する“congratulations”はチャンと「コングラチュライションズ」とオーストラリア風になっていた。更に付記しておけば、我が国ではテレビなどでこの単語を発音する場合には、殆ど単数のままで「コングラチュレーション」なのである。こういう文法的なことをしっかり教えていなくて、大学入試センター試験ではあのような難解であり、読解力に重きを置いた問題を出す性根が解らない。

兎に角、大坂さんは大したもので、このまま精神面(「メンタル」と言うようだが、これは形容詞であると承知しているのか)をも鍛え上げていけば、グランドスラムなる4大大会の全部を制覇するのもそう遠い将来ではないのかも知れないと思いながら「偉いものだ」と密かに褒めていた。でも、観戦して少し疲れる試合だった。告白すれば、第2セットで40:0から続けざまにマッチポイントを落とした時には「この様ではこの試合は・・・」と、危機感を抱いていたが。


アジアの大会に出場中の我が代表テイームに思う

2019-01-26 09:11:20 | コラム
我が代表はフェアーに善戦健闘であると思って見ている:

西野・岡田対談:

昨25日の夜にNHKのBSで西野朗と岡田武史の前と元の日本代表の監督が、W杯での戦い方等を中心に回顧談でもあり、我が国のサッカーが今後進むべき方向等を語り合っていた。

検索でもして調べれば解ることだが、私は両者が共に早稲田の出身であるとは承知しているが、どちらが上級生だったかは解らないままに大いなる興味を以て聞いていた。岡田武史は以前に矢張りNHKだったと思うがサッカー観について語らせていたので、かなりの理論派であるとは承知していたが、西野については全く知らなかったので、何を言うかに大いに関心があった。

この対談の深い内容についてはここでは詳細に論じないが、私が興味を感じたことはW杯を目前にしてハリルホジッチと交代した西野監督が、欧州でろくに試合に出る機会を与えられていなかった香川、本田、岡崎等を敢えて代表に招集し、しかも彼らを活かしていった手法には大いに感心させられた。西野監督はあの誇り高そうな本田に「先発メンバーとして使わない」と言い聞かせて置いたと言ったのには、見事な人の使い方だと感心させられた。

あのロシアでのW杯には彼らの他に経験者としては長谷部、長友、川島等がいた訳で、その意味では彼ら以外に新たに選ばれてきた者たちに見本ともなったし、W杯でサッカーをやる心得のようなものを具体的にも精神的にも示せたのは良いことだと思わせてくれた。即ち、西野監督は欧州で髀肉の嘆を囲っていた者たちを蘇らせただけではなく、テイーム全体の現場での指導者的な役割をも担わせていたと見て良いのだと思って聞いていた。それでも結局は、あのベルギー戦での残り数秒での逆転を食らったのだった。

私はあの場面で途中から入れた本田がエキストラタイム中にFKでゴールを狙ってCKを得た時に「ここでもう1点獲りにいく気か、所謂ショート・コーナーに持って行って時間潰しを図って延長戦に持ち込むとの何れを選ぶのかと、瞬間的に非常なる関心を持って見守っていた。私は後者を選択していた。だが、西野監督はそれは全く考えていなかったと言っていた。それがどうのというのではなく、それこそが監督の判断であるということだから、異議を挟む余地はないと思って聞いた。

アジア大会代表テイーム論:
対談の件はそのくらいにして現在の代表テイームとその森保一監督について考えて見たい。西野監督の方針との大きな違いは、ロシアでのW杯の経験者を大迫や酒井宏樹や柴崎等を除けば殆ど採用していない点にあると思う。しかも、この3人は嘗ては主力ではなく香川等の経験豊かな見本的な選手たちの影の存在だった者たちである。即ち、この度森保監督によって選ばれてきた者たちの見本になるとか、世界的(ACLが世界的か否かは疑問だが)な大会での戦い方の指導者たり得るのかは疑問だと思っている。

しかしながら、私が勝手に森保監督の立場になって考えれば、「何処かで世代交代を図らないことには、何時まで経ってもW杯出場が2回だの3回だのという古手への依存から脱却できない」との判断をしたのだろう。何時かはやってくる無慈悲な時の流れを読んだ選考をしたと言って良いかと思って見ている。その結果であそこまでは勝ち上がったが、長谷部のような手堅い指導者もおらず、攻撃の起点になるような動きをする者は未だ不在で、強力なポイントゲッターは育っていないという次元にあると見ている。

即ち、吉田麻也と長友佑都の2人では見本にはなり得るかも知れないが、私の目には未だ精神的支柱にまではなりきれていないと見えるのだ。柴崎や遠藤や堂安や南野が中心になって攻撃を組み立てていけるようなサッカーは、言わば“under construction”なのではないのか。私は以前にも指摘していたが、大迫は抜けてみれば「彼がいるいないではこれほど違うのか」とまでは見せてくれたが、強力なポイントゲッターと言うよりも、攻撃の起点になろうと努力しいているプレーヤーにしか見えないのだ。

お断りしておくが、これは森保監督批判の文章ではない。彼が監督に就任してから何ヶ月経ったかをお考え願いたい。「あの次元にある代表テイームで、よくぞあそこまで持って行った」と評価して上げるべき時なのだ。マスコミ論調ではアジア大会での優勝が義務であるかの如くだが、それはないだろうと私は見ている。勿論、優勝するに越したことはないが、それは非常に難しいと見ている。

それは準決勝に残った顔触れをご覧願いたいのだ。中近東勢ばかりで、しかも試合会場がその中近東だ。私が何を言いたいかをお察し頂けると思うが、既に指摘してあるように、ここから先は“The fair play club“対”The unfair play club“の対決が続くのだ。これを言い過ぎだと批判したい方もおられるだろうが、哲学が全く異なる連中との対決である以上、苦戦が続くと思っている。例えば、「自分で反則を犯しながら、相手に直ちにFKをさせない為にボールを拾って持ち去ってしまうような小汚いこと」を日本の選手がするかということ。