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ロシアの人気者 チェブラーシカ誕生秘話

2011-01-17 22:19:30 | 海外ネットワーク
  1月8日 海外ネットワーク

  
  40年以上前ソビエトで生まれた映画の続編として話題をよんでいる「チェブラーシカ」。
  チェブラーシカが生まれたのは東西冷戦のまっただなか。

  オレンジの木の箱に閉じ込められて南の国からやってきた謎の生き物。
  起こしてもすぐ転んでしまうことから
  チェブラーシカ(ばったりたおれやさん)と名づけられた。
  動物園で働くワニのおじさんやいたずら好きなおばあさんとさまざまな物語を繰り広げる。

  モスクワ郊外の住宅地にチェブラーシカの生みの親が住んでいる。
  児童文学作家のウスペンスキーさん(73)。
  チェブラーシカの物語が出版されたのは1966年、最初は絵本だった。
  “架空の生き物”という設定で、今のかわいらしい姿とは全く違う。
  ウスペンスキーさんは工場で働きながら夜こつこつと物語を書き溜めた。
  時代は東西冷戦の真っ只中、
  社会主義体制の下で言論統制され、社会全体を閉塞感がおおっていたという。
  ウスペンスキーさんは自分が感じた社会の矛盾・疑問を物語りに描いた。

  チェブラーシカたちは家を建てるためレンガを管理する役人を訪ねる。
  しかし威張った役人は半分しか分けてくれない
  生活物資の不足でよく見られた光景のなか、
  何の行列かもわからず並ぶチェブラーシカたち。  
  
  架空の生き物を主人公にしたのは、
  当局の厳しい検閲を受けても、架空の世界の物語だといい逃れるためだった。
  
  ウスペンスキーさん
  「私の物語には悪い役人もうそつきの人も登場します。
   絵がないと出版できなかったでしょう。」

  絵本の発表から3年後、物語を人形アニメとして映画化された。
  絵本では黒い生き物だったチェブラーシカは、
  大きな耳と丸い目をして生まれ変わった。

  美術監督シュワルツマンさん(90)は、
  試行錯誤を繰り返してようやく今の姿にたどり着いたと言う。
  「小さくて善良な子供を連想させる形にしようと考えたんだ。
   チェブラーシカは守ってあげたくなる存在だよ。」

  チェブラーシカは映画の中でも社会の不正に立ち向かう。
  川が汚れて子供たちが泳げないことに気づくと、
  チェブラーシカはともだちのワニと協力して汚水を流す工場を懲らしめる。

  第二次世界大戦で家族を失い身寄りのない人が多かった当時のソビエト社会を反映して、
  人々が助け合う姿も描かれるようになった。
  映画は教育施設でも上映され、
  チェブラーシカは子供たちにも広く愛される存在となっていったのである。

  人形アニメの映画は大変な手間がかかることもあって、
  チェブラーシカの映画は15年間で4本のみ。
  最後の作品が公開されたのは1983年。
  そしてソビエトの崩壊とともに映画の中のチェブラーシカも姿を消した。

  27年ぶりに日本の映画監督たちの手でチェブラーシカの新作映画が製作された。
  善良さや仲間との助け合いなどオリジナルのテーマを大切に映画はつくられている。

  中村誠監督
  「チェブラーシカは戦後の荒廃した中から生まれたので、
   実際はその時代を反映した哲学みたいなものも含まれていたと思うが、
   未来を生きる子供たちに、
   一番大事になくてはいけない善良さに基づく話を作るのが肝心だった。」

  旧ソビエトの社会主義体制を風刺する存在として生まれたチェブラーシカ、
  誕生から40年余り、
  そのつぶらな瞳に今の世界はどう映っているのだろうか。
















  























 


























  
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