「喰う、寝るところに、住むところ」という落語のフレーズが頭に浮かんだけれど、ここ数年前からの食料品、光熱費の物価高は、今日もアイ.エヌ.ジー。
年金を主にした今の生活では、ジリジリと生活不安が押し寄せる。
今日シルバーバイトから帰ってみたら、若い頃からボーナス時に、ずっと雀の涙的な金額を寄付してきたunicefから、ウクライナ緊急募金周知の手紙が届いていた。
実は家計の圧迫感もあり、昨年からunicefへの定期募金を止めた。
今回の募金依頼もその気持ちはあるものの積極的にしようとは思えない。
まだシルバーバイトができる健康状態があり、その仕事を紹介してくれるところがあるからなんとかなっているが、そのどちらか一方がなくなれば、年金だけではジリ貧のスパイラル突入。
とても他人を支援しようという状態ではない。
先が見えない。
国民民主が訴えた103万円の壁撤廃、手取りを増やす。
ガソリンにかかる税金を下げて、生活をしやすくしてくれる。
という動きで、実現すれば少し頑張れるかという気持ちになったのだけれど、お上のグループやどっかの横槍グループにその看板だけを持っていかれ、漁夫の利を持っていかれた。
結果は、103万円の壁は引き上げられたものの、新たな壁がくつられてますます分かりにくい形で決着しそう。
こういう継ぎ接ぎの制度ではなく、古いもの、今に合わなくなったものは、一回止めて新しく創ってほしいいんだけれど。
昭和のはじめに創った衣類を何度も何度も継ぎ接ぎしてというのではなく、今の新素材で作り直せばみな楽になる。
軽くて、暖かくて、暑ければ発汗してくれる。
そんな環境の中で、貧しくても個々が活きていくのがいい。
お上からお恵みを頂いて、生かされいるようなのは人してつまらないと思う。
社会だって、寄らば大樹のカゲ的な人が増え、活性化しないに決まっている。
こんな中で、お上のグループは郵便局に補助金をだす方針らしい。
国民民主の103万円の壁引き上げは、その財源にスポットを当てて渋って潰したのに、郵便局には出せるのかい?
郵便局、日本郵政って、株式会社でないんかい?
お上が一定の株をもっているけれど民間会社なわけで、そこに税金をいれるの??
これができるなら、房総の片田舎で最近倒産してしまった小さな土建屋さんも、お上の公金で救ってあげてよ。
この土建屋さんだって、20人近い従業員とその家族の生活があって、小さな仕事でも請け負ってくれる田舎にはなくてはならない会社。
そこで仕事をもらっているたくさんの会社とその家族がある。
でも、潰れちゃったって、自分たちでなんとか活きる道を見つけ頑張ってる。
これが庶民も。
その意味では、2400あるという郵便局の田舎郵便局と同じじゃないか?
たぶんお上は、これもなにか知らない内になし崩し的にやってしまうのだろうなあ。
石川の復旧が進まないのは、一方で人も住まなくなった地域インフラを再整備する必要があるのかという意見の勢力があると聞いたことがある。
ただ旧に復すというだけでなく、きちんと都市、地域再計画を立てて新しい生活基盤を作るべきという点では異論はない。
これは南房総の山間部の道路インフラなど、たしかにそのとおりと思う。
金がない!
郵便局はどうだろう?
郵便料金を上げた。
これは経営判断でいくら上げたっていい。(しばりがあって自由にはできないようだけれど)
その結果は、株式会社として結果責任をとればいい。
(民営化以来経営的に大きな失敗(利用者の財産の喪失)をしているのは周知の通り)
もう10年近く前から、実質年賀じまい(新年に届いた方しかお返事をださない)をしているけれど、もう高齢の先輩も多いことから今年は「これで年賀じまいにします」という方も多かった。
元旦に返信用のハガキを字田舎最寄りの郵便局に古い軽四に乗って買いに行ったら、局の窓口は休み。(ちょい、ムカつく!)
少し離れたコンビニで「年賀ハガキある?」って聞いたら、笑顔で応対してくれた。
今やコンビニでハガキも切手も変えるし、振込もできる。
コンビニのATMで入出金もできる。
最近の高齢者(私世代)は、PCもスマホも生活の一部。
後期のみなさんだって、80代でも社会参画しているような人はスマホを使い、ナビをつかっている。
後期のこれ以外の皆さんへのヘルプは、郵便局窓口ではない方法があるはず。
田舎の郵便局を選別すべきという政治家がなんででないんだい?
JAさんも今たいへんだけれど、拠点の集約はすごい。
それでも大きな問題なく田舎は動いている。
ほとんどお客のいない田舎の郵便局の維持に税金を入れて維持するのはぜんぜん違うと思う。
減税!
これがいい。
そして、もっと個々自由な発想で自由に動ける。
最低限の生活保障をしつつ、それがいい。
たくさん収めた税金を、昭和の頃のように新たな二天下り財源に使われているんじゃなかって、疑いたくなる。
お上のグループには、いったん冷や飯を食ってもらったほうがいいとずっとおもっているのだけれど、対立軸となる側に、腹のある御仁がいない。
今回の『漁夫の利』案件でもよくわかった。
話題になったところはパクって、自分が浮かぶ上がる。
自分が過ごしてきた第一の人生、リアルの会社組織の中でもありがちであったけれど、これじゃ、子どもたちのネットの社会の動きと同じじゃないか。
どこ見て仕事してんじゃい、こら!
っていう思い。
もう寝る!