まがりかどの先に

まがりかどの先にはきっと良いことがあると信じ、目の前の人生の小路をてくてく歩き続ける日々の雑記です。

古いコンテンツ(時代劇みたいな)をなんで活用しないんだろう

2025年03月09日 | 日記

今アマゾンプライムビデオで昭和の時代の『時代劇』をみている。

油っ気が抜けてしまったせいか、このごろの若い世代のドラマで関心が持てるものはだんだん少なくなってきた。

それでも、いい作品はあるけれどね。

でも、なんでTverさんなど広告収入によっているサイトは、昭和の埋もれている作品を使わないんだろうか?

自分の周りでは地上波でない有料TV放送などを通じて、「早朝から昭和の時代劇を見てたんだ」なんて人も少なくない。

先人が創った、面白いコンテンツをなんで活用しないんだろう?

ここがポイントだけれど、当時はウケた。
でもそれが今ウケるかという判断。

作品を創った当時は一部の話題で終わっても、後の世に「お〜〜」って受け入れられる作品も少なくないだろう。

時代が早すぎたってやつ。

古いもの、こういうのを見る人は、自分同様、お上に『前期高齢者』または『後期高齢者』というランク分けされた人が大方だろうし、逆にその年齢層にあったCMを流せば結構効果はあるかと思う。

私的には大川橋蔵さんの銭形平次。

力道山時代のプロレス、野球。

そんなのをみたい。

で、見たあとのサプリなどのCMはかなり印象に残ると思う。

まあ、サプリはインチキとは言わないけれど「自分がその症状に向き合うためのもの」的なもんで、劇的な効果はまったくない。

自分が生活習慣を見直すきっかけ、動機!程度のもの。

ここ重要!

それでも、自分しだいで効果絶大かも。

自分に降りかかる毎日は、自分にそのもとがあるんだから。

祖父母、親の世代が見ていたドラマなどのコンテンツを今の子たちの目に触れさせるのも、画一的な学校教育以上に重要かも。

地域の文化がつながるかも。

しかも、これ、「言語不明、意味不明で、う〜〜あ〜〜」といってるお上に関係なく、民間の力でできる。

今のお上、同じ年頃で就任前から期待していたのだけれど、なってみたら、本当に残念だった。

大変失礼だけれど、何かを変えることはできない政権だと思う。

 

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世の中に対して、こんな思いは私だけ?

2025年03月07日 | 日記

「喰う、寝るところに、住むところ」という落語のフレーズが頭に浮かんだけれど、ここ数年前からの食料品、光熱費の物価高は、今日もアイ.エヌ.ジー。

年金を主にした今の生活では、ジリジリと生活不安が押し寄せる。

今日シルバーバイトから帰ってみたら、若い頃からボーナス時に、ずっと雀の涙的な金額を寄付してきたunicefから、ウクライナ緊急募金周知の手紙が届いていた。

実は家計の圧迫感もあり、昨年からunicefへの定期募金を止めた。

今回の募金依頼もその気持ちはあるものの積極的にしようとは思えない。

まだシルバーバイトができる健康状態があり、その仕事を紹介してくれるところがあるからなんとかなっているが、そのどちらか一方がなくなれば、年金だけではジリ貧のスパイラル突入。
とても他人を支援しようという状態ではない。
先が見えない。

国民民主が訴えた103万円の壁撤廃、手取りを増やす。
ガソリンにかかる税金を下げて、生活をしやすくしてくれる。

という動きで、実現すれば少し頑張れるかという気持ちになったのだけれど、お上のグループやどっかの横槍グループにその看板だけを持っていかれ、漁夫の利を持っていかれた。

結果は、103万円の壁は引き上げられたものの、新たな壁がくつられてますます分かりにくい形で決着しそう。

こういう継ぎ接ぎの制度ではなく、古いもの、今に合わなくなったものは、一回止めて新しく創ってほしいいんだけれど。

昭和のはじめに創った衣類を何度も何度も継ぎ接ぎしてというのではなく、今の新素材で作り直せばみな楽になる。

軽くて、暖かくて、暑ければ発汗してくれる。
そんな環境の中で、貧しくても個々が活きていくのがいい。

お上からお恵みを頂いて、生かされいるようなのは人してつまらないと思う。

社会だって、寄らば大樹のカゲ的な人が増え、活性化しないに決まっている。

こんな中で、お上のグループは郵便局に補助金をだす方針らしい。

国民民主の103万円の壁引き上げは、その財源にスポットを当てて渋って潰したのに、郵便局には出せるのかい?

郵便局、日本郵政って、株式会社でないんかい?

お上が一定の株をもっているけれど民間会社なわけで、そこに税金をいれるの??

これができるなら、房総の片田舎で最近倒産してしまった小さな土建屋さんも、お上の公金で救ってあげてよ。

この土建屋さんだって、20人近い従業員とその家族の生活があって、小さな仕事でも請け負ってくれる田舎にはなくてはならない会社。

そこで仕事をもらっているたくさんの会社とその家族がある。
でも、潰れちゃったって、自分たちでなんとか活きる道を見つけ頑張ってる。

これが庶民も。

その意味では、2400あるという郵便局の田舎郵便局と同じじゃないか?

たぶんお上は、これもなにか知らない内になし崩し的にやってしまうのだろうなあ。

石川の復旧が進まないのは、一方で人も住まなくなった地域インフラを再整備する必要があるのかという意見の勢力があると聞いたことがある。

ただ旧に復すというだけでなく、きちんと都市、地域再計画を立てて新しい生活基盤を作るべきという点では異論はない。

これは南房総の山間部の道路インフラなど、たしかにそのとおりと思う。
金がない!

郵便局はどうだろう?

郵便料金を上げた。

これは経営判断でいくら上げたっていい。(しばりがあって自由にはできないようだけれど)

その結果は、株式会社として結果責任をとればいい。
(民営化以来経営的に大きな失敗(利用者の財産の喪失)をしているのは周知の通り)

もう10年近く前から、実質年賀じまい(新年に届いた方しかお返事をださない)をしているけれど、もう高齢の先輩も多いことから今年は「これで年賀じまいにします」という方も多かった。

元旦に返信用のハガキを字田舎最寄りの郵便局に古い軽四に乗って買いに行ったら、局の窓口は休み。(ちょい、ムカつく!)

少し離れたコンビニで「年賀ハガキある?」って聞いたら、笑顔で応対してくれた。

今やコンビニでハガキも切手も変えるし、振込もできる。

コンビニのATMで入出金もできる。

最近の高齢者(私世代)は、PCもスマホも生活の一部。

後期のみなさんだって、80代でも社会参画しているような人はスマホを使い、ナビをつかっている。

後期のこれ以外の皆さんへのヘルプは、郵便局窓口ではない方法があるはず。

田舎の郵便局を選別すべきという政治家がなんででないんだい?

JAさんも今たいへんだけれど、拠点の集約はすごい。

それでも大きな問題なく田舎は動いている。

ほとんどお客のいない田舎の郵便局の維持に税金を入れて維持するのはぜんぜん違うと思う。

減税!

これがいい。

そして、もっと個々自由な発想で自由に動ける。

最低限の生活保障をしつつ、それがいい。

たくさん収めた税金を、昭和の頃のように新たな二天下り財源に使われているんじゃなかって、疑いたくなる。

お上のグループには、いったん冷や飯を食ってもらったほうがいいとずっとおもっているのだけれど、対立軸となる側に、腹のある御仁がいない。

今回の『漁夫の利』案件でもよくわかった。

話題になったところはパクって、自分が浮かぶ上がる。

自分が過ごしてきた第一の人生、リアルの会社組織の中でもありがちであったけれど、これじゃ、子どもたちのネットの社会の動きと同じじゃないか。

どこ見て仕事してんじゃい、こら!

っていう思い。
もう寝る!

 

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世の中に対して、こんな思いは私だけ?

2025年03月07日 | 日記

「喰う、寝るところに、住むところ」という落語のフレーズが頭に浮かんだけれど、ここ数年前からの食料品、光熱費の物価高は今日もアイ.エヌ.ジー、進行形。

年金を主にした今の生活では、ジリジリと生活不安が押し寄せる。

今日シルバーバイトから帰ってみたら、若い頃からボーナス時にずっと雀の涙的な金額を寄付してきたunicefから、ウクライナ緊急募金周知の手紙が届いていた。

実は家計の圧迫感もあり、昨年からunicefへの定期募金を止めた。

今回の募金依頼もその気持ちはあるものの積極的にしようとは思えない。

まだシルバーバイトができる健康状態があり、その仕事を紹介してくれるところがあるからなんとかなっているが、そのどちらか一方がなくなれば年金だけではジリ貧のスパイラルへ突入する。

とても他人を支援しようという状態ではない。
先が見えない。

国民民主党が訴えた103万円の壁撤廃、手取りを増やす。
ガソリンにかかる税金を下げて、生活をしやすくしてくれる。

という動きで、実現すれば少し頑張れるかという明るい気持ちになったのだけれど、お上のグループやどっかの横槍グループにその看板だけを持っていかれ、漁夫の利を持っていかれた。

全国の個々の現場の班の人の声を積み上げて、それを愚直に国の制度改正につなげていこうという熱い思いのあるグループは、結局、お上の前では『餌』だった。

悲しい。

結果は、103万円の壁引き上げられたものの、新たな壁がくつられてますます分かりにくい形で決着しそう。

こういう継ぎ接ぎの制度ではなく、古いもの、今に合わなくなったものは、一回止めて新しく創ってほしいいんだけれど。

昭和のはじめに創った衣類を何度も何度も継ぎ接ぎしてというのではなく、今の新素材で作り直せばみな楽になる。

軽くて、暖かくて、暑ければ発汗してくれる。

そんな環境の中で、貧しくても個々が頑張れる人は頑張って活きていくのがいい。

パッチとしはやらないよりいいけれど、高校授業料ではないわな。

だいたい高校は、行きたい人が、行ける環境をつくっていくところで、私の昭和の頃は進学率は100%に近かったけれど、自分も家も貧しいがゆえに自分と向き合いながら時間を過ごした記憶がある。

お上からお恵みを頂いて生かされいるような今の世の中は、つまらない人間制度なんじゃいかと思う。

安易に罪悪感もなく振り込め先など闇バイトをする若い人が多いときくけれど、こんなのもお手軽、守ってくれるって社会の弊害かと思う。

生きるって、痛みがあったいいなんだ。

自分が「あ〜〜っ」って思うほどの痛み、失敗があって、そこで成長する。

だからどんな失敗も自分が行きてゆくための糧だと思ったらいいと今は思う。

それが一回目の人生で感じた思い。

こんな中で、お上のグループは郵便局に補助金をだす方針らしい。

国民民主党の103万円の壁引き上げは、その財源にスポットを当てて渋って潰したのに、郵便局には出せるのかい?

郵便局、日本郵政って、株式会社でないんかい?

お上が一定の株をもっているけれど民間会社なわけで、そこに税金をいれるの??

これができるなら、シルバーバイトでお世話になっていた房総の片田舎で最近倒産してしまった小さな土建屋さんも、お上の公金で救ってあげてよ。

この土建屋さんだって20人近い従業員とその家族の生活があって、小さな仕事でも請け負ってくれる田舎にはなくてはならない会社。

その意味では、全国に2400あるという郵便局のうちの田舎郵便局と同じじゃないか?

これもなにか知らない内に、なし崩し的にやってしまうのだろうなぁ。

石川の復旧が進まないのは、一方で人も住まなくなった地域インフラを再整備する必要があるのかという意見の勢力があると聞いたことがある。

ただ旧に復すというだけでなく、きちんと都市、地域再計画を立てて新しい生活基盤を作るべきという点では異論はない。

郵便局はどうだろう?

郵便料金を上げた。

これは経営判断でいくら上げたっていい。(しばりがあって自由にはできないようだけれど)
その結果は、株式会社として結果責任をとればいい。

もう10年近く前から、実質年賀じまい(元旦に頂いた方しかお返事をださない)をしているけれど、もう高齢に先輩も多いことから、今年は「これで年賀じまいにします」という方も多かった。

元旦に返信用のハガキを字田舎最寄りの郵便局に買いに行ったら、局の窓口は休み。(「やる気はあるんかい」と、局長は管理職手当なので、パフォーマンスでも窓ぐらい開けろよとちょい、ムカつく!)

少し離れたコンビニで「年賀ハガキある?」って聞いたら、笑顔で応対してくれた。

今やコンビニでハガキも切手も変えるし振込もできる。

コンビニのATMで入出金もできる。

最近の高齢者(私世代)は、PCもスマホも生活の一部。

後期のみなさんだって、80代でも社会参画しているような人はスマホを使い、ナビをつかっている。
毎年、クリスマス、元旦には、動画を編集してLineで送ってくれるツワモノも何人かいる。

後期のこれ以外の皆さんへのヘルプは、郵便局窓口ではない方法があるはず。

ヘルパーとか、郵便局外務員とか・・・。

田舎の郵便局は選別すべきという政治家がなんででないんだい?

JAさんも今たいへんだけれど、拠点の集約はすごい。

それでも大きな問題なく田舎は動いている。

ほとんどお客のいない田舎の郵便局の維持に税金を入れて維持するのはぜんぜん違うと思う。

お上のグループには、いったん冷や飯を食ってもらったほうがいいとずっとおもっているのだけれど、対立軸となる側に、腹のある御仁がいない。

今回の『漁夫の利』案件でもよくわかった。

話題になったところはパクって、自分が浮かぶ上がる。

自分が過ごしてきた第一の人生、リアルの会社組織の中でもありがちであったけれど、これじゃ、子どもたちのネットの社会の動きと同じじゃないか。

おい、こら!

どこ見て仕事してんじゃい、って思う。(笑)

 

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「一月往ぬる二月逃げる三月去る」先人たちは上手いことを言う

2025年02月23日 | 日記

還暦の大きなまがりかどを過ぎて、二巡目の人生がようやく小学校低学年辺りまで来た。

一回目で大体の流れは分かっているし、『苦楽』のもと、自分に与えられた感性も承知!

曹洞宗の懺悔文を思う。

みな自分が起こしたと、自業自得なんだ。

最近は嫌な人には会わないし、嫌と思う地域の仕事、アルバイトはしない。

基本、拒否!

『断固』でないところが、自分らしい。(笑)

である。(まあ、地域については、そうもいっていられないけれど)

自分の興味の向く方、好きな方っていうのかな、それをしている毎日は、「あら、楽し!
冥土の途は花盛り」(これは受け売り。出典は、Google先生へ)である。

自分は何も持たない赤子として父母の慈愛にもとに誕生した。

一回目の人生前半は、生活するための金銭に苦労(食うに困るほど)したけれど、妻というか、同居人というか、とにかく、カンの強い連れ合い(母と同じ波長)と十代の頃波長が合って、今のお上が悪政をしいても当面は食うには困らない基盤ができた。

そんなことを考えていて、1月。

「新年だぁ」と、たそがれている内に字田舎の先人たちの電池切れ多数。

子1号が嫁いだ先のジッジ(二巡目小学低学年)の遷移。

二月はどんどん逃げていく。

「おい。おい。待ってくんなよ」

である。

「ぼっ」としているとダメだ!

ブログを書く気はあっても「なかなか。。。。」

思ったらやらなくちゃ!と思い、思いつきでようやく書けた。

来月ももう間近だけれど、「ぼやっ」としていられない。

簡単には去らせないぞ!

だって残り少ない元気な時間、これぞ極楽浄土の日々。

電池切れになるのか、組織がポンコツになるのか。

これってよくわからないけれど、『思い』『意思』『意志』そんなパワーを自分が持っていることが大事かと、で、『今日 行く 今日 用』の企画力。

日々をしっかり生きていきたい。

もともと何もない赤子だったんだけから、スッテンテンになって『電池切れ』がいい。

後は自分のあとに生きている人の問題だ。(笑)

なんの心配もない。

彼らの問題だ。

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おい!こら!65歳以上の仕事がどんだけあるんだい?

2025年01月17日 | 日記

お上は、働く高齢者のために、年金の支給停止制限をやめて、満額支給をするなんて言い出した。

もちろん、これはその方がいい。

なんで支給制限をしていたの?とずっと思っていた。

今たまたま安定的な収入がある人でも、人生はいろいろである。

そんな中でお上の国民皆保険の下、必死に、保険料をおさめた時期もあったろう。

老齢期にたまたま安定的な生活をおくれていても、もらう権利はあると思う。
特に、基礎年金部分。

もちろん、「自分には必要はないので制度の維持にお役立てください」と放棄してくださる方には例外だ。

こんな仕組みを創ったほうが納得をえられるのでは。

『満額支給』といっても、そもそも下々、庶民には何も関係ない。

定年延長、70歳まで働ける社会。
お上は耳障りの良いことをいう。
たぶん、公的年金と合わせて、自助努力で『明るい、豊かな老後』ってことなんだろう。

でも、昭和の頃から勤めあげた会社が大手ならいい。
そもそものベースの年金も多いに違いない。

千葉県は首都圏といっても、内房線君津以南、外房線茂原以南あたりでは大きな企業もみな撤退してしまったので、65歳をこえたジイ、バアさんは非正規労働者として働いた人が多く、結果、年金額も少ない。

かつ、今ある仕事はインフラ整備のための警備員、清掃くらい。

少し働く日々で社会参加している交通誘導の仕事から見える社会である。

一方で、安定的な高齢者の仕事は、官公庁OBで占められている。(涙)

『満額支給』って、おい!お上!
いかにも私達がやりましったってイメージだけれど、これは、たぶんだけれど、制限を外してもほぼ影響なしって発表じゃないんかい?!

インチキ臭い!

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