8月1日 読売新聞「編集手帳」
経済記者ではなかったのに上司の指示でなぜか、
開業に向け工事が進む台湾高速鉄道の取材に赴いたことがある。
政財界の人々が、
日本の新幹線の技術供与に感謝を示していたのを思い出す。
李登輝前総統(当時)が直接、
JR首脳と交渉したとも聞いた。
誕生から13年になる“台湾新幹線”は日台友好の証しであるとともに、
李氏の残した遺産でもあろう。
台湾の民主化を推進し、
親日家としても知られた李氏が97歳で亡くなった。
2000年に総統選で後継者が敗れ、
身を引いた時の逸話が民主主義をいかに愛したかを物語る。
陳水氏に大差負けし、
「とても楽しい」と笑顔で語った。
陳氏が同じ台湾生まれの「本省人」であったため、
大陸派の間には李氏が陰で支援したのでは…とあらぬ疑惑が渦巻いたという。
選挙を公正に堂々と戦う喜びが分からなかったのだろう。
国際社会は敬意を素直に示すのが難しい場所らしい。
日本政府は中国に配慮し葬儀に特使を派遣しない。
いささか切ない形になった大陸への新幹線の技術供与を思い出す。
かの国はわが技術と言い張り、
特許申請までしたのではなかったか。