杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

喜久酔の上槽

2008-02-20 19:04:57 | 吟醸王国しずおか

Dsc_0006   今日は午後一から、『喜久酔』の青島酒造(藤枝市)で上槽(じょうそう=搾り)の撮影をしました。

 先月、麹造り等を撮影した喜久酔純米大吟醸松下米40ではなく、同じ松下米でも精米歩合50%の味のあるタイプ=純米吟醸松下米50の搾りです。40も50も、上槽は同じ作業ですが、醗酵の経過具合によって、いつ搾るか直前にならないと決まらないため、カメラマンの成岡正之さんの都合に合うかどうかヒヤヒヤものでした。蔵元杜氏の青島孝さんから2日前に「今日から明後日まで50を搾ります」と連絡を受け、私と成岡さんの都合が空いた今日、急遽、撮影することになりました。

 「上槽のタイミングが事前に計算できたのは滅多にないこと。それだけ今年の醗酵がスムーズでベストな経過で来た証拠です」と明るい表情で迎えてくれた青島さん。仕込みの間、撮影でよけいなプレッシャーを与えていないか内心、気がかりでしたが、私もその言葉にホッと胸をなで下ろしました。

  

  8年前、静岡新聞総合情報サイト『アットエス』で、青島酒造を1年間密着取材し、〈酒造りの蔵から〉という連載記事を書きました。その中で、喜久酔ひとすじ40年余の南部杜氏(岩手県)・富山初雄さんの上槽作業を紹介しています。

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  蔵人の顔ぶれは様変わりし、平均年齢もグッと若返りました。青島さんが杜氏になってからの喜久酔は、富山さんが造っていた頃よりも、さらに静岡らしいみずみずしさに磨きがかかっていると評判です。切れ目なくキビキビとした連係動作で働く若い蔵人を見ていると、なるほど彼らが醸す酒らしいな、と納得できます。それでも、自分が生まれる前から杜氏を務めていた富山さんのあとを継いだ青島さんの一挙手一投足は、間違いなく、伝統が継承されることの尊さを物語っていました。

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   カメラマンの成岡正之さんは、かつて、日本テレビの情報番組〈ズームイン!朝〉のスイッチャーを勤めていた頃、前夜に呑み過ぎて寝坊し、仕事に穴を空けてしまったという痛い経験の持ち主。それ以来、アルコールを一切断っているそうで、『朝鮮通信使』の制作中も酒の席ではウーロン茶を貫き通しました。

 

   私が対馬ロケに〈磯自慢純米大吟醸ブルーボトル〉を抱えてホテルで無理やり呑ませたときは、「これ、磯自慢じゃない?」と一発で当てたので、まんざら酒の味オンチでもないと思い、その頃から「いつか地酒の映画を作りましょうよ、造りの現場を見て、搾りたてを試飲してみれば、酒の見方が180度変わりますよ~」と洗脳し続けました。山本起也監督は「酒は確かに魅力的な素材だけど、見た目はただの水だからなぁ…」とイマイチの反応でしたが、折に触れて静岡の酒を呑ませ、蔵元と顔合わせをする機会を作ってきました。

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  ちょうど1年前、助監督の村岡麻世さんを連れて藤枝へ朝鮮通信使史料の取材に出かけた際、藤枝市郷土博物館の八木館長を紹介してくれた青島さんにお礼をしようと、蔵を訪ねました。20歳になったばかりの大学生で、酒蔵訪問はおろか、日本酒をまともに呑んだこともないという村岡さんを、「今日が日本酒との初めての出会いになるなら」と、青島さんは多忙な手を止めて彼女一人のために蔵の中を案内し、搾りたての松下米50を試飲させてくれました。

 村岡さんは「これ、本当に日本酒ですか?」と眼を白黒させ、無理して呑まなくてもいいよと言う私を制して、美味しそうにゴクリ。その後、彼女が酒の味を覚えたのかどうかわかりませんが、初めて出会った日本酒が喜久酔だったということが、すごく幸せなことだと気づく日が来るでしょう。

  

 

  多忙を極める山本監督を、実際に蔵へ案内する機会も、今回のロケハン&試し撮りにつきあわせることもできませんでしたが、成岡さんには1年越しで、ようやく、今日のこの日を提供できたわけです。

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  もろみを詰めた酒袋を槽(ふね)に積み、その重みで少しずつ酒の滴が落ち始めると、青島さんは、自分の子どもが産声をあげた瞬間を迎えたような、感無量の表情を見せます。その様子をカメラにとらえた成岡さん。青島さんから勧められるままに、搾りたての利き猪口を受け取り、一口含むと、「なにこれ!? 本当に酒?」と驚愕の一言。「俺、飲めない体質なんだけど」ととまどいながらも、ふた口み口と進みます。その姿に、私も青島さんも、してやったり、とニンマリ。

 帰り際も、「真弓さんが言っていたとおりだね。酒の本当の旨さを知らないで、日本酒は重いとか、自分は呑めない、なんて言うのはおこがましい」と独り言のようにつぶやきます。

 

 「成岡さんのような反応を見ると、造り手として勇気が湧いてきます。コンテストで金賞を獲ったりマスコミでちやほやされるよりも、ずっと価値がある」と青島さん。成岡さんが今日を境にアルコールを解禁するわけではないと思いますが、自分が愛する酒の価値を、今まで一滴も呑めなかった人が理解してくれたというだけで、私自身も大変な勇気をもらった思いがしました。

 見た目は確かに「ただの水」かもしれません。それでも成岡さんがこれから撮る映像からは、みずみずしい香りが匂い立ってくるでしょう。それだけのスキルを持つカメラマンですから。

 


國香と北の丸

2008-02-19 23:15:15 | 吟醸王国しずおか

 朝一で、袋井市の高級ゴルフリゾート『葛城北の丸』を取材しました。ヤマハ発動機のボートを買うVIP客向けのカタログ情報誌に、ヤマハのおもてなし精神を象徴する施設として紹介するというもの。1隻1億~4億円という最高峰機種コンパーチブルのユーザーに向けた、格調高いコピーを書けというお仕事です。

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  私なんぞのレベルでは、北の丸でお茶するだけでもすごーいVIP気分なのに、北の丸の高田泉社長は「この雑誌の読者は、ゴルフリゾートといえば船で九州・沖縄・東南アジアあたりにホイッと出かけられる方々で、北の丸の存在すら知らない方のほうが多いでしょう。載せていただくのは光栄です」といたって謙虚。

 「企業戦士が日常を忘れ、故郷に回帰し、昔の殿様か領主様になった気分でトコトンくつろげるように」というコンセプトのもと、ピアノから家具まで銘木を扱うヤマハらしく、北陸の古民家7軒の古材を移築し、離れが渡り廊下で結ばれている薩摩藩主・島津家別邸「磯庭園」の建築群を参考に、Dsc_0016現代に平城を甦らせた建物です。

 瓦は、葛城ゴルフ倶楽部のロゴマークをデザインした遠州瓦5万枚を特注で作ったもの。室内は国産のヒノキ、ケヤキ、スギ、カリン、カヤ、ナラなどをふんだんに使い、日本の木造建築の粋を示します。今年で開館30年になるそうですが、今の日本で、これだけのリゾート施設を自前で作れる企業があるでしょうか。

 「酒蔵をぜひ見せてください」とおねだりして、社長に案内してもらった地下のワインカーブでは69年のロマネコンティとか、山積みのドンペリを目ざとく見つけ、Dsc_0010ためいきをつくばかり。

 1億円以上のボートが2年先まで予約一杯、ヤマハ所有のマリーナは空きが出ても、ものの10分で埋まってしまうとか。 「どんな人が買うんですか」と訊いても、「私もよくわからないんです。フツウの常識では想像できないお金持ち。何もしなくても一生使いきれない資産を持つ身分の人、としかいえません」と社長。想像できないような金持ちに読ませるコピーなんて、どう書いたらいいのか、帰宅してからもためいきばかりです。

 締め切りは明日の昼。ちっとも筆が進まず、ついついこのブログのほうを先に書いてしまいました。

 

   北の丸で飲ませる日本酒は、主に『開運』と『國香(こっこう)』。ワインカーブでロマネコンティを眺めた後、売店で、ごくごくフツウに観光土産っぽく置かれた國香を見つけ、蔵元杜氏の松尾晃一さんに会いたくなって、その足で國香酒造を訪ねました。

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 蔵を訪ねたことがある人はご存知だと思いますが、地震か台風が来たら一発で潰れそうな、古く、たよりない小さな木造蔵で、仕込み蔵の扉はダンボール。タンクを冷やすのはぐるぐる巻きになったホース。初めて見る人は、ホントにここで造っているの!?とビックリするでしょう。

 蔵人は雇わず、蔵元の松尾さんがたった一人で造っています。もちろん、一人で造れる量と、身体に無理がないような作業手順を考えての造りです。

 

    仕込み蔵では、ちょうど大吟醸と本醸造のもろみを見比べることができました。同じ静岡酵母HD-1ながら、本醸造の香りには“厚み”があり、大吟醸のそれはシャープで洗練されています。

 「今年は早い段階でもろみに派手な泡が立つように造ってみた」と松尾さん。大きな泡を見ると、醗酵が活発で、ボーメが進み過ぎるのでは、と思いますが、素人なりに想像すれば、Photo_2 酵母をうんと働かせて体力を消耗させ、ギリギリに追い詰めて、最後の呻きのような香りを吐かせる…というのが、今年の松尾流吟醸造りのようです。

 

 蔵人を何人も雇う蔵では、今まで職人の勘に頼っていた麹造りの温度管理ひとつとっても、品温をこまめに計測してデータを共有化し、品質を均一にする努力をします。

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 松尾さんはその逆。今まで温度計に頼っていたものを、「手をスーッと入れただけで温度が正確にわかる訓練をしている。一人でやるとなると、いちいち温度を測る時間も惜しいから」と言います。一人でやることで、職人としてのスキルがどんどん研ぎ澄まされていくのです。

 

 

  

  古くて小さな蔵の中で、たった一人、ただひたすらに酒と対峙し、相手が理解しようがしまいがおかまいなしに、造りへのこだわりを語り聞かせる松尾さんを見ていたら、この人の蔵元として、あるいは杜氏としての素直さ・気高さに涙が出そうになりました。環境がどうあろうと、自分が納得する造りに決して妥協せず、ブレることもない、職人としての品格がそこにありました。もしかしたら、今の『國香』の酒は、松尾晃一一代で終わるかもしれません。そう思うと、よけい、なんと貴重な酒だろうと響いてきます。

  

 北の丸の売店に無造作に置かれた國香の価値を、VIP客の中ではたして何人が理解してくれるだろう、見た目の高級感やネームバリューに左右されずに、この酒の価値をまっすぐに理解してくれる人がいるのだろうか・・・そんな不安の一方で、「想像もつかないお金持ち」の中には、想像のつかないレベルの目利きや食通もいるはず。先入観なしにこの酒のよさを見抜く人もいるはずだ、と思い直します。松尾さんのような職人魂を『吟醸王国しずおか』として映像化する価値もそこにある、と思うのです。

 


しずおかの味創作クッキング

2008-02-18 22:36:59 | 日記・エッセイ・コラム

 静岡県の地場産品を積極的にPRする県の関連団体「静岡県産品愛用運動推進協議会」で、『静岡こだわりの逸品ガイド』というホームページを作っています。

 私はここで、県内の体験施設の紹介と、「しずおかの味創作クッキング」というコーナーを担当しています。後者は女子栄養大学講師の仁科悳代(のりよ)先生の料理工房におじゃまして、まぐろや桜えびなど静岡の特産品を使った6品ほどの創作料理を教えてもらいます。

 取材の記録程度の写真しか撮れない私にとって、調理方法を聞きながら、手順と完成品を美味しそうに撮るというのは至難の業ですが、デジカメの性能になんとか救われています。原稿はほとんど先生が用意してくださるので、こちらは原稿料をもらって料理写真を撮る勉強をさせてもらうようなもの。なんとなく申し訳ない気もします。

 

  現在、サイトに掲載されているレシピは、ちょうど去年の今頃、取材したものです。『朝鮮通信使』の脚本執筆で疲労困憊していたときで、この仕事はつかのまの清涼剤のようでした。ただし、せっかく先生にマンツーマンでご指導いただいたのに、自分で作る時間も気持ちの余裕もなく、映画が完成するまでは悲惨な食生活が続き、体重が落ちたのはよかったものの、虫歯や抜け毛、視力減退、肩こり偏頭痛等で、しばらく病院通いが続きました。まともな食事をとらないと創作の仕事はできない、と痛切に実感しました。

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  今日は1年ぶり、第2回目の取材。仁科先生は、1回しか会っていない私に「真弓ちゃん、アレルギーは大丈夫?」ときさくに声をかけ、「そろそろ花粉が・・・」と答えると、即座に「さつまいもよ、さつまいも!」と、今回のレシピの一つ『さつまいもとリンゴの重ね煮』を実演してくださいました。

 さつまいものビタミンCは熱に比較的強く、アレルギーに効くそうです。先生は若い頃、お母様から“お袋の知恵”として教わって以来、30年以上、さつまいものおかげでアレルギーらしき症状を起こしたことがまったくないとのこと。レシピはホームページで公開する前に、私がここで勝手に書くわけにはいきませんが、かいつまんで紹介すれば、さつまいもとりんごを5ミリ程度の厚さに切って、鍋に重ねて並べ、水・バター・砂糖・少々の塩で煮込むという、いたってシンプルなもの。おかずにもデザートにもなりそうです。

 

  先生は、取材用とは別に、朝食にぴったりの創作玉子焼きを教えてくれました。フライパンに溶き卵を流し、半熟になったら、ざく切りのエノキだけ、みかんの小口切り、カットチーズ3~4切れを乗せ、卵でくるんでオムレツ風に仕上げるというもの。調味料は一切不要で、みかんの酸味とチーズの塩味だけで十分。しそ、青のり、粉茶など香りのあるものを彩りトッピングにしてもよいそうです。

 『さつまいもとリンゴの重ね煮』もお土産にたくさん用意してくれました。去年に比べ、痩せこけた私を見て、先生なりに気を遣ってくださったのかもしれません。

 

  先週お会いした林隆三さんの「自分が好きで楽しんでやらないと、人を楽しませることはできない」という言葉を思い出しました。料理レシピの原稿を書く自分が、悲惨な食生活で不健康だったらお話になりませんよね。そんなライターが書く原稿は欺瞞以外の何物でもありません。

 改めて宣言するまでもありませんが、今回のレシピは、自分が作って食べて楽しんでから書こうと思っています。


白隠正宗と白隠禅師の教え

2008-02-17 21:00:28 | 白隠禅師

 1996年に結成したしずおか地酒研究会は、静岡の酒を愛する“造り手・売り手・飲み手の輪”をテーマに、ワークショップ形式の活動を行っています。当初は、まず、静岡の酒の素晴らしさを理解していただこうと、専門家の先生や酒類業者の方々を講師やパネリストにお招きし、座学と現地見学を中心にしたアカデミックな「しずおか地酒塾」を定期開催していましたが、活動を続けるうちに、意欲的な酒販店や地酒ファンが各地で独自に試飲会や見学会を開くなど、静岡の酒の応援の輪が二重三重に広がっていきました。そこで、7~8年ぐらい前から、少人数のサロン形式に変え、蔵元も一緒に飲んだり食べたり語り合ったり、と、地酒をかこむ場の雰囲気づくりに努めています。

 

 

 

 

 

 

 

  

 静岡の酒がどんなに素晴らしくても、評価されるのは東京などの大消費地が中心で、肝心の静岡県内では、日本酒消費量に占める静岡酒のシェアは2割以下。愛好家というのはどちらかというと内々に固まってしまう傾向が強く、限定酒を手にしたことを自慢したり、自分たちだけのオリジナルラベルの酒などを造って満足する、というグループが多いようです。それはそれで、ひとつの酒の愛し方だと思いますが、「知らない人に伝える」努力を怠っていては、シェア2割以下のまま「地酒が地元で買いにくい」状況はいつまでも改善しないでしょう。その対策を、造り手に一方的に負わせるのではなく、売り手や飲み手の意識改革も平等に必要なのだ、とつねづね思っています。

 私はフリーランスの取材・執筆活動を生業としていますので、さまざまな職業や階層の方々と知己を得る機会に恵まれています。地酒ファンだけの集まりでは、底辺は広がっていかないので、会では、静岡の酒のことはほとんど知らない人や、日本酒がまったく飲めないという人にも来てもらえる機会を増やしています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 今日は、映像作品『朝鮮通信使』の脚本監修でお世話になった朝鮮通信使研究家の北村欽哉先生(写真左)をお誘いして、過去ブログでも紹介した朝鮮通信使ラベルの酒を造る『白隠正宗』高嶋酒造(沼津市原)を、15名の参加者とともに訪問しました。

 

 

 

 

 

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 蔵は、JR原駅からほど近い、旧東海道沿いにあります。富士山の雪解け水を150メートルの井戸から汲み上げ、飲み水はおろか、トイレの水洗までぜいたくに使っているという高嶋家。蔵の外壁に設置された水汲み場は、誰でも自由に利用できるとあって、朝からポリタンク一杯に水を汲みに来る人々の車の列が続いていました。

 

 

 

 

 

 

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  仕込み蔵では、特別純米・特別本醸造・山廃純米等のもろみを見学しました。蔵元高嶋一孝さんの「全量、静岡酵母New-5で仕込んで原料米の違いや仕込み方法の違いを究めたい」「搾った後の火入れ殺菌処理によって酒質が左右されるため、うちの蔵のサイズにあったコンパクトなパストライザー(瓶燗火入れ器)を自分で設計してメーカーに作ってもらった」等々、酒造りに対する意欲的な思いに、参加者は感心しきり。

 高嶋さんは県内の蔵元(社長)では最も若い29歳で、今期から杜氏を兼任しています。慣習や常Photo_3識にとらわれず、かといって何でもかんでも新しければいいという軽さではなく、手をかけるべきところはしっかり注力する。その労力を維持し、なおかつ手作業よりも質が向上するなら機械化や合理化にも積極的にトライする、といった柔軟な姿勢が、好感を呼びます。イラストに描きやすいようなキャラや容貌も魅力・・・!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  蔵の応接ルームは、中国の古美術品や朝鮮通信使ゆかりの書や絵画などが展示された、ちょっとしたギャラリー。北村先生に歴史の講義をしていただくつもりでしたが、先生ご自身が「私の話なんかよりも早く試飲を楽しみましょう」とノリノリで酒杯を手にされます。

 

 

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  今回の会員参加者では、下田市の植松英彦さん(植松酒店)、静岡市の塚本英一さん夫妻(塚本商店)、静岡市の萩原和子さん(篠田酒店ドリプラ店)、山口登志郎さん(鉄板焼ダイニング湧登)、金谷の片岡博さん(中屋酒店)、浜松市の片山克哉さん(かたやま酒店)といった酒の“売り手”が中心。売り手の注目をこれだけ集めたことからしても、高嶋さんの酒への期待のほどがうかがえます。

 

 

 一方“飲み手”では、初参加の北村先生や鈴木邦夫さん(静岡県立大学名誉教授)、「日本酒がまったく飲めない」という末永和代さん(NPO法人世界女性会議ネットワーク静岡)、純粋に酒蔵見学を楽しみたいという後藤邦男さん(広告プランナー)もいて、参加者のモチベーションが同一ラインにあるとは限りませんでしたが、末永さんは「日本酒が、これだけ手間をかけて丁寧に造られ、応援する人がこれだけ熱心に話を聞いたり試飲をしたりする姿を見ているだけで、なんて貴重なものをいただいているのかって思えてきます」と心底満足した様子。「ちょっとずつでも静岡の酒を覚えて飲めるようにしたいわ」と言ってくれました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

  原駅前の鮨店で、誉富士と五百万石の新酒生原酒、山田錦の山廃純米(燗酒に最適!)、にごり酒等、数種の白隠正宗を試飲し、初対面の売り手と飲み手がさまざまに交流し合った後、白隠禅師の菩提寺『松蔭寺』を訪ね、宮本圓明住職から、「臨済宗には14派の元に6500の末寺があるが、臨済禅のソフトは白隠禅師の教えに統一されている」「禅師が、寺の収入が14石しかないとき、禅師を慕って全国から集まった400人の雲水を食べさせるため、乞われるままに数多くの書や画を書いた」等々、教えてもらいました。白隠正宗大吟醸のラベルになった朝鮮通信使の馬上才の絵も、その1枚かもしれません

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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  禅師は“食平等(じきびょうどう)”に徹した人でした。どんなに偉い殿様や大本山の管首さまであろうと、寺にあっては食べる飯は修行僧と同じ。「禅師ほどの高僧であれば、行く末は臨済宗大本山の管首で、というのが常道だったが、禅師は最後まで生まれ故郷のこの寺で一生を全うした。それが素晴らしい。人間、最後の修業とは名誉欲との戦いですから」と宮本住職。私たちは、白隠禅師の人物の大きさを改めて知りました。地元にこういう方がいらしたことをよく知らなかった己の無知を恥じながら・・・。

 

 

 

 

 

 

  造り手も売り手も飲み手も、気持ちの上では“酒平等”ではないかと思います。蔵元にとっては、米を作る農家や酒を売る商人や買ってくれる消費者がいてこその酒造り。商う人も嗜む人もしかり。静岡の酒が、地元よりも東京で評価されているという現実は、酒平等を保つサイクルが歪んでいる証拠です。 

 一朝一夕に解消できる歪みではないでしょう。私たち地元ファンに出来ることがあるとしたら、末永さんが感じてくださったようなことを、周りにコツコツ広げていくしかないと思います。知らない人が多いということは、恥ではなく、これから知る楽しみ、一緒に味わう喜びが広がっているということですから・・・。

 


朝鮮通信使トークセッション

2008-02-15 23:10:02 | 映画

 再三ご紹介した映像作品『朝鮮通信使』の上映会&トークセッションが、静岡市クリエーター支援センター(旧青葉小学校)で開催されました。

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14時過ぎから始まった山本起也監督と林隆三さんのトークセッションは、観る者に想像力を与える映像表現の加減具合について深く考えさせる、素晴らしいセッションでした。

  

 歴史ドキュメンタリーといっても、静止画である史料や現風景・遺跡・史跡だけでは作品になりませんし、かといって再現ドラマを作るとしても、朝鮮通信使一行は1000人規模の行列、迎える日本人も数え切れない群集ですから、限られた予算の中でセットを組み、一人ひとりに衣装やかつらをつけてもらい、演じてもらうのは不可能です。CGで作る予算もありません。

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 それより何より、すべてをリアルに見せる必要があるのかどうか・・・。400年前の話を、完璧に再現するなんてしょせん無理な話です。

  

 監督はむしろ「与える情報がシンプルなほど、観る者の想像力はふくらむのではないか」と考え、隆三さんは、子どものころ、山形出身のお母様が豊かな方言で語り聞かせてくれたクジラの童話の思い出を紹介しながら、「テレビやビデオのない時代、クジラという動物がどれだけ大きいのか、船や人間がどれだけ小さいか、想像するだけでワクワクした。今、自分がやっている朗読公演も、黒幕の前で本を読むだけだが、子どもたちは声を上げて笑ってくれる。最初から映像で何でもかんでも見せてしまったら、ホンモノを見てもさほどの感動はないだろう」と、表現を抑制することで広がる想像力の価値を語りました。

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 朝鮮通信使を迎える日本の庶民は、先のブログでも紹介したとおり、監督のアイディアで『駿州行列図』という屏風絵に描かれた庶民をデフォルメした人型の絵を、黒子衣装を着た市民エキストラの皆さんに持っていただく、というスタイルを取りました。

 隆三さんは、「衣装とかつらを着けた役者よりリアルだった」と、この手法を称賛しました。NHK大河ドラマをはじめ、数多くの時代劇に出演経験のある隆三さんの言葉だけに、時間も予算もない中、150点近い人型絵を制作した美術スタッフや、酷寒の中、薄着の黒子衣装で長時間の撮影に耐えた120人以上の市民エキストラの方々の苦労が報われたような思いがしました。

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  「シンプルがいい」という話から、隆三さんは、テニスの伊達公子さんの練習を間近に見て、まったく無駄のないシンプルなフォームに唸ったという経験を、楽しそうに話してくれました。

 セッション終了後は隆三さん、マネージャーの浜田さん、監督、監修の金両基先生、カメラの成岡さんと一緒に呉服町に出て、『蝶屋』のヒレカツと『ポプラ』のコーヒーで腹ごしらえ。その間も隆三さんは、早稲田大学演劇部出身の金先生と演劇論を交わしたり、伊達公子さんのフォームを再現して見せてくれたり、毎日欠かさないというストレッチ体操やバレエ(!)で鍛えた関節の柔らかさを実演してくれたりと、終始、サービス精神たっぷり。

  「たとえ1000人収容の劇場に100人しか観客がいなくても、その方々に心底楽しんでもらいたい。この仕事が好きで、人を楽しませるのが好きで好きでたまらない。好きなことをやっているから観る人も楽しんでくれるんですよ。嫌々やっていたり手を抜いてやっている芝居を見せられても、楽しくないでしょう」と語る隆三さん。それを受けた金先生から、「あなたは何が好きなの?」と振られた私は、つい、「書くことです。文章を書いている時間が至福なんです」と、ちょっと背伸びをして答えてしまいました。

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  金先生と、ラインプロデューサーの水野邦亮さんは、2008年の年明けまで『朝鮮通信使』韓国語版制作に汗を流しました。20数年前から、静岡で朝鮮通信使の存在にスポットを当てようと地道な活動を続けてこられた金先生も、主要スタッフで最も若い身ながら厳しい予算とスケジュールの管理を一任され、監督や私に余計な負担をかけまいと最後まで一人で責任を貫いた水野さんも、結局は、この仕事が好きなんだな、と思います。

 トークセッションの場で、隆三さんや監督の配慮で、金先生や水野さんにもマイクが渡され、スポットが当てられたことがとても嬉しかったです(2人が親子みたいにおんなじポーズで話すのが可笑しかった!)。

  

  内容に関しては、観た人それぞれの受け止め方があったと思います。絵を持った黒子で想像しろと言われてもピンと来ない、という人もいるかもしれません。

 このプロジェクトが評価されるとしたら、その理由は、行政の請負仕事といえども作り手が精一杯楽しんで作った、という一語に尽きるでしょう。自分たちが好きで、楽しんでやる仕事だから、限られた資本の中で、最大限、手を抜かずに完走できた・・・そんな気がします。

  

  私は、一緒に走った仲間たちを見ながら想像しました。それまで何の縁もなかった者達が、朝鮮通信使というテーマでつながったということは、たぶん、私たちのご先祖様が、通信使一行を迎えるのに四苦八苦した駿府城下の雑役か、どこかの沿道で見物していた庶民に違いない・・・と。