新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

近頃一寸気になる事

2022-04-26 08:39:55 | コラム
何故そうなるのかな、それで良いのかな:

ウクライナからの避難民受け入れ:
岸田内閣は既に700人近いウクライナからの避難民を受け入れているし、可能な限りの保護をしていると報じられている。善行だろうと思って見ている。古い言い方をすれば「義を見てせざるは勇無きなり」をその通りに実践して、我が国には勇気があるところを示したのだろう。

だが、一寸気になる点がある。それは、我が国がこれまで難民受け入れ、乃至は難民認定をしない国だとマスコミが指摘して来たことだ。即ち、「陸続きのヨーロッパでは紛争が続く中近東とうからの膨大な数の難民を受け入れているのに対して我が国は」という論調だった。しかし、一方では我が国は嘗て「人命は地球より重い」との歴史的な名言の元に超法規的に獄中から犯罪者を解放した例があった。

私はウクライナ以外から我が国にやって来て、難民認定をされていない者たちが何らかの声を上げはしないかと、一寸気になっているのだが。更に他の国からも「ウクライナからが良ければ我が方からも」と、なりはしないのも気懸かりだ。

橋本徹氏:
この自称「コメンテーターであり、もう政治には打って出ない」方は、大阪府や市の首長を退任された後は、一躍テレビ界の寵児になられたと見ていた。そして、私は橋下氏の行政職と弁護士の経験に基づいた言論を興味深く且つ独得(カタカナ語にすれば「ユニーク」か)と評価して、毎週のように日曜日の朝7時半からのフジテレビへの登場に期待していた。ところが、彼は私の知らないところで「ウクライナは投降せよ説」を唱えていたと聞いて「アレッ」と思わせられ、急激に彼への興味と関心が衰えてしまった。

報道による彼の主張を知った限りでは、根本的に否定はしないが、どう読んでもロシアの非道振りを否定していないようなのが気になった。同時に、彼のフジテレビでの一聴過激風の論調にも関心がなくなって、先々週から聞かなくなってしまった。と言うよりも、彼が登場して何を論じられるかを確かめもしなくなった。残念なことかも知れない。

だが、敢えてカタカナ語を使えば「私にとってメリットもある」のだ。それは、その時間帯を有効に使って7時半前から落ち着いてブログの更新に当てられるからだ。即ち、The Primeとそれに続くTBSの張本勲ではなくなっても見ている「喝」の時間までに、更新を完了できる余裕が生じたのだから。

ここで、余りアクセスが伸びない原因になっていると残念に思う「カタカナ語」の解説をしておくと、「メリット」は英語の本来の意味を離れて「advantage=有利な点、強み」を表したい時に使われていて、“merit”本来の「長所、利点」とは違うことになっているのだ。

大谷翔平君と鈴木誠也君:
毎朝のように彼ら2人のMLBでの動静が伝えられているのは、ウクライナ動乱のような気が滅入る報道よりも遙かにマシである。でも、一寸気になる点はあるのだ。先ずは大谷君から行けば、最早MLBにおける圧しも圧されもしない大スターである彼を、マスコミが優先的に囃し立てることだ。当方の持論では「当人が意識しようとしなくても、マスコミに過剰に持ち上げられた選手には屡々悪い結果が出る」となっている点だ。

決して、25日の時点で打率が0.23でホームランが3本だけという点が気になっているのではない。アメリカ人たちのように二進法でしか物を考えない人たちは「昨日まではチヤホヤしても、今日駄目だったらアッサリと弊履のように捨て去る危険性がある」事を言っているのだ。彼は大丈夫だと思っているが、何分にも悲観論者は「万が一」を思うと気になるのだ。

鈴木誠也君だが、出来過ぎではないのかと見て気になっている。「始めの勝ちは嘘勝ち」と俗に言われているではないか。何名かの専門家と報道機関は「鈴木誠也程度の力ではMLBでは中距離打者程度の評価しかされないだろう」と言って、その進出に余り期待していなかった。私は良い選手だとは思うが、気まぐれというのか精神集中力を欠いたような欠点あると見ていたので、転進を疑問に思っていた。それが、あの週間MVPまで受賞する出来だ。即ち、線香花火に終わりはしないのかと気になっているのだ。

テレ朝御用達の金村義明は「今のうちは打てるだろうが、何れMLBの各球団は十分にスカウティングをして彼の欠陥を突くようになるだろうから、その時が来ても打てるのかどうかが問題で、如何にアメリカの野球に対応できるかだ」と指摘していた。同感だし尤もだと思う。少しでもアメリカを理解していれば言えることだと思って聞いた。

気になる点はといえば「5月以降も打ち続けられるか」だ。筒香が何回戦力外になったかを考えれば分かることだろう。大谷君だって“two way”がものになったのは昨シーズンからだったではないか。念を押しておけば「アメリカ人の二進法的思考体系では、熱しやすく冷めやすい」のを忘れてはならないのである


Price increaseは鬼門

2022-04-25 09:46:04 | コラム
ロシアによるウクライナ侵攻と円安が束になってやって来た:

この見出しのような悪材料がほぼ同時に発生した為に、エネルギーの高騰だけに止まらず、多くの消費者向けの製品も一斉に値上げの季節となってしまった。今日までに値上げという行為に非常に慎重だったというか臆病だった我が国のメーカーが踏み切り始めたのは、エネルギー・原材料・輸送費・供給不足等々が余程深刻なのだろうと察している。平常時ならば、製品を値上げすれば収益が好転して賃金も上げるものなのだと思うが、賃金が大中小の企業を問わずに上がったという話は聞こえては来ない。

私が20年以上もアメリカの会社の営業担当者としての視点から見てきたことは「我が国の市場ではお客様に迷惑をかけてはならないという大義名分から、コストが如何に上昇しても内部に於ける合理化等々に苦しい工夫を凝らし利益を犠牲にしてまでも、上昇分を製品価格に転嫁することを避けてきた」と見てきた。

また、その背景には「成長を停止した需要に対して供給が過剰になってしまったが為に過当競争となり、迂闊に値上げなどの挙に出れば同業他社に得意先を奪われるのではないか」との懸念があったようだった。要するに「お客様の為に耐え忍ぶ」という美徳が広く普及しているかのような感があった。その市場にあって製造業界は中間の業者や需要家とまでも慎重に値上げの話し合い(お伺いを立てるのか、交渉ではない事もある)をさせて頂く必要があったと見ていた。

このような特性というか「耐え忍ぶ」という美風がある日本市場に進出してきた海外、特にアメリカのメーカー、乃至は我が社と言っても良いかも知れない、Price increaseは「鬼門」とでも言えば良いかも知れない一大難事業だった。何故そういうのかだが、アメリカ市場においては「値上げとは通告か告知するだけのこと」であり「話し合うこと」ではなかったのだから。しかも、我々製紙産業界だけのことかも知れないが、アナウンス(announce=公表する)するか、ポウスト(post=公示する)するかで済むことだった。

アメリカ人というか経営者たちの頭の中にあることは「コストが上昇すれば、直ちに製品価格に転嫁して消費者に受け入れて貰うのは当然のこと」なのだ。即ち、二進法の考え方では「値上げするかしないか」の二択なのだから。株主の為と会社のより良い運営の点から考えれば「よし、値上げしよう」となっていくのだ。私は極めて大雑把に言えば「だからアメリカではインフレが進行しているのだ」と考えられると思う。

だが、この考え方というか姿勢は我が国の市場にはおいそれとは通用しなかった。私は副社長兼事業部長がどう受け止めていたのかまでは聞きだしていないが、私にとっては値上げ交渉が鬼門だった。流石に我が国の市場の異文化というか特性に慣れた我が事業部では、3M社の「ポストイット」(Post-it)ではないのだから、一片の通告だけで済まそうとはせずに時間をかけてでも「何故上げねばならないのか」をご理解願うように懸命に努めた。大変な難事業だった。値上げが通った後では、それこそ副社長と乾杯したい思いだった。

このような我が国の市場で連日のように電気・ガス等々のエネルギーを始めとして、続々と5月や6月からの食料品の値上げが通告されているのは、ロシアによるウクライナ侵攻に起因する穀物等々の供給態勢の問題に加えて「悪い円安」が遠からぬ将来に¥130台にまで達するだろうとの予測があるほど弱くなっている為のようなのだ。円安は何もアメリカドルに対してだけではなく、牛肉や鉄鉱石の輸入に頼っているオーストラリアドルに対しても10%に近く弱くなっていたのだ。

昨年度では紙・板紙類はこの円安下でも出超となっていたが、これを例外と考えるべきではないかとすら考えている。今や如何に我が国の製品の質が優れているとはいえ、世界の各国が我が国からの輸入品を喜んで迎え入れるほどの品薄の状態にあるとも思えないし、それほど好景気を謳歌している状態ではあるまいと勝手に考えている。第一に、我が国はGDPで見れば輸出立国の時代は過ぎているのだ。

私などには、このような現状を如何に切り抜けて、何十年も上がっていない初任給を他の先進国に追い付き、嘗てのLDCを先導するような地位にまで如何にして持っていくかなどは知らない。ただ黙ってG7、G20、QUAD、UNKUS、NATO等々(UNには何ら期待しないが)が現状を如何にして中国やインド等を抑えて改善して、平和で安全な時代を再現してくれるかを、少しだけ期待して待っているだけだ。


英語とカタカナ語は厄介だ

2022-04-24 08:47:54 | コラム
混乱させられている:

私には理解しにくいカタカナ表記が多いのだし、中途半端なカタカナ語が多いと思わせられるし、アメリカ式と英連邦式との混乱も散見される。そこで、幾つか例を挙げてみよう。「またこんな話か」とっしゃらずにお付き合い願います。

キャリヤーハイ:
先日、大谷君が三振を沢山獲った投球をしていた試合を見ていた。すると、アナウンサーが「もう一つ獲るとキャリヤーハイの12個になります」と言ったのだ。随分洒落た英語の表現を知っているなと感心していた。だが、現地で制作されたと聞いた画面を見ると、何の事はない下の方に英語で“career high”と表示されていたのだった。この表現も自分では使えた記憶はないのだが、厳密に言えば「生涯で最高の記録」というか「その業界でも競技でも良いが、始めてから最高の記録」のことであり、カタカナ語にはチャンと「自己ベスと」というのがある。

もしかしてアナウンサーさんは「キャリヤーハイ」と聞こえた音声をそのままカタカナ語にしたのであり、咄嗟に「自己ベスと」は思いつかなかったのかと察することにした。そもそも、自己ベストは「自己最高記録」と言うべきものだと思うが、それを英語にすれば“career high”のようになるのだった。いっそのこと自己ベストは廃版にして「キャリヤーハイ」にしたら如何か。

ロサンゼルス・エンゼルス:
殆どのテレビ局も新聞もLos Angeles Angelsをこのように表記し、カタカナ語化してしまっている。またGeneral Electric Companyも「ゼネラルエレクトリック」だし、富士通ゼネラルはFujitsu Generalなのだ。ここで言いたい事は、英語の正規の発音を正確にカタカナ表記すれば「ロスアンジェレスまたはロスアンジェリーズ」だし、Angelesは「エインジェルス」なのだ。何故かカタカナで表記する場合に“ge”を「ジェ」ではなく「ゼ」にしてしまったのだろう。

カタカナ語を製造する際に“a”や“o”を飽くまでもローマ字式にしたのは分かるとしても、何で“ge”を「ゼ」としたのかは理解不能だ。話は少し飛ぶが、Los Angelesは我が国では広く「ロス」とカタカナ語化されていて、それが通用しているのも面白い。アメリカでは通用しないのだ。アメリカには他にもLosが付いている都市はLos A-la・mos(ロスアラモス)だってあるのに。カリフォルニア州は嘗てスペイン領だったので、その名残でLosが付いているのだ。

英連邦式:
DPRKがミサイルを撃ち込んだのがEEZで、これはExclusive economic zone即ち「排他的経済水域」の略語だ。これが我が国では遍く「イー・イー・ゼット」とZがUK式の読み方に近くなっている。揚げ足取り風に言えば「ゼド」か「ゼッド」が正確なUK式だ。

我が国の同盟国アメリカ式は「ズイー」か「ズイ」なのだ。トランプ様の耳にでも入れば「怪しからん。直ちに訂正させろ」とでも言われたかも知れない。他にも「マジンガーゼット」というのがある。思うに、カタカナ語にする時に「ズイー」は発音しにくいのではと配慮したのだろうが、「ゼッド」も発音が難しいのではないのか。

厚生労働省:
このお役所の英語表記は“Ministry of Health , Labour and Welfare”となっている。こう入力しただけでLabourの下に赤線が自動的に入ってくる。即ち、Microsoftはアメリカの会社なので、このようなQueen’s Englishの綴りは認めないのだ。アメリカ式ならばLaborだから。私が奇異に感じているのは「何故この中央官庁はアメリカ式の釣りを採用しなかったのか」という点だ。ワクチンだって輸入しているのはPfizerとModernaというアメリカの会社なのに。そう言えば「何でモデルナなというおかしなカタカナにしたのかな」と言って締めておこう。


Cogito ergo sum

2022-04-23 09:56:16 | コラム
我思う、故に我あり:

何でこんなフランスの哲学者・デカルトが残した有名な一節を取り上げるのかだが、恥ずかしながら大学1年生の必須科目の中で最大の難関で辛うじて単位が取れたのがこの哲学と宗教学だったのだ。その哲学の中で何故だか覚えていたのが“Cogito ergo sum”だったということなのだ。そこで「何故かな」と近頃疑問に感じている事柄を取り上げていこう。

MBA:
「job型雇用」も含めても良いだろう。新聞やテレビや雑誌等の出版物を見ていると、我が国の政治家、経営者、評論家、ジャーナリスト等の方々にはアメリカのハーバードを始めとする有名私立大学のビジネススクールでMBA(経営学修士)等の修士の取得者が多いのだ。例を挙げてみると、林芳正外相、茂木敏充自民党幹事長はハーバード大学の修士だ。週刊新潮に佐藤優氏との対談が掲載されていた日本交通会長の川鍋一朗氏は、我が国には余り馴染みがないハーバードと並び称されるノースウエスタン大学のMBAだという具合だ。

先日も「job型雇用」を取り上げて論じたことで、我が国とは全く異なる制度乃至は仕組みで運営されているアメリカの企業社会に通用する学歴を、我が国に持ち込むことで目覚ましい効果が挙がるのかと少し疑問に感じている。今やアメリカの一流私立大学の大学院(としておくが)では1990年代では、年間の学費は円換算で優に1.000万円に達していたし、今や1,500万円とも聞いている。簡単に言えば「そういう出費を厭わない富裕な家庭の子弟の大学院」なのだ。

MBAの場合にはその学歴を以て新卒でもいきなり管理職という事にもなれば、近い将来の幹部というかOfficerが約束されているという事にもなる。それだけではなく、あの競争社会にあっては大手企業で生き残って昇進していく為には、MBAは必要最低限の手段(彼ら風に言えばammunition辺りか)であるとも言われている。

これまでに繰り返して指摘して来たことで、アメリカの会社では「4年制大学の新卒者を定期採用することはなく、入社年次に従って段階的に昇進する制度もない、剥き出しの競争社会である」のだ。ある日突然に有名私立大学の修士号を引っ提げた若手が日本で言う部長職に就任することもあれば、他社から転入してきた若者がいきなり事業部長となり独自の方針で事業を運営したりするのだ。忘れてならないことは「ビジネススクールに入学する前には4年間の事務経験が求められている」ということ。4年制大学の新卒者は受け入れなくなっているのだ。

私は上記のように最短でも4年間の実務経験を積んだ者たちが、アメリカ式の最新の経営学を学んで大手企業に入ってくるアメリカの企業社会の仕組みとは大いに異なる、未だに「年功序列やそのシステムに基づいた給与の制度があり、段階的昇進の制度がある我が国の企業社会に持ち込んで、何処までの効果を発揮できるのか」と思っている。ハーバードでも何処でも、MBAを取得時の年齢は最少でも28歳。その若者を我が国の会社で直ちに課長に任じられるのだろうか。何年間かはMBAを塩漬けにしてしまうのではないのか。勿体なくはないか。

例外的には、私が生涯の最良の上司と呼ぶ我が事業部の副社長兼事業部長のように、アメリカでは私立大学よりも評価が低い州立大学の4年制の出身者で、工場の会計係に地方採用されたという、言わば最も将来有望ではない地位から、その類い希なる才能を買われて滅多にないことで本社機構に中途入社して、遅ればせながら39歳で事業部長に抜擢されたという例も、あるにはある。

偏ったマスコミ報道:
先月だったか、永年親しくしてきた商社マンと語り合った。その時に話題となったことの一つに「マスコミの取材能力」があった。彼は勿論と言うべきか何と言うか海外駐在経験者である。彼が言うには言葉の問題もあって、英語が公用語ではない国に駐在した場合に、現地での取材というか情報収集には現地の新聞(英字?)も便りにせねばならない事が間々あるのだそうだ。また直接に取材しても現地人の社員の(完璧かどうか不安もある)通訳に依存することになる。従って止むを得ず、現地の新聞を翻訳して本部に送っている例があるのは否定できないのだそうだ・

実は、私も外資の日本乃至は東京事務所にも、毎日せっせと大手新聞の経済欄と業界誌と業界新聞の然るべき記事を訳して送っている人もおられるという話は聞いている。商社マンが言うのは、私も同意見だったが心は「それが情報か」ということ。「言葉の壁」という言い方もあるだろう。例えばアメリカの場合でも我が国の学校教育で鍛え上げた英語力を駆使して、政界、官界、財界に深く食い込んで微妙なところまで取材できる駐在員(特派員)が何人いるのかという疑問だ。

このような視点に立つと、現在のロシアによるウクライナ侵攻の現状を、ハナから危険を冒してでも現場に入り込んで英語で言う“first hand“で取材した記事を送っている大手新聞やテレビ局の人がどれほどいたのかという点を取り上げたい。その点は既に宮嶋茂樹という写真報道のジャーナリストが皮肉っていた。テレビに登場して高尚な見解を述べておられる専門家の先生方も現地におられる訳でもないようだ。

それよりも何よりも私が疑問に思うことがある。それはテレビを見ても新聞を読んでも、現在のウクライナ動乱の現状は「ロシア対アメリカとNATO(ネイトウだが)の争い」の図式のように報じられている点だ。換言すれば「孤立したロシアという悪に対して全世界の性善なる諸国が対峙している」との形でしか報じられていない気がしてならないのだ。UNの人権委員会だったからロシアを追放する決を採った時に、賛成よりも反対の方が多かったという重大な点には重きを置いた報道がなかった。インドがどっちを向いているのか疑問な点も強調されていない。

Putinが最初から意図したことなのか、派生してしまった形なのか、今や完全に近いと言って良いほど「自由主義と民主市議陣営対ロシアと中国の圧力下にある諸国」に二分されてしまったのではないのだろうか。その悪影響の一旦が我が国に於ける多くの末端製品と非耐久消費財の値上げをもたらしたエネルギーの高騰である。

都内のある銭湯では燃料代が3倍に膨れ上がっただけではなく、輸入木材の高騰で劣化したサウナの内装を修繕できないので、最早廃業への道をまっしぐらと店主が慨嘆していた。家庭向けの電気とガス料金の値上げも止まらない。私は何も彼らに市民を脅かせというのではないが、朝から晩までウクライナ情勢を報道する暇があれば、より正確に世界の情勢と物価が値上がりすれども給与は上がらないだろうという実態を分かりやすく報道して欲しいし、「反撃能力」をも未だに憲法を盾にして反対する野党を真っ向から批判して欲しいのだ。

第6波が収まらないので

2022-04-22 10:35:24 | コラム
「ストレス」じゃなくて「フラストレーション」が溜まるよ:

本稿は主として私事を述べるのだが、暫くお付き合い賜りたい。

オミクロン株だかBA.2だか知らないが、第6波が高止まりして一向に収まらないのには、持病(何で基礎疾患なんて専門語を使うのか)を抱える超後期高齢者の欲求不満は高ずる一方である。「もうそろそろジム通いを再開して大きな風呂で寛いで気分転換をしたいのですが」と、去る5日の定期診察の日に国立国際医療研究センター(NCGM)の主治医に伺いを立ててみたところ「未だ危険である」と禁じられてしまった。

NCGMは言わばCOVID-19対策の本部のような病院なのだし、国立感染症研究所も同じ敷地内(だと思うのだが)にあることだし。詳細な信ずべき情報を持っておられると承知しているので、そこの医長先生の告知には従うほかないと思って素直に延期した、月内には6波は収束するだろうとの希望的観測で。だが、遺憾ながらそうとはなっていないのだし、専門家の中には「既に第7波が到来している」とまで言う方までおられる始末だ。また、当方は京橋の理髪店に行くのも昨年末から控えていて、長髪を靡かせて動き回っている状態だ。

もう3~4年ほど前のことになったか、藤沢で開催された高校のクラス会(とは言うが、我々は昭和20年の中学入学以来同じ学校に6年も通った仲間だ)に私と同じに東京から参加した者が冒頭に「85歳ともなると、これほど動くのが辛くなるとは思っていなかった。やっとの思いで日暮里からここまでやって来た」と叫んだのだった。誰も反論せずに頷いていた。

それが今となると「お前は杖を使わずにあるいけるのか」とか「矢張り、尿漏れパンツを履くようになってから楽になったが、」などと言う者が増えてきた。だが、あの叫びの後からは物故者はいないが、最早クラス会をやろうという声は上がっていない。残念だが仕方があるまい。かく申す私も、夕方になるとテレビが見にくくなるし、音声を聞き取りにくくなるので、眼科と耳鼻咽喉科とどちらに先に行くべきかと思案している。

そういう所に、President誌の5月13日号の笹井恵里子さんの「あなたVSコロナ第6波」を読んで「難しいものだ」と考え込まされた。要は「持病がある高齢者がウイルスに感染した場合の医師と家族の対処の難しさ」を指摘しておられたのだ。記事の中には別の病で手術の為に入院して感染した例が挙げられていた。そこには“triage”(ジーニアス英和には「緊急度による治療優先順位の選別」とあるフランス語だ)の問題と、延命治療や死に場所を病院か自宅を選ぶかという事が論じられていた。我と我が身に降りかかって欲しくない事柄だった。

ここで思わせられたことは「何とかして感染しないようにせねばなるまい」だった。現時点では国全体のこれまでの感染者の率は約6%、ここ新宿区では13%と国全体の倍以上の率なのだ。これでは無闇に「日常の行動範囲を逸脱しないように」との主治医の告知を守るべきだと思わずにはいられなかった。だが、楽しみであるジムに行けない、調髪も出来ないというのであれば、欲求不満が募るだけだ。だが、何とか御身大事の生活態度を維持して、90歳になった時に見える景色と世界がどんなものかが楽しみなのだ。

終わりには矢張り英語の問題を。マスコミの言葉の誤用とそれに釣られたかが「ストレスが貯まる」と気軽に言われ人は多いのだが、それは「欲求不満」を表す「フラストレーション」のことを言っておられるのだと思う。英語の“stress”は“pressure or worry caused by the problems in ~’s life”とOxfordにある。家に籠もって「圧力がかかるとか心配事」は生じないだろう。私はカタカナ語にした為に意味を取り違えたのだと指摘する。

「フラストレーション」とは「欲求の満足が阻止されている状態、それによって情動的緊張が高まる場合を言う」と広辞苑にあり、frustrationの訳語とある。マスコミに向かっては「カタカナ語にする前には英和辞典くらいひけよ」なのだ。実は、私も上記のように欲求不満状態なのだ。ストレスに苦しめられたのは在職中のことだった。