リスタートのブログ

住宅関連の文章を載せていましたが、メーカーとの付き合いがなくなったのでオヤジのひとり言に内容を変えました。

パンダ様がやって来た

2011-02-22 07:24:51 | オヤジの日記
パンダが上野にやって来た。

ただ、私は来なくても良かったのに、と思っている。

年間約8千万も中国側にレンタル料を支払うと言うのだ。

単純に、無駄だろう、と思う。

都知事は、最初は、「パンダなんていらねえよ」と強面の振りをしていた。
しかし、それは彼のいつものポーズで、日和見をしたあと、簡単に上野界隈の世論に負けた。

あと出しジャンケンが得意な男の本領発揮である。

パンダごとき、と言っていた男が、簡単に主張を変える。

パンダは、そんなにありがたいものなのか?

「子どもの夢が」と言ってはいるが、要するに商売がしたいだけではないのか。

来て大騒ぎして、一つの商売。

展示されたら、もっと大きな商売。

たとえ死んでも、商売に利用する。

そして、都知事は、パンダを再誘致した男として、記録に残りたいのだろう。

その結果、主役のはずのパンダは、ただ利用されるだけ。

だから、私は来なくてもいいと思っていたのだが・・・・・。



話半分以下

2011-02-21 07:03:44 | オヤジの日記
菅内閣の支持率が下がったという。

たとえば、「10ポイント下がった」と書く。
あるいは「大幅下落」と書く。
「危険水域突入」などという表現もある。

書く側は、それで支持率低下を強調したいのだろうが、私からすると、それは世論誘導に思える。

「支持率○○パーセント」とだけ書いて、あとは読者の判断に任せる、という方式をなぜ取れないのかと思う。

メディアは、自民党の政権末期から、ずっとその手法を繰り返してきた。

「支持率急降下」の枕詞(まくらことば)の次に、本来ならそれが一番重要なはずの支持率が来る。

他にも、たとえば今回のフィギアスケートの「四大陸選手権」では、優勝した安藤美姫への報道より「浅田真央復活のきざし」の方が、扱いが大きい。

浅田真央の商品価値を高めることに、メディアは積極的である。

大会の優勝よりも、そちらの方が重要、という扱いだ。

「菅内閣、危ないな」
「もう持たないな」
「真央ちゃん、復活して欲しいな」
「スポーツ氏の一面は、やっぱり真央ちゃんでないとな」

沢尻エリカはあばずれで、海老蔵は放蕩息子で、斉藤佑樹は救世主だ。

アナウンス効果。
バンドワゴン効果。

見出しだけが目立てば、それは「いい記事」だという、大きなおごり。
大きな勘違い。

だから、私はメディアが作る見出しは「話半分以下」で見ることにしている。


楽しい人たち

2011-02-20 09:22:14 | オヤジの日記
ネットを見ていたら、次の総理大臣に相応しい人の1位が、オザワ氏だった。

何かの悪い冗談かと思った。

自民党内で派閥争いに敗れ、新党を次々に作ってはつぶし、主流になりきれず、敗北の歴史を繰り返してきた男が、なぜ首相に相応しい男なのか。

私は、彼の歴史の中で一度も強烈な指導力なるものを見たことがない。
いつも裏に回って、暗闇の中で選挙の票を読んでいたイメージしかない。

そのどこに、指導力、統率力があるというのだろう。


要するに、それは、マスコミが彼を表現するときに必ず冠につける「剛腕」から来ているのだろう。

「剛腕」のイメージはマスコミが作ったもので、彼は政治的なものは、政権をかき回すことくらいしかしていない。
ただ、仏頂面で、強面らしき雰囲気をまき散らしていただけである。

かつて、コイズミ氏という人がいたが、彼はマスコミ操作が、天才的にうまい人だった。
彼が残したものは、格差社会だけだったが、マスコミはただ「受ければ」それでいいという報道に終始した。

その結果、彼はマスコミに背中を押されて、多大な人気を博した。

しかし、それだけの人だった。

都知事になって3期のイシハラ氏は、ほとんど実績らしいものを残していないが、強気で強面というポーズをマスコミが取り上げるから、何もしていなくても知事の椅子に座っていられる。

ここでも、マスコミが取り上げた政治家のポーズに、有権者が反応して、「彼は有能だ」というお墨付きを得る。

ただ、マスコミが頻度多く取り上げるだけで、彼の支持率は安定するのである。

内容などは、いらない。

オザワ氏が「剛腕」だと数回言えば、オザワ氏こそ総理に相応しい男だというイメージが作り上げられる。


実に、楽しい。

本当に、楽しい。



ウタダヒカル

2011-02-19 09:02:25 | オヤジの日記
iPodには、宇多田ヒカルの曲が12曲入っている。

他に入っているのは、東京事変、椎名林檎。
これで全体の7割以上を占める。

そのほかに、浜田省吾、BIGBANG、G-Dragon、2NE1、BoA(韓国版)、斉藤和義、BLANKY JET CITY、加藤ミリア、安室奈美恵、Weather Report、Chick Corea、Deep Forest、Enigma、The Freeなど。

宇多田ヒカルの曲は、気に入っている。

「下世話」でないところがいい。

あれだけのビッグヒットを飛ばす曲というのは、たいていは下世話である。

フアンの方には申し訳ないが、サザン、桑田佳佑、ミスチル、ビーズなど、ヒット曲を数多く持っている人の曲は、売ろうという意識がどこかにあるから無理がある。

もちろんプロなのだから、売ろうという意識は必要だろうが、私はその下世話さが、あまり好きではない。

それに対して、宇多田ヒカルは、一番を狙っていないように思える(そう私が勝手に思っている)。

「一番じゃなきゃダメなんですか」と、疑問を提示する蓮舫氏。

一番じゃなくてもいいだろう、というのが私の考え方。

好きなことに没頭して、結果的に一番になるのはいいだろうが、全てを押しのけて一番をめざすことはない。
一番は、頑張った結果のご褒美として、なればいいのではないだろうか。

甘い考えだということは、百も承知だが・・・・・。


そこで、宇多田ヒカル。

彼女の歌には、がっついたところがない。
かきたい曲、作りたい曲、歌いたい曲をそのまま作品として残しているような気がする。

だから、たとえば、それは純粋なショービジネスではない。

趣味と言っていいものだ。

趣味で作っているから、簡単に休むこともできる。

プロは、休んでも、そのブランクには、曲作りが前提にあるが、宇多田ヒカルの場合は、おそらくそうではない。

ただ、純粋に休みたいのだと思う。

休んで、復活する気があるかもわからない。
趣味として曲を書いても、発表したくなければ、それがどんなにいい歌でも、彼女は発表しないだろう(という気がする)。


その下世話ではない生き様を、私は気に入っている。


猫?

2011-02-18 07:11:21 | オヤジの日記
東京武蔵野のあたりは、朝から大雨が降っている。

アパートの庭に置いた段ボール箱には、「生き物らしきもの」が夜だけいるらしい。

それは、猫というものかもしれないが、よくわからない。

段ボール箱は、レジャーシートで覆ってあるので、大雨が降っても大雪が降っても、中まで水が入り込むことはない。

だから、中の生き物が被害をこうむることはない。

段ボール箱の横のお皿には、昨日の残り物を置いておく。

それが、朝にはキレイになくなっている。

それを「生き物らしきもの」が食ったかどうかは、知らない。

見たことがないからだ。

鳴き声は立てるなよ、と言ってあるので、鳴き声も聞こえない。

だから、本当にいるのかさえわからない。


これは、賃貸契約違反ではない。

姿が見えないのだから、飼っていることにはならない。

私は、そう思っている。