3月15日付 読売新聞編集手帳
〈ふるさとの方角なせる遠空に音ともなはぬ花火のあがる〉
〈父の背に負はれ仰ぎし揚花火(あげはなび)子を背におへば亡き父おもほゆ〉。
いずれも読売歌壇より。
日本人は花火にさまざまな思いを投影してきた。
外国の花火は――といっても、
五輪の開会式などで打ち上がる様子を見るのみだが、
日本のものとはどこか異なる。
花火を上げ、
花火を仰ぐこと、
それ自体へのこだわりに差があるからかもしれない。
一発の大玉が見せる華やかさと儚(はかな)さ。
一体いつまで続くのかと、
目と口をあんぐり開けたまま、
スターマインの光の泉に包まれる恍惚(こうこつ)。
もし外国の人が知らないのなら、ぜひ教えてあげたい。
ひそかに抱いていたその願いを叶(かな)えてもらった。
先日、
小欄で紹介したホノルルフェスティバルでの新潟・長岡花火の打ち上げだ。
「大成功でした」と森民夫市長から丁重な手紙が届いた。
ワイキキの浜辺は感嘆の声にあふれたという。
世界から集った観光客も、
戦災と震災の犠牲者に向けた鎮魂の思いをきっと分かってくれただろう。
〈ねむりても旅の花火の胸にひらく 大野林火〉。
花火は夏の季語だが、
常夏の地ゆえ。