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ユリウス・カエサル ルビコン以後(中)-塩野七生

2020年06月07日 | 読書
評価5

カエサルの小アジア遠征~暗殺前(紀元前49年~前44年)。
紀元前47年6月小アジアのポントス王ファルナケスとの対決で勝利をおさめたカエサルは元老院に宛て「来た、見た、勝った」と戦果報告を送る。北アフリカのポンペイウス残党一掃も終えたカエサルはローマに帰還後、4回に及ぶ凱旋式を挙行し終身独裁官となり、暦の改定(太陽暦=ユリウス暦)、通貨改革を手始めに帝政移行に向けた数々の改革を実行にうつす。

ユリウス暦はグレゴリウス暦登場まで1627年もの間通用、1年を365日と5時間48分46秒としたグレゴリウス暦との誤差わずか11分14秒と紀元前の知能に驚く。

凱旋式では軍団兵のシュプレヒコールが恒例となっていたのだが、カエサルを揶揄する唱和に爆笑(笑)!カエサルも抗議はしたようだが受け入れられなったらしい、それがこれ!

「市民たちよ、女房を隠せ。ハゲの女たらしのお出ましだ!」

◆カバーの銀貨について
紀元前6世紀に王を追放してローマに共和制体を打ち立てた、ルキウス・ブルータス。カエサル暗殺で名をはせたマルクス・ブルータスとは別人であるが、500年後のブルータスは真の意味で自分の祖先と考えていたので、自分ではなくこの人を模した通貨をカエサル暗殺後にわざわざ発行させたのだった。