まがりかどの先に

まがりかどの先にはきっと良いことがあると信じ、目の前の人生の小路をてくてく歩き続ける日々の雑記です。

御嶽山が噴火!大丈夫かなぁ。

2014年09月27日 | 日記
今日のお昼頃、長野、岐阜境にある御嶽山が噴火したってニュースが入ってきた。
山頂付近ではけが人も出ているとか、大丈夫かなぁ。

実は、9月17日(水)から、卒業旅行だなどと言ってバイク旅行に出かけ、19日(金)の午前中は、長野県側の九蔵峠の見晴らし台からのんびり御嶽山を眺め、あぁ、もう紅葉だなぁなどと呑気に付近を徘徊していた。

活火山だから噴火することもあるわけだが、一週間違えば家族にも心配をかけ、大混乱というところだった。

人間関係の間が悪いのは天下一品なれど、こういう運はホント強いじいさまである。(変な自慢)


ハイキング等で入山されている方が、全員早期に、無事帰還できることを祈りたい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

母のあえぎ

2014年09月27日 | 日記
休みに入ってからお天気の良い日は、母の遺品の整理・処分をしている。
昨日は母の使っていた部屋の押入に眠っていた古い布団を、処理場へ持ち込んで処分し、ようやく大所の整理ができた。

母が目に見えておかしくなってきたのは、平成19年の今頃だった。
子供たちは自立し家を出て行き、私とカミさんは仕事が忙しくなり朝から晩まで帰ってこない、休みも実のところ休めない、可愛がっていた犬も老衰で亡くなった。一人留守番をする母に、認知症が発症した。

今は、大混乱の矢面で、仕事も辞められない!
母もどうにかしないといけない!
世の中を見れば、誰もが通る道だが、わが家にとって厳しい日々が始まった。

職場は家から近かった(転勤拒絶&当時の上司も理解してくれた)こともあり、行政や、民間のヘルパーさんの助けを受けながら、出勤前、昼休みを利用して帰宅し介護、帰宅後の介護と、カミさんの協力も得てできることはやってきたつもりだった。

母の子として生まれ、1年間余りはオムツも取れなかっただろう。それくらいは親の面倒をみるのは当たり前と思ってきたが、現実は過酷で、子どもはどんどん成長し手がかからなくなるが、老親はどんどん衰えて行く。どうしてよいか分からない日々が続いた。

この2年程は寝たきりとなってしまい、地元の特養にお世話になっていたが、6月に90余年の天寿を全うした。特養の職員の皆さんにはほんとうに心から感謝だ。

母は物のない時代の人で、家も貧乏だったから使えるものを捨てるということがなかった。
晩年は混乱し上手く整理もできなかったので、とにかく部屋の中はごちゃごちゃ。
大変な量の不用品があったが、時間をかけて整理していくと、思い出の写真、はがき、日記風のメモ、広告の裏に鉛筆で書いた恨み言などが衣類の間やケースからいくつも出てきた。

上手く認知できなくなってからも、母は母なりに家族を思い、やりたいこともあり、できない不満・不安を感じながら、生きたい、生きたいとあえいでいたんだなぁ。

こんなんだったら、仕事なんかもっと早い時期にほっぽり出して、たくさん時間を共有してあげれば良かったかなぁと思ったりしている。

後悔先に立たず!
親孝行したいときは、親はなし!

まったく、その通りである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする