今朝も2時過ぎに目覚めてしまい、トイレのあとしばらく眠れなかった。
先にブックオフで大人買いした、佐伯泰英さんの『新酔いどれ小籐次 らくだ』を眺めながらしばらくする内にまた寝落ちし、4時50分頃からなる目覚ましラジオ(NHK R1 ラジオ深夜便)のエンディングで目覚めた。
毎朝聞くアンカーの語るこのエンディングに励まされている日々だけれど、今朝は特に心に響いた。
「昨夜この番組の始まる頃にウクライナで沈んだ太陽がもうじき私達の国を照らしてくれます・・・」
東京はウクライナより7時間進んでいるらしい。
ラジオ深夜便の始まる11時頃に、ウクライナのみなさんの不安と動揺な生活の上を照らしたお日様は、6時ころには、平和ボケの感もある我ら日本の東の空を茜色に染める。
同じお日様の下なのに、なぜこうも違うのか。
今朝はそう思った。
そもそもお日様がわれらが地球の周りを回って明かりをくれているわけではない。
お日様の破片みたいなわれら地球号がお日様という親の周りを公転して、一生懸自転して、そこに奇跡的にたくさんの生命が生まれ、たまたまたくさんの資源があった。
われら地球号は奇跡の星だと思う。
なんで、国とか領土とかに強く拘る必要があるんだろう。
欲張りをせず、ゆるく、なかよくやっていけばいいんじゃないのか。
日本では、いじめられる人が話題にのぼり保護されたりする社会だけれど、いじめる側の人にこそ問題が大有だと思う。
そんな人、もし子供であれば、家庭生活、親にも問題がある場合が多い。
還暦を過ぎた経験から言っても、いじめられる側の人は、自分のペース、自分の世界はあっても、そもそも他人を侵害するような人はあまりいない。
変わっていても、ほぼほぼ平和主義者である。
日本だけでなく世界でも、いじめられる側を助けるより、いじめる側の人、その親も含めて顕在化させ公的な力で早期に精神的なカウンセリングしたり、場合によっては施設等に隔離するような方向性も平和の手法かとも妄想した。
テレビでみるウクライナ問題は遠い世界の話だけれど、日本の北方領土は、ロシアである。
日本もウクライナも紙一重かと。
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