むかしは良かった、と思ったことはない。
「むかしの教師は良かった」とよく言う人がいるが、その「むかし」も、「むかしは良かった」と言っていたのだ。
「むかしの政治家は良かった」の「むかし」も、同じことを言っていた。
歌に関してもそうだ。
懐メロが根強いブームである。
80年代、90年代に流行った歌を、「懐かしい」「メロディがいい」「やっぱりむかしの歌は良かった」と言う人がいるが、それは過去の記憶には「思い出」が詰まっているという脳内事情による。
新しい歌は、記憶が付加されていないから、「思い出」による美化がない。
つまり、ハンデがあるのだ。
私は、懐メロを聞かない。
しかし、いま活躍中のアーティストが、自分のむかしのヒット曲を歌うのは、いい。
それは、「成長」あるいはときに「退化」を感じさせて、そのアーティストのリアルな様が見えるからである。
映画も、いまの方がいい。
私は、むかし観た映画をまた観たいとは思わない。
「懐かしさ」を基準にして映画を見ても、楽しく感じない。
ただ、むかし観ていなかった映画をいま観るのは、嫌いではない。
「新しい映画」として観ることができるからだ。
俳優も、いまの俳優の方が、むかしの俳優より断然上手だと思っている。
映像技術の向上により、むかしより演技の粗が目立ちやすいのに、彼らは、それをうまく演技でカバーしていると思う。
むかしの俳優が、いまの映像技術の中で演技をしたら、もともと表情が硬くセリフが棒読みだから、悲惨なことになるのではないか。
テレビドラマもそうだ。
視聴率だけを取り上げて、むかしは視聴率が良かった。
だから、面白かった、という考え方は好きではない。
インターネットもなく、DVDもなく、他の媒体との競争もない時代のドラマといまのドラマを比べるのは、フェアではない。
いま我々は、テレビドラマよりも面白いものを自由に選ぶことができるのだ。
すべての環境が、違う。
私は、いまの方がいいと思う。
料理もいまの方が明らかに美味くて、しかも安い。
ただ、マンガのことは、よく知らない。
むかしもいまも、あまり読まないからだ。
「あしたのジョー」と「ゴルゴ13」には詳しいが、あとはまったくと言っていいほど、知らない。
ただ、テレビや映画を観て面白いと思ったものの原作が、マンガだと知ったときは、「ああ、マンガって、面白いんだな」と思う程度である。
そうは思っても、読みたいとは思わないが。
「むかしの教師は良かった」とよく言う人がいるが、その「むかし」も、「むかしは良かった」と言っていたのだ。
「むかしの政治家は良かった」の「むかし」も、同じことを言っていた。
歌に関してもそうだ。
懐メロが根強いブームである。
80年代、90年代に流行った歌を、「懐かしい」「メロディがいい」「やっぱりむかしの歌は良かった」と言う人がいるが、それは過去の記憶には「思い出」が詰まっているという脳内事情による。
新しい歌は、記憶が付加されていないから、「思い出」による美化がない。
つまり、ハンデがあるのだ。
私は、懐メロを聞かない。
しかし、いま活躍中のアーティストが、自分のむかしのヒット曲を歌うのは、いい。
それは、「成長」あるいはときに「退化」を感じさせて、そのアーティストのリアルな様が見えるからである。
映画も、いまの方がいい。
私は、むかし観た映画をまた観たいとは思わない。
「懐かしさ」を基準にして映画を見ても、楽しく感じない。
ただ、むかし観ていなかった映画をいま観るのは、嫌いではない。
「新しい映画」として観ることができるからだ。
俳優も、いまの俳優の方が、むかしの俳優より断然上手だと思っている。
映像技術の向上により、むかしより演技の粗が目立ちやすいのに、彼らは、それをうまく演技でカバーしていると思う。
むかしの俳優が、いまの映像技術の中で演技をしたら、もともと表情が硬くセリフが棒読みだから、悲惨なことになるのではないか。
テレビドラマもそうだ。
視聴率だけを取り上げて、むかしは視聴率が良かった。
だから、面白かった、という考え方は好きではない。
インターネットもなく、DVDもなく、他の媒体との競争もない時代のドラマといまのドラマを比べるのは、フェアではない。
いま我々は、テレビドラマよりも面白いものを自由に選ぶことができるのだ。
すべての環境が、違う。
私は、いまの方がいいと思う。
料理もいまの方が明らかに美味くて、しかも安い。
ただ、マンガのことは、よく知らない。
むかしもいまも、あまり読まないからだ。
「あしたのジョー」と「ゴルゴ13」には詳しいが、あとはまったくと言っていいほど、知らない。
ただ、テレビや映画を観て面白いと思ったものの原作が、マンガだと知ったときは、「ああ、マンガって、面白いんだな」と思う程度である。
そうは思っても、読みたいとは思わないが。