毀誉褒貶相半ばするという辺りか:
本25日朝もテレビでは昨日の記者会見のビデオだと思うが「ステイ・ホーム」で「セーブ・ライフ」を先に言ってから「外出をしないで、命を守りましょう」と言っていた。順番が逆で鼻につくし、カタカナ語に言う見え透いた「スタンドプレイ」である。尾身茂氏の真似をして「オーバーシュート」などと英語の言葉を平然として誤用するくらいだから、私は小池さんは正しく英語を理解してはおられないと断定している。だが、英語を乱用するからと言って、その業績を正当に評価しなければ「フェアー」ではないとなってしまう。
私は正直に言って、小池東京都知事の新型コロナウイルスの感染が本格化して以来の素早い(安倍内閣を出し抜いた感が濃厚な)対策の打ち出し方を「素晴らしい」と評価すべきか、来たるべき7月の選挙を十二分に意識した「スタンドプレイ」と見るかは、意見が分かれると思っている。評価されるとしたら「政府の危機対応能力が不慣れで不十分であり、且つ後手・後手の継ぎ足し方式でしかない為に、小池都知事の動きが如何にも敏捷で時宜を得ていると認められるのだ」と思っている。
小池都知事が打ち出した対策は速さが売りであって、その内容には特段の斬新さがない事が多い。だが、安倍内閣が西村康稔大臣を使って打ち出してきた対応策を小池都知事を評価する側から見れば、東京都の対策のカーボンコピーみたいなものだと言われそうなほど当たり前で「良くそこまで考えて下さいました」と感謝したいようなものがなかった。それだけに、小池都知事の動きが目立ったし、新型コロナウイルス対策の基準の設定のようにすらなってしまった感が濃厚なのだ。私は出し抜かれてばかりいる西村康稔大臣の小池都知事に対する管理能力不足の問題だと思っている。
ここで強調しておきたいことは、先日引用した1953年に経験したアルバイトで、アメリから来たイタリア系アメリカ人の真珠の買い付けに商人が言った“Speedy is the essence”が小池都知事の動きにも現れていると思っている。小池都知事の対応策も決して「そこまで幅広く範囲を広げて、厳しく規制するか」という類いではなく、言うなれば安倍内閣式の小出し戦術なのだが、「先んずれば人を制す」の典型的な例になっていると思う。それほど政府の対策が相対的に鈍足であるという意味だ。10万円の一律給付にしても、その不手際が小池都知事のスピード感の前に霞んだと思っている。
私はテレビ局がそもそも如何なる方針の下に連日のように小池都知事の記者会見をさも重大事のように中継するのか推察しようもないが、あれではトランプ大統領どころではない選挙対策のお手伝いのボランティアだとしか思えないのだ。私はまさか安倍内閣が小池都知事に意図的に先に何か言わせて置いて、その反応を見てから政府の対応策を考えようとでも考えているのかと、ふと疑いたくなっている。そうでなければ、あのスタンドプレイを看過するのは宜しいとは思えないのだ。私に言わせて貰えば「何様のつもりか」なのだ。
だが、あれほどの対立振りを見せていた森喜朗組織委員会長との関係も何時の間にやら「仲睦まじく」とでも形容したいように変化させて、開催か延期かのIOCとの電話会談にもちゃんと参加されている巧妙さも「如何にオリンピック開催都市の知事として真剣に取り組んでいるか」を見事に示していたと思う。私はその辺りまで「スタンドプレイ」と批判したら不適切かも知れないと思いながらテレビの報道を見ていた。だが、もしもIOCの意向通りに来年の7~8月に開催できれば、そこに至るまでの膨大な経費(予算)に如何に立ち向かうかについては手腕を問われるだろう。
自民党の二階幹事長が小池支持を打ち出され、自民党内にこれという対抗馬見当たらない以上、小池百合子さんの再選の確率は高いのかも知れない。私の小池都知事に対する評価は「築地から豊洲移転に際して見せた不手際と新党樹立の失態を、今回の抜け駆け的で且つスタンドプレイ的な新型コロナウイルス対応でほぼ帳消しにしだけだ」であり、マイナスからゼロに戻ったところで、これから先の感染防止策如何では再びマイナスに落ち込む危険性もあるかと見ている。だが、現在では都民としては彼女に託す以外の道はないのだ。
ここで最後の本気で批判すると「『スタンドプレイ』(これはカタカナ語であり、英語では“grandstanding”などと言うようだ)は排除して貰いたいことと、知った風な顔で話の中に英語を交ぜるのはお辞めになった方が良い」という辺りだ。私は何度も指摘して来たことで「カタカナ語を交えて語る人は衒っているだけで、本当に英語が解っているのではない」のだから、私は「知ったかぶりはお辞めになる方が身の為だ」と教えて差し上げたくなる。例えば「オーバーシュートは誤用だ」と何度指摘して来たことか。底が浅いと見ている人は私以外にもおられると思うのだ。
本25日朝もテレビでは昨日の記者会見のビデオだと思うが「ステイ・ホーム」で「セーブ・ライフ」を先に言ってから「外出をしないで、命を守りましょう」と言っていた。順番が逆で鼻につくし、カタカナ語に言う見え透いた「スタンドプレイ」である。尾身茂氏の真似をして「オーバーシュート」などと英語の言葉を平然として誤用するくらいだから、私は小池さんは正しく英語を理解してはおられないと断定している。だが、英語を乱用するからと言って、その業績を正当に評価しなければ「フェアー」ではないとなってしまう。
私は正直に言って、小池東京都知事の新型コロナウイルスの感染が本格化して以来の素早い(安倍内閣を出し抜いた感が濃厚な)対策の打ち出し方を「素晴らしい」と評価すべきか、来たるべき7月の選挙を十二分に意識した「スタンドプレイ」と見るかは、意見が分かれると思っている。評価されるとしたら「政府の危機対応能力が不慣れで不十分であり、且つ後手・後手の継ぎ足し方式でしかない為に、小池都知事の動きが如何にも敏捷で時宜を得ていると認められるのだ」と思っている。
小池都知事が打ち出した対策は速さが売りであって、その内容には特段の斬新さがない事が多い。だが、安倍内閣が西村康稔大臣を使って打ち出してきた対応策を小池都知事を評価する側から見れば、東京都の対策のカーボンコピーみたいなものだと言われそうなほど当たり前で「良くそこまで考えて下さいました」と感謝したいようなものがなかった。それだけに、小池都知事の動きが目立ったし、新型コロナウイルス対策の基準の設定のようにすらなってしまった感が濃厚なのだ。私は出し抜かれてばかりいる西村康稔大臣の小池都知事に対する管理能力不足の問題だと思っている。
ここで強調しておきたいことは、先日引用した1953年に経験したアルバイトで、アメリから来たイタリア系アメリカ人の真珠の買い付けに商人が言った“Speedy is the essence”が小池都知事の動きにも現れていると思っている。小池都知事の対応策も決して「そこまで幅広く範囲を広げて、厳しく規制するか」という類いではなく、言うなれば安倍内閣式の小出し戦術なのだが、「先んずれば人を制す」の典型的な例になっていると思う。それほど政府の対策が相対的に鈍足であるという意味だ。10万円の一律給付にしても、その不手際が小池都知事のスピード感の前に霞んだと思っている。
私はテレビ局がそもそも如何なる方針の下に連日のように小池都知事の記者会見をさも重大事のように中継するのか推察しようもないが、あれではトランプ大統領どころではない選挙対策のお手伝いのボランティアだとしか思えないのだ。私はまさか安倍内閣が小池都知事に意図的に先に何か言わせて置いて、その反応を見てから政府の対応策を考えようとでも考えているのかと、ふと疑いたくなっている。そうでなければ、あのスタンドプレイを看過するのは宜しいとは思えないのだ。私に言わせて貰えば「何様のつもりか」なのだ。
だが、あれほどの対立振りを見せていた森喜朗組織委員会長との関係も何時の間にやら「仲睦まじく」とでも形容したいように変化させて、開催か延期かのIOCとの電話会談にもちゃんと参加されている巧妙さも「如何にオリンピック開催都市の知事として真剣に取り組んでいるか」を見事に示していたと思う。私はその辺りまで「スタンドプレイ」と批判したら不適切かも知れないと思いながらテレビの報道を見ていた。だが、もしもIOCの意向通りに来年の7~8月に開催できれば、そこに至るまでの膨大な経費(予算)に如何に立ち向かうかについては手腕を問われるだろう。
自民党の二階幹事長が小池支持を打ち出され、自民党内にこれという対抗馬見当たらない以上、小池百合子さんの再選の確率は高いのかも知れない。私の小池都知事に対する評価は「築地から豊洲移転に際して見せた不手際と新党樹立の失態を、今回の抜け駆け的で且つスタンドプレイ的な新型コロナウイルス対応でほぼ帳消しにしだけだ」であり、マイナスからゼロに戻ったところで、これから先の感染防止策如何では再びマイナスに落ち込む危険性もあるかと見ている。だが、現在では都民としては彼女に託す以外の道はないのだ。
ここで最後の本気で批判すると「『スタンドプレイ』(これはカタカナ語であり、英語では“grandstanding”などと言うようだ)は排除して貰いたいことと、知った風な顔で話の中に英語を交ぜるのはお辞めになった方が良い」という辺りだ。私は何度も指摘して来たことで「カタカナ語を交えて語る人は衒っているだけで、本当に英語が解っているのではない」のだから、私は「知ったかぶりはお辞めになる方が身の為だ」と教えて差し上げたくなる。例えば「オーバーシュートは誤用だ」と何度指摘して来たことか。底が浅いと見ている人は私以外にもおられると思うのだ。