新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

5月20日 その2 時代遅れか老害か

2022-05-20 09:57:03 | コラム
害と呼ばれるかも知れないが時代遅れの儘で良いかと:

週刊新潮の最新号で石原慎太郎じゃなかった石原壮一郎という人が「老害」を論じておられた。当年とって89歳の自分もそのような問題の標的になるのかと思って読めば、話はどうやら現職の勤め人の方々の事のようだったので、一安心というか少しだけ虚しさも感じていた。と言うのは「現代の出来事に中には簡単に理解というか認識できないし、カタカナ語式にすれば『フォロー出来ない』点が多くなってきて、今更付いていこうと努力するのは無駄な抵抗ではないのかと感じるようになってきたから」なのである。

田口翔という24歳の人が4,630万円を使い切った事が、ここ2~3日大きな話題となっている。この世には色々と理解不能な事件が起きるものだと感心している。その報道の中で、今朝の新聞に「オンライン決済サービスで決済代行業者の口座に振り替えて不当な利益を得た」のが犯罪であるような記事があった。確か、その行為をスマートフォンでやったのだそうだ。その行為が違法かどうかは兎も角「オンライン決済サービス」も「決済代行業者」も何のことかサッパリ解らなかった。

当方は昨年の10月に清水寺の舞台からではないまでも、駅のプラットフォーム程度の高さから線路に飛び降りるくらいの決意で、スマートフォンに切り替えたのだった。この「スマホ」なるものの機能は携帯式のPCに匹敵するくらいのことは聞き及んでいた。だが、現実には未だ電話とあのPCのワープロ機能と比べれば不便極まりない方式で入力して検索する程度のことにしか使っていない。PCの方に馴れているし、使いやすいのだ。勿論、らくらくスマートフォンでも多種多様な機能があるとは承知しているが。

ところがである。馴染みの薬局のポイントカードが“dポイントカード”に切り替わったので、何にも考えずに従った。しかし、それがドコモのカードであり、ドコモから色々なショートメールが送られてきて「あれやこれや」と手続きをしろと命令してくるようになった。そこで、全てをPCと同様に息子に助けて貰うようにした。そのやり方を見ていると、兎に角細かくて面倒で自分では何ともならないと解る。そういう時代に生まれた人たちには何でもないことだろうが、算盤しか計算機がなかった時代に育った者には、何ともならないのだ。

現在人は生まれてからデイジタル化の時代にあるが、デイジタル・デバイド世代の当方にとっては「面倒な時代になったものだ」との感想しかない。いや、息子たちの世代にとって「老害だな」と受け止められっているだろうなと自覚している。先日語り合った商社マンには「らくらくスマートフォンに切り替えるのは得策ではない。それは現在の進歩したアップルその他の器機に馴れた年齢層には『助けてくれ』と依頼されても、古すぎて操作法が不明だから」と言われてしまった。

先ほども触れたことだが、2年ほど前になったことで菅首相が「カーボンニュートラル」と言われたときには「???」だった。「格好付けて英語で言わないでチャンと超後期高齢者にも解るような言葉にして下さい」とお願いしたくなった。これなどは未だ察しがつくが、他にも解り難いカタカナ語や略語っぽい言葉が乱舞しているので弱っている。例えばビッグデータだのMMTだのSDGsだのCSRだのDXだの何のと、他にも未だ多数あるだろうが連日連夜攻め立ててくるのだ。

1~2年前までは何とか付いて行かねばばかりに、我に鞭打って努力してみたが、今では「無駄な抵抗はしない方が良いのでは」と悟りを開いている。それは、「何も付いていかなくても、日常生活には何ら支障を来すものではない」と解ったからだ。だが、マスコミは「マイナンバーカードを取得された方にはマイナポイントが付与されるので、スマートフォンを使って云々」と言っている。このポイントが何処で何の役に立つのかも知らないのに、何処に行けばポイントとやらが貰えるのかは言わないのだ。

このカードが健康保険証にもなると言うが、確かに病院に行けば「ここにカードを置けば」と掲示された器機が置かれている。区役所に行けば手続きが出来るようだが、あの交通の便が悪くて大勢の人が群がっている場所に行けば、COVID-19に狙われはしないかと不安になって、足が動かないし、やり方が解らないときには教えてくれるのかと不安になる。また、家内は4Gの二つ折りの携帯電話には変更したが、それでは何とかポイントは取得できないのかと思ってしまう。

このように、あれやこれやと考え込んでいると、もしかして世間様では「我々のように時代の変化(進歩だとは言いたくないが)についていけていない高齢者を捉えて『老害』となじるのではないのか」と、不安になってきた。今や、迂闊に外食に出掛けると「タブレット」が待ち構えている時代になった。

セブンイレブンではカウンターの中にいる係員は現金に触れないような仕組みになって「あーしろ、こーしろ」と指示するだけの役をするだけになった。これが「良い方向への変化」なのかどうかは解らないが、彼らの都合だけで導入されたとしか思えない制度だ。あるエコノミストだったかは「こういう現金払いを回避する時代になったのだから、どんな少額でもクレデイットカードで支払って、ポイントを稼いだらどうか」と述べていた。「なるほど。それなら時代に遅れた超後期高齢者でも順応できそうだ」と勇気づけられた。


英語の単語をローマ字式にカタカナ表記するのは問題がある

2022-05-20 08:11:33 | コラム
英語という言語の特徴である不規則さを知って貰いたくて取り上げた:

昨19日に「ローマ字読みによる英語の単語を排斥するの弁」を述べたのだったが、今朝ほどgoo blogに教えられたことがあった。それは、何と昨年の同じ日に同じ事を詳細に論じていたのだった。1年経つとすっかり忘れていて、同じ事を考えたようだったと知った次第。これは一種の「老害か」と反省。

ここにあらためて指摘しておきたいことがある。それは、今日までに色々と論じてきたことの究極の狙いは「英語とはかくも不規則ばかりの言語であり、その規則さを50音順に規則的に並べられる日本語の中のカタカナを使って表現しようとするのには無理があることと察して頂きたかったこと」なのである。同時に「英語には規則と不規則の動詞があるが、実際には不規則動詞の方が多いのである」というような矛盾点があること」や「同じ“a”でも時と場合によって『ア』だったり『エイ』になってしまうのだ」と認識して欲しいと思うのだ。

こういう不規則な点は他の母音でも同じである。その不規則なことを無視してか忘れてか、ローマ字式にカタカナを使って英語の単語を表す(表記する)のは問題があると思うのだ。

ローマ字読みに無理があるように、精巧に出来ていると言われている韓国の「ハングル」にも無理な点があると聞いている。その一例として、カタカナでは「ハンバーガー」と表記できるhamburgerはカタカナにすれば「ヘンボゴ」としか出来ないそうだし、ソウルではMaxwell Coffeeは「メクスウエル・コピー」のように韓国人が発音したのを聞いた。

私の主張したいことは「だから、カタカナ語表記するときには原語に忠実にしよう、例えばsecurityはセキュアラテイーにしようと言うのではなく、ちゃんと『安全確保』とか『機密保護』とか『安全の担保』等々のように多少難しいかも知れない漢字の熟語を使ったらどうか」なのである。英語の単語を使って物を言うと何か格好が良いとか、知的であるとか、現代的であるとか思わせたいのであれば、そういう考え方は軽薄であると思うし、国語力の欠如であると思う」なのである。

だが、現在ではカタカナ語だけに止まらず、やたらにアルファベットを使った略語が増えてきたのも、実務の世界から28年も離れていては理解できなくて少し悩む。例えばCSR、SDGs、DX等々であるし、カーボンニュートラルにも困惑させられたし、ビッグデータだって“It’s all Greek to me.”だった。

そこで、長くなってしまうが、敢えて昨年の5月19日に発表した一文を再録してみようと思う。「英語って不規則で厄介だな」と理解して頂ければ幸甚だ。

我が国の英語におけるローマ字の功罪:

ほんの昨日“job”を「ジョブ」と表記することに嫌悪感を示したばかりだ。このような本当の英語、と言うかどちらかと言えば、未だにアメリカン・イングリッシュよりも崇め奉られている感が濃厚なQueen’s Englishでも、この単語はカタカナ表記すれば「ジャブ」以外はあり得ないのだ。私は何の意義があってこれを「ジョブ」とするのかと憤っているのだ。

私はこのような発音とカタカナ表記になってしまう最大の原因はローマ字にあると、固く信じている。いきなり功罪の「罪」の方を取り上げてしまったが、私はヘボン式(Hepburnがどうして「ヘボン」になったのだろう。オードリー・ヘボンと何故表記しなかったのだろう」)か、文部省式か知らないが、この表記の仕方を導入してあったことが、我が国の児童や生徒たちに早い時点でアルファベットに馴染ませておいた功績は十分に評価して良いと思っている。言うまでもないが「功」の部分である。

だが、このローマ字式読み方が余りにも広く深く浸透してしまったために、元の英語の発音とかけ離れたと言うか、不正確な表記も遍く行き渡ってしまった、私が経験してきた限りでは、その我が国独得のローマ字式発音でも諸外国でも十分に通用していたのだったが、私は以下に採り上げるような不正確な発音と表記は、決して是認する気にはなれないのだ。特にテレビ局は何処の何方に命じられたのか知らないが、このローマ字式の発音と表記に執着しているのは如何なものかと思っている。尤も、そうなっている原因は、学校教育の英語の至らなさにもあると思えるのだが。

そこで、ここに思いつくままに、英連邦王国のOxford辞典とも異なるカタカナ表記になっている例を挙げて行こうと思う。という事は、基準はOxfordの発音記号である。

“aluminum”:
この表記は「アルミニューム」だが、これは「アルミナム」なのだ。序でに採り上げておけば、symposiumは「シンポジューム」ではなくて「シンポウジアム」なのだ。何故か“u”を「ユー」としてしまったのはローマ字読みではないが、敢えて採り上げてみた。

“body”:
これは断じて「ボディ」とは発音しない。「バデイ」である。故に「ボデイブロー」は「バデイブロー」であり、そういう英語の表現はない「ボデイチェック」は「バデイチェック」となるべきだった。正しくは“body search”か“security check”なのだが、ここには「セキュリティー」は嘘で、正しくは「セキュアラテイー」という問題まで派生するのだ。

“casual”:
これは「キャジュアル」なのだが、何故か「カジュアル」になってしまっている。1996年の秋に初めてラジオに出るようになった頃に、放送開始の事前の打ち合わせで「キャジュアル」と言ったところ、キャスターさんに「カジュアルではありませんか」と指摘された。それでcasualが「カジュアル」だったと知り得たのだった。

“Gary”:
これもローマ字読みから外れるかも知れないが、「ゲーリー」ではなくて「ゲアリー」とすべきだと思う。“a”という字も曲者で、先ず素直にローマ字式に「ア」とは発音されないことをお忘れなく。

“holiday”:
これは「ホリデー」が既に戸籍を得て全国区だが、「ハラデイー」が最も英語の発音に近くなると思う。アメリカに行けばそこら中にあるホテルは「ハラデイー・イン」であって、「ホリデー・イン」ではない。だが、そう言っても通じるからご安心を。

“impossible”:
トム・クルーズだったかが主演の「ミッション・インポッシブル」という映画がある。余りの事に泣きたくなった。“impossible”は「インパサブル」が最も英語に近い表記だ。どう発音しようと勝手だが、英語を母国語とする者たちに「日本では何を教えているのか」と思われはしないだろうが、せめて「インポシブル」くらいに止めておいて欲しかった。

“NATO”:
「ナトー」が遍く普及しているが、我が国以外では「ネイトー」が一般的だ。同様にNaomi Osakaは「ネイオミ・オサーカ」になっている。

“oasis”:
英語圏の國には「オアシス」は存在せず、「オエイシス」があるのだ。ここで採り上げておくと、ゴルフの青木功氏(Isao Aoki)は「エイオキ」なのだ。

“patriot”:
ここまで来れば、言うまでもなく誤ったカタカナ表記だと解って頂けるかも知れない。「パトリオット」ではなくて「ペイトリアット」が最も原語に近いのだ。「愛国者」になるのも面倒なものだと思っている。

“ultra”:
これは少し面倒かと思う。“u”の字を素直に「ウ」と読んだのだろうと思うが、この字も「ウ」とはならない例が多いのだ。“summer”を「スマー」と読む人はいないだろうし、“consultant”は「コンスルタント」ではないのだ。1966年頃のことだったそうだが「ウルトラマン」という子供向きの漫画(テレビドラマ?)が大当たりしていた。私は何の気にもとめていなかった。

だが、1978年だったかにシカゴのオヘア空港で思いがけない勉強をした。それは、その中の通路をウルトラマンの仮装をした子供が歩いていた。それを見た別の子供がウルトラマンを指さして「アルトラマン!」と叫んだのだった。それを聞いて、私は初めてあれが“ultra man”だったと知り得たのだった。

“vinyl”:
 「塩化ビニル」なのだが、この言葉は「ビニール」となって、完全にほぼ全部のプラスティックス製品の代名詞となってしまった。PEもPVCもPVDCもPETも全て「ビニール」で括られてしまった。その結果、本家本元の「ヴァイニル」はすっかり忘れ去れてしまった。例えば「ビニール傘」などは典型的かも知れない。当初は本当に塩化ビニルが使われていたそうだが、今ではEVA(ethylene‐vinyl acetate copolymer)に取って代わられてしまっている。


ローマ字読みとその表記を排斥するの弁

2022-05-19 08:19:42 | コラム
NATOは「ナトー」ではない:

これは一昨日取り上げた「何処の何方が如何なる権威の下に決めるのか」で、その一例としてNATO(北大西洋条約機構)は「ネイトー」と表記すべきだと論じたのに対して、畏メル友RS氏から「NATOの発音はアメリカ・イギリスでは、ネイトーですが、デンマークを除くほとんどの欧州の国ではナトーです。」と具体例を挙げて指摘された。この指摘には異論は無い。だが、私が主張したかったのは「元の言葉とは異なってしまうローマ字読みと表記は止めよう」という点なので、NATOはその一例として“a”の表記を取り上げたのだった。

このローマ字式の表記を排除しようというのは、私のカタカナ語排斥論の一部である。ローマ字式英単語の読み方が原語と違うのは何も“a”の場合のみに限られたことではない。だが、「ナトー」が近頃ロシアによるウクライナ侵攻があった為に頻繁に取り上げられ、特に耳障りなので例に用いただけのことだ。

思いつくままに本当の英語の発音とは違う表記になっている“a”の例を挙げてみよう。

パトリオット:
これはpatriotなので、英語の発音に近い表記をすれば「ペイトリアット」と辺りになるだろう。だが、既に「パトリオット・ミサイル」のように、日本語の戸籍を得ている。

オアシス:
英語の単語はoasisであり、ジーニアス英和にはわざわざ《発音注意》としてあり、そこにある発音記号によれば「オウエイシス」となるよう表記されている。これも戸籍取得済み。

カオス:
もとはchaosで、ジーニアス英和でもOxfordでも発音記号は「ケイアス」または「ケイアース」となっている。これも「カオス」で戸籍を得ている。

Gary:
カタカナ表記は「ゲーリー」しか見たことがない。だが、この名前の発音は「ゲアリー」と表記すれば、最も英語に近いと思う。以前にこんな川柳を披露したことがあった。それは「ゲーリーとは俺のことかとクーパーが」なのだが、今時、Gary Cooper何て言っても通じない気がする。

実は、かく申し私も「ゲーリー」だと思い込んでいて、訪れた先で家族に「ゲーリーはいないのか」と家族に尋ねた事があった。すると、答えは「我が家にはゲアリーはいるが、ゲーリーはいない。ゲアリーならば本日外出中」だったのには、汗顔の至りだった。これに関連して面白い現象がある。それは、Maryさんを「メーリーさん」とすることは先ずなくて、メアリーとなっていることだ。

要するに“a”を素直にローマ字式に「ア」と発音しない例が多いのだと申し上げたいのだ。

ビニール:
全く話は変わるが、こういうカタカナ表記も取り上げておこう。今や、あらゆるプラスティックフィルムの代名詞の如くになってしまっているこの言葉の綴りはvinylで、その発音は「ヴァイヌル」が最も近い。だが、このPVC(塩化ビニール)が我が国に導入されて以来「ビニール」になってしまった。


個人的に関心と興味がある統計資料

2022-05-18 16:01:30 | コラム
2020年の世界の紙パルプメーカー上位75社:

今頃になって2020年の統計かと言われそうだが、アメリカの専門の調査機関RISIが発行するPulp & Paper Industry誌に20年度のランキングを発表された。自分自身が永年身を置いてきた産業界なので、世界の上位にある紙パルプメーカーがどのような実績を挙げていたかには大いに興味も関心もあるのだ。

しかしながら、残念ながらこの統計には、永年上位10社以内にあったウエアーハウザーは数年前までに完全に紙パルプ業界から撤退していたので、その社名は現れないのだ。何故そうなったのかと言えば、先日グラフィック用紙の項で取り上げたように、アメリカ市場では大手メーカーはICT化とデイジタル化に圧された印刷用紙と情報用紙の将来を、早い時点で見切りを付けていたことを示しているのだ。

このRISIによる統計では各社の売上高を当該年の為替レートでアメリカドルに換算して表示されている。従って、当時の$1は¥109.81だったので、現在のように¥130台にまで円安に振れてしまえば、我が国のメーカーの売上高によるランキングは、大きく下がってしまっただろうと思ってしまうのだ。

「紙パルプ・加工品、商事部門の売上高」による世界の上位75社:
先ずはこの製品の売上高による順位を見ていこう。なお、各社のこの売上高と連結の売上高とは別個に表示されているが、ここには連結は取り上げない。単位は100万ドルで表示されている。

第1位はアメリカのインターナショナル・ペーパーで20,580、対前年比△0.8%となっていて順位には変動がなかった。2位には「専門の紙パルプねーカーではないのでは」と批判する向きもあるアメリカのプロクター&ギャンブルが来ている。売上高は18,364で対前年比+3.1%で前年の順位は3位だった。3位はアメリカのウエストロックで売上高は17,578で△3.8%となっていて、順位は2位から下降。4位には我が国の王子ホールディングスで売上高は12,727の△9.9%となっていて、4位は変わらず。5位にはスマーフィット。カッパホールディングスだが、国籍はアイルランド。売上高は9,742で△5.7%となっていて順位は6位から上昇。

以下、6位にはアメリカのキンバリークラークで売上高は9737の+4%。7位はフィンランドのUPMで9,594の△17.9%。8位は日本製紙で8,299の△3.4%。9位はスウェーデンのイーシッテイで8,211の△6.2%。10位はフィンランドのストラエンソで7,859の△15.4%だった。寧ろ意外だったことは、ここまでに世界第1位の製紙国である中国のメーカーが登場してこない点だった。しかし、玖龍紙業は13位に顔を出してくるのだ。

11位には英国のDSスミス。12位には南アフリカのモンデイ。13位には玖龍紙業、14位にはアメリカのパッケージグ・コーポレーション・オブ・アメリカ。15位にはアメリカのグラフィック・パッケージング。16位に我が国のレンゴー。17位にブラジルのスザノ・パペル・エ・セルロース。18位にフィンランドのメッツア・グループ。19位にアメリカのソノコ・プロダクツ。20位にチリのエンブレサスとなっていた。

75社中の我が国と中国のメーカー:
我が国のメーカーで以下に登場したのは32位に大王製紙。36位に些か疑問がある商社の丸紅。38位に北越コーポレーション。64位に三菱製紙だった。中国では22位に山東晨鳴紙業。25位に中国製紙コーポレーション。26位に山鷹国際。27位に理文造紙。29位に山東太陽紙業。37位にヴィンダ製紙集団。47位に山東華泰紙業。70位に世紀陽光紙業ホールディングスが来ていた。

地域別の分布:
最後に、この75社の地域別の分布を見ると、売上高ではヨーロッパが30.4%、アジアが26.2%、北アメリカが35.9%、中南米が5.9%、アフリカが1.6%をそれぞれ占めていた。

また、紙・板紙の生産量で見れば、ヨーロッパが29.2%、アジアが39.4%、北アメリカが25.6%、中南米が3.6%、アフリカが2.0%となっていて、中国があるアジアが生産量では世界を睥睨する地位にあったようだ。だが、売上高ではアメリカに大きく離された2位であることは、単価が低い紙を主力にしていることが見えてくるのだ。

参考資料;紙業タイムス社刊 FUTURE誌 2022年5月23日号


何処の何方が如何なる権威の基に決めるのだろう

2022-05-17 08:37:31 | コラム
カタカナ語による表記ことである:

1996年9月頃だったか、未だラジオに定期的に出始めるようになった頃に「ビジネスマンの服装」を採り上げたことがあった。その放送の中で「寛いだ服装」と言いたくて「キャジュアル」と言ったのだった。すると、ジャズの評論家としても著名だったキャスター氏が怪訝な声で「キャジュアルですか」と反応されたのだった。私は不勉強にして、ここで初めてcasualがカタカナ語になると「カジュアル」となっていたと知り得たのだった。思うに、この出来事が切掛けとなってカタカナ語の不合理な点を追及し始めたのだった。

私は何処の何方が如何なる権威があって、外国語その中でも英語の言葉をカタカナでの表記や読み方を決めているのかと不思議に感じている。より解りやすいだろうと思って言えば「何故、原語と異なる表記にするのだろうか、しなければならないのか」なのだ。意味不明だと思った。

その疑問に思う例だと思うのが、今週になってから頻繁に取り上げられるようになった「NATO」である。言うまでもなく「北大西洋条約機構」のことでNorth Atlantic Treaty Organizationである。これの英語での読み方は「ネイトー」である。だが、マスコミは躊躇うことなく「ナトー」にしてしまった。これがローマ字読みであることは明らかだ。だが、何で、世界で通用している「ネイトー」ではなく「ナトー」としなければならないのかが、私には理解不能なのだ。

いえ、何故ローマ字読みにしなければならないのかが不明なのだ。これも、「ナトー」で日本語としての戸籍を得てしまったので、今更どうにもしようがない典型的な例だと思う。

他にも星の数ほどある原語とは異なるカタカナ表記になっている例を、幾つか思いつくままに挙げてみよう。こうする意図は「これって、どのような科学的根拠があってのことなのか」という点にあるのだ。先ずは、今シーズンになって漸く調子が上がってきた(解説者用語では「状態が良くなった」だが)大谷翔平君が所属するLos Angeles Angelsから。殆どのテレビ局も新聞も「ロサンゼルス・エンゼルス」としている。だが、NHKだけは「エンジェルス」としているので、メデイア間では摺り合わせがないようだと知れる。

出来る限り原語に近いカタカナ表記をしてみれば「ロスアンジェレス・エインジェルス」になるだろうし「ロスアンジェリーズ」もあると思う。私がおかしいと思っている点は「何故、元の英語とは異なったカタカナ表記を選んだのか」なのだ。「何処に、英語に近い表記を選ばない理由があったのか」なのだ。

アメリカ人たちの中にはLAの略称を使う人もいる。そういう例があるのだったならば、おかしなカタカナ語にするよりも簡単に「エルエー」で良くはないのかなどと考えてしまう。Angelsだって、何もわざわざ原語とは違う「エンゼルス」にする理由はないとしか思えないのだ。尤も、広辞苑にはgeneralは「ゼネラル」としてあるので、これに準拠したのかとも考えている。General Electric社だって「ゼネラルエレクトリック」と表記されている。本当は「ジェネラルエレクトリック」なのに。

他にも、これまでに何度か取り上げて批判した例も挙げておこう。それはsecurityである。これを、何故マスメディアが「セキュリティ」としたのかは全く理解不能だ。それは、如何なる辞書を見ても、発音記号に従えば「セキュアラテイー」とするのが最も英語の発音に近いからだ。その根拠を問う前に、私が最も奇異に感じていることは、テレビに登場される学識経験者も国会議員の先生方も平気で「セキュリティ」を使われる点だ。何処で英語の単語を勉強してきたのか疑いたくなってしまう。

私は学者の先生方がsecurityの正確な発音が「セキュアラテイー」だと知らないはずはないと思っている。そうだったならば、何故テレビ局や新聞に迎合して「セキュリティ」などと言われるのかが解らないのだ。まさか、テレビ局から彼ら独自の「外来語辞典」でも提供され「これに従うように」などと求められている訳ではないだろうな。正確ではないカタカナ表記の発音を聞かせられては、罪なき弟子たちは「先生がセキュリティと言われるのだから」とばかりに、真似てしまいはしないかと懸念している。

敢えて締め括れば「どのようなカタカナ表記を使われようと勝手だが、それらが本来の外国語とは異なった表記である」くらいは、先生方が機会を求めて、後進の為に表明しておいて頂きたいものだと思っているのだ。