まがりかどの先に

まがりかどの先にはきっと良いことがあると信じ、目の前の人生の小路をてくてく歩き続ける日々の雑記です。

食べ物の味

2015年10月08日 | 不健康な日々

秋は食べ物が美味しい季節です。
最近、そんな感覚が戻ってきました。
時に流され、自分を見失い、いつの頃からか、食べ物が美味しいという感覚を忘れていたようです。

長い間、昼、夜はほとんど外食。空腹だから食べるというより、食べる時刻になったから、習慣だから、食べているという感じでした。

味の濃い、こってりした中華やコンビニ食を、毎日、短時間で”腹いっぱい詰め込んで”食べている飽食生活。個々の食材より、出来上がった味に満足する食事。これって、調味料を味わっていたんだと気づきました。

この頃は、時間に追われることもないので、急いで食べることはありません。三度の食事は、基本、自炊。

歳とったのかな、との思いもありますが、お米は、米自体の味があり、美味しいです。新米を炊いて、塩むすびでも、十分満足。出来の悪い、自作の梅干しやしその実漬けでも添えれば、”自画自賛”もふくめ、最高のごちそうです。

小腹が空いたとき、ちょっと周りをみわたせば、柿が食べごろだったり、芋ができていたりして、それがまた素朴な味を感じさせてくれ、これはこれで、質素ですが、豊かさを感じます。

飽食が当たり前だった生活では、空腹を感じませんでした。
食べる必要がないのに食べたり、飲んだりするものですから、余計な脂肪はどんどん蓄えられ、体にも障りがでてきました。飲食は、基本的には、自分の体の健康を維持し、自分らしく行動するためのものであるはずなのに、本末転倒な状態です。

一見、食べるためだけに生きているように見える畑のアオムシだって、次世代に生命を継ぐために、頑張ってキャベツの葉っぱを食い荒らしているわけで、きっと、食べること自体が生きる目的ではないと思います。
食べて死ぬための生ではなく、子孫を残すという大切なミッションを果たすために、あたしとキャベツの葉っぱ抗争をしているのでしょう。

食事だけに限らず、飽くほどものがある状態だと、本質的な、大事なことが見えぬくくなるのかもしれませんね。

当たり前にように食べていた和菓子やケーキ、ステーキなどを時々食べると、心の底から美味しいと感じるようになりました。

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