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釣鐘で交流深める長崎と福建省の寺

2021-04-09 07:05:45 | 報道/ニュース

2021年3月16日 NHKBS1「国際報道2021」


インゲン豆 スイカ タケノコ ごま豆腐。
いずれも日本に渡ってきたのは江戸時代初期。
これらすべてを中国から伝えたとされるのが
高僧 隠元禅師(1592~1673)の一行である。
インゲン豆の名前の由来となった。
いま隠元禅師のつながりで
長崎と中国福建省のお寺同士が交流を深めようとしている。

真冬の深夜 長崎市の興福寺にあるものが運び込まれた。
2m四方
重さ2,5tある釣り鐘である。
興福寺の住職 松尾法道さんにとっては特別な釣り鐘である。
(興福寺 住職 松尾法道さん)
「待ちに待った迎える時がいよいよくる。
 本当にうれしいです。」
興福寺は
400年前の江戸時代初期
長崎に住み着いた中国の商人などが建てた寺のひとつである。
当時 興福寺の住職として中国から招かれたのが隠元禅師である。
吊るされた真新しい鐘。
じつは隠元禅師の出身地 中国の福建省の贈り物である。
なぜ釣り鐘が贈られたのか。
興福寺は太平洋戦争中
軍需物資として釣り鐘を供出し
75年以上 釣り鐘がない状態が続いていた。
32代目の住職 松尾さんは
戦争の爪痕を知ってもらいたいと
これまで訪れた人に対し釣り鐘がない話を説明してきた。
(興福寺 住職 松尾法道さん)
「興福寺はまだ終戦を迎えていません。
 ご年配の方たちは“ここの鐘もそうですか”と非常に残念に思う。」
転機が訪れたのは一昨年 2019年11月。
中国福建省の地方政府の幹部が訪れた際
松尾さんは釣り鐘の話をしたところ
幹部が釣り鐘を寄贈したいと申し出たのである。
釣り鐘をデザインしたのは
隠元禅師が長崎に来る直前まで住職を務めた福建省にある萬福寺である。
萬福寺の住職 定明さん。
長年途絶えていた長崎の興福寺との本格的な交流の復活に期待を寄せている。
(萬福寺 住職 定明さん)
「私たちは過去の400年の交流の歴史にとどまってはいけません。
 未来の400年の交流関係を切り開くことに意義があると思います。」
長崎市の興福寺で
この日初めて住職の松尾さんは釣り鐘の試しうちにのぞんだ。
寺に復活した釣り鐘。
隠元禅師が繋いだ縁を大切にしたいと
松尾さんは気持ちを新たにしている。
(興福寺 住職 松尾法道さん)
「隠元さんの教えもみんなで仲良くというのが教えの源です。
 この鐘が長崎の人たちの癒しになるような
 そういう役目を今から果たしていけることになる。」

 

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