23日 サンデーモーニング
1600年、関が原の戦いで勝敗を分けたのは一人の武将の行動だった。
小早川秀秋は豊臣方の武将だったが、合戦を前に徳川方から寝返るよう誘われていた。
豊臣川に忠義を尽くすか、徳川について出世を謀るか・・・
小早川の軍は豊臣の陣に向かい、攻めかかった。
これをきっかけに戦局は一気に徳川に傾き、豊臣は敗北。
後世、彼の名には変節の文字が付きまとうことになった。
菅内閣の経済財政担当大臣に就任した与謝野氏への批判。
自民党時代、官房長官や財務大臣など主要閣僚を歴任。
去年4月には自民党を離党し,たちあがれ日本への参加を経て
今回民主党政権下の要職に就いた。
「まさに平成の脱税王なんですよ。」
「民主党には政治に対する哲学や思想はありません。」
民主党政権を激しく批判した政治姿勢とはそぐわない今回の選択は
メディアからも“変節”では?という声が上がった。
「変節」の節とは、竹の節のことだが、
「区切り」節度、「けじめ」節制、「信念」節操、を意味するようになり
信条や主義を変えることを変節という。
変節とおぼしき姿勢には、厳しい目が向けられるこの社会。
ふたまたこう薬、日和見主義などこうした態度を揶揄する表現は他にもある。
かつて、江戸から明治への大変革期。
勝海舟は、倒幕を目指す官軍が江戸へ攻め込もうとするとき、
西郷隆盛と会談し、江戸無血開城へと導いた立役者である。
勝海舟は明治新政府の要職に就いた。
もともと幕府に仕えながら、幕府を倒した新政府に仕える、
この変節とも見える勝の姿勢を厳しく批判したのは、
当時の言論界の中心的存在だった福沢諭吉だった。
福沢諭吉は「やせ我慢の節」という評論のなかでこう述べている。
「人生には富を得ようとすれば功名を失い、
功名を全うしようとすれば富を棄てざるを得ない場合がある。
後世その功名を薫り高いものとして残すか
悪臭を放つものとしてしまうのか
それは当人の決断にかかっている。」
幕臣時代に築いた名声を富を求めて汚してしまうよりも
潔く身を引くやせ我慢こそが日本国民の美徳ではないかと
福沢はいう。
それに対して、勝海舟は、
「身の振り方は私自身が決めること
けなす、ほめるは他人の言うことで、わたしのあずかりしらぬところです」
勝の心中には、明治という新時代を迎えて
幕府・官軍などという垣根はすでに過去のもの。
国のために役に立てる場所があるなら、そこで力をつくすのもご奉公。
そんな思いがあったのかもしれない。
1600年、関が原の戦いで勝敗を分けたのは一人の武将の行動だった。
小早川秀秋は豊臣方の武将だったが、合戦を前に徳川方から寝返るよう誘われていた。
豊臣川に忠義を尽くすか、徳川について出世を謀るか・・・
小早川の軍は豊臣の陣に向かい、攻めかかった。
これをきっかけに戦局は一気に徳川に傾き、豊臣は敗北。
後世、彼の名には変節の文字が付きまとうことになった。
菅内閣の経済財政担当大臣に就任した与謝野氏への批判。
自民党時代、官房長官や財務大臣など主要閣僚を歴任。
去年4月には自民党を離党し,たちあがれ日本への参加を経て
今回民主党政権下の要職に就いた。
「まさに平成の脱税王なんですよ。」
「民主党には政治に対する哲学や思想はありません。」
民主党政権を激しく批判した政治姿勢とはそぐわない今回の選択は
メディアからも“変節”では?という声が上がった。
「変節」の節とは、竹の節のことだが、
「区切り」節度、「けじめ」節制、「信念」節操、を意味するようになり
信条や主義を変えることを変節という。
変節とおぼしき姿勢には、厳しい目が向けられるこの社会。
ふたまたこう薬、日和見主義などこうした態度を揶揄する表現は他にもある。
かつて、江戸から明治への大変革期。
勝海舟は、倒幕を目指す官軍が江戸へ攻め込もうとするとき、
西郷隆盛と会談し、江戸無血開城へと導いた立役者である。
勝海舟は明治新政府の要職に就いた。
もともと幕府に仕えながら、幕府を倒した新政府に仕える、
この変節とも見える勝の姿勢を厳しく批判したのは、
当時の言論界の中心的存在だった福沢諭吉だった。
福沢諭吉は「やせ我慢の節」という評論のなかでこう述べている。
「人生には富を得ようとすれば功名を失い、
功名を全うしようとすれば富を棄てざるを得ない場合がある。
後世その功名を薫り高いものとして残すか
悪臭を放つものとしてしまうのか
それは当人の決断にかかっている。」
幕臣時代に築いた名声を富を求めて汚してしまうよりも
潔く身を引くやせ我慢こそが日本国民の美徳ではないかと
福沢はいう。
それに対して、勝海舟は、
「身の振り方は私自身が決めること
けなす、ほめるは他人の言うことで、わたしのあずかりしらぬところです」
勝の心中には、明治という新時代を迎えて
幕府・官軍などという垣根はすでに過去のもの。
国のために役に立てる場所があるなら、そこで力をつくすのもご奉公。
そんな思いがあったのかもしれない。