20何年振りかで¥129台を覗いた円安:
悲観論者と称している私にとっては、この円安は矢張り心配なのだ。在職中に教えられた表現に“I’m concerned about it but not worried yet.”というのがあった。「気になっているが、心配はしていない」ということを表しているのだそうだ。これを当て嵌めれば「心配している」のである。¥130台に入る前に、円安対策を可及的速やかに講ずべきだと思っている。
それでは何を心配しているのかと言えば「権威者である専門家やエコノミストが言われるように、アメリカと我が国の間の金利の差を較べれば、円売りドル買いに向かい、円に投資しなくなるのは当然だから云々」は尤も至極であると理解している。
同時に専門家たちは「何ヶ月も貿易赤字が続けば、国内の輸入品というか原燃料価格が高騰して物価の上昇が避けられない」と警告するのだ。こんな事は今に始まったことではないのではないか。「最早、輸出が我が国のGDPに占める比率は、遙かに輸入よりは小さく、我が国は輸出立国ではない。内需依存だ」と言ったのは専門家だった。この状況下で円安が続けば物価上昇などは当たり前過ぎる現象だ。街で何か買って原産地が中国やその他の国ではない物がどれほどあるのかということだ。
だが、悲観論者にはその類いの解説が「意図的な気休め」ではないのかと心配になるのだ。即ち、I am worried.なのである。それは、この円安の流れが「外国の投資家乃至は投資機関が我が国の国力の低下が止まらない」と見定めたのではないかという懸念だ。アベノミクスが失敗だったの、効果が未だに現れていないなどと、今になって騒ぎ立てるよりも、幾ら説得されても一向に給与水準を引き上げようとしないし、デフレ傾向から脱却する術を知らない経営者たちが運営する産業界を批判するのが先ではないかと思えてならない。
国力が低下したとすれば、その原因はそんなものだけではあるまいと思う。即ち、何時まで経っても押しつけられた憲法の改正に反対し続けるような輩を国会に送り込んだのは誰かと私は批判したいのだ。憲法第九条を後生大事に守っていれば、お国が安全でありアメリカが安保条約で守ってくれていると信じているような国を、アメリカ以外の世界の他国が評価するだろうか。中国を怖れて言うべき事も言えず、防衛予算も増額できない国を自由主義陣営が立派だと評価するのだろうか。
政府にしたところで、何か問題が起きれば自ら立ち向かう前に「専門家会議を招集してご意見を承って、それに従おうとする」のが最善の策なのだろうか。私に言わせれば、所謂専門家の方々は「日常的に常に動いている現実の世界に接して、その早過ぎる変化と進歩と直接に戦っておられるのではなく、膨大な資料と統計から得た豊富な知識と情報をお持ちであるだけ」ではないのか。
本田宗一郎氏は「統計は頼りにしない。何故ならば過去を示すだけで将来を見通してはいない」と指摘された。尤もだと思って読んだ。要するに「実務というか現実の世界にいない頭脳集団の方々の意見を尊重するのは如何なものかな」というのが私の考え方だ。
比較論ではないと断っておきながら言うが、アメリカの企業では副社長兼業部長の地位にある者でも実際に得幸先を担当するし、自ら一戦に立って行動して現実に直面して、そこから得た知識と経験を基にして判断を下している。一方、我が国では課長に始まって段階的に地位が上がっていくが、上に行けば行くほど実務を担当するのではなく、部下から上がった報告に自らの経験を加えて判断しているのだと思う。即断即決という面から見れば、アメリカ方式は良いのだが、上に立つ1人が判断を誤れば全体が転けて(コケて)しまうのだ。
我が国は民主的であるので、何時だったか橋下徹氏が「国会と議院内閣制の問題点」として指摘したように、決断までに時間がかかってしまうのだ。私は何れが良いかという優劣の点から捉えるのではなく、局面によって臨機応変に対処できる方が良いように思えてならない。その点から考えれば、現在の局面はあらゆる意味で我が国にとっては危機的な要素が多いと見える。ということは、アメリカ式の即断即決が求められるのであり、「専門家の意見も聞いて慎重に検討」の時期ではないとしか思えないのだ。円安対策を可及的速やかに講ずべきでは。