2021年3月16日 NHKBS1「国際報道2021」
ジェーン・バーキンさん。
イギリス出身でフランスを拠点に活動する歌手で俳優
高級ブランド エルメスのバッグ“バーキン”の名前の由来になった人物としても知られている。
バーキンさんは親日家で
東日本大震災のあといち早く日本を訪れチャリティー・コンサートを通じて被災地を支援してきた。
(2021年3月 パリ ジェーン・バーキンさん)
「パリの自宅のテレビで大惨事を目の当たりにしました。
すぐに航空券を予約し
乗客がほとんどいない飛行機で東京に着きました。」
震災直後の2011年4月
東京渋谷でチャリティー・コンサートを開いたバーキンさん。
「地震と津波
そして原子力発電所の事故を知り
何ができるかを考えました。
答えはひとつ
皆さんと一緒にいることです。」
自ら街頭に立ち募金活動も行なった。
原発事故の影響を心配し外国人が次々と帰国するなか
日本で被災地支援に取り組む姿は多くの人たちの心を打った。
震災から2年後の2013年3月には
被害の爪痕が残る被災地 宮城県石巻に足を運ぶ。
地元の人たちを励まそうと現地で小さなコンサートも開いた。
バーキンさんがいまも取り組んでいる支援活動が
amaproject(アマプロジェクト)である。
仮設住宅で暮らす女性たちが作ったブレスレットなどをインターネットで販売し
生活再建を後押ししようというものである。
バーキンさんがこのプロジェクトに参加するきっかけを作ったのは
長女で写真家のケイト・バリ―さんだった。
ケイトさんはアマプロジェクトの発足直後から参加し
被災地の様子やプロジェクトの活動を写真に収め世界に発信していた。
ところが2013年
そのケイトさんが46歳で亡くなる。
思いがけない 娘との別れ。
受け入れることが出来ないバーキンさんのもとに届けられたのは
プロジェクトに参加する被災地の女性たちが折った千羽鶴だった。
バーキンさんは
震災で家族を失った女性たちが痛みを分かち合ってくれたことに支えられたという。
(ジェーン・バーキンさん)
「被災地の女性たちがケイトと私のことを思いながら鶴を折ってくれました。
感銘を受けました。
娘を亡くした被災者に出会った時は
子どもを失うことがあるとは考えもしませんでした。
でも今は子どもを失うこともあるのだとわかるようになりました。」
娘の遺志を継いだバーキンさん。
販売するTシャツのデザインなどに携わっている。
ともに活動を続けているエッセイストの村上香住子さんは
震災から10年が経ち支援活動への社会的な関心が薄れるなか
いつも背中を押してくれるのがバーキンさんだという。
(エッセイスト 村上さん)
「“支援を差し出す時はそれだけの覚悟がいるしやめるものではない
なんとかして続けなさいよ”というバーキンさんの言葉に
はっと気づかされたのは事実です。」
再び被災地を訪れたいと語るバーキンさん。
約1万キロ離れたパリから
今も被災者に心を寄せている。
(ジェーン・バーキンさん)
「今も想像を絶する暮らしを強いられている人たちのことを思っています。
なぜ活動を続けるのか?
それはやめることができないからです。
被災者の将来を少しでも変えることができるのなら
私は活動を続けます。」