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リーマンショック10年 “震源地”アメリカはいま

2018-10-03 07:00:00 | 報道/ニュース

9月13日 おはよう日本


2008年9月
アメリカを代表する投資銀行リーマン・ブラザーズが破綻。
株価は急落。
金融システムはマヒ状態に陥り
世界経済を奈落の底に突き落とした。
あれから10年。
成長を続けるアメリカ経済に死角はないのか。

ニューヨーク株式市場
株価は堅調である。
ダウ平均株価は今年1月に記録した最高値に迫る勢いである。
不動産市場も活性化している。
マンハッタン南西部の一角はニューヨークで最大の再開発が進んでいる。
商業施設やオフィスなど13棟のビルを建設する「ハドソンヤード・プロジェクト」。
10月完成予定の地上51階建てのビル。
企業からの引き合いが強く
家賃は2年前に完成した同じ区画内のビルと比べ3割上昇したと言う。
トランプ減税もあって
消費も順調である。
消費者の購買意欲を示す指標は17年10か月ぶりの高い水準。
宝飾品や高級ブランドなども軒並み業績は好調である。
住宅市場も好調である。
しかし危うさも見えてきた。
アトランタ郊外に住む リー・ヒックスさん(53)。
去年 念願のマイホームを購入した。
プール付きの100坪超の豪邸。
価格は1億4,000万円ほどだった。
(リー・ヒックスさん)
「50代になってプール付きの家を手に入れた。
 まさに“ドリームハウス”だよ。」
オフィス家具メーカーに勤務していたヒックスさん。
リーマンショックによって解雇され
当時住んでいた住宅を差し押さえられてしまった。
その利益が残ったため
リーマンショック後に厳しい融資基準が課せられた銀行からは借りられなかった。
代わって住宅ローンを提供したのは銀行の免許を持たないノンバンク。
購入価格の8割の1億円超の融資を受けた。
ヒックスさんに融資したノンバンク。
リーマンショック後に創業。
急激に融資を増やしている。
銀行への規制が続く一方で
住宅ローン全体に占めるノンバンクの割合は今や50%近くに達している。
(ノンバンク エンジェルオーク シュレーニ・プラブCEO)
「われわれは“金融の申し子”だ。
 危機後の規制のおかげで成長できた。
 これからもっと住宅ローンを提供できるよ。」
ノンバンクを含む金融機関に対する当局の監督は
危機前より強化されると言われている。
そこにワシントンにあるシンクタンクがこんな疑問を投げかけた。
ノンバンクは銀行に比べて借り手の信用度が低いうえ
情報が十分開示されておらず
どれほどのリスクがあるのか不透明だと言うのである。
さらにウォール街でささやかれているのは社債をめぐる問題である。
社債というのは会社が発行する債務である。
リーマンショックから立ち直るためにいま金融緩和・低金利が続いている。
本来は業績が良くないのに金利が安い有利な条件で債券を発行している会社もある。
いまあらためて金融危機から何を学ぶべきなのか。
当時のニューヨーク連合銀行総裁でのちの財務長官も務めた ティモシー・ガイトナー氏。
ガイトナー氏はリーマン・ブラザーズが破綻する直前まで
FRB(連邦準備制度理事会)を代表する立場で
金融機関による賠償交渉をまとめようと奔走していた人物である。
(ガイトナー 元財務長官)
「金融は元来 危機で壊れやすいものだ。」
当時多くの金融機関を破綻瀬戸際から救ったのは
FRBが持っていた緊急にお金を貸す仕組みだった。
しかしその後の法律改正によって手続きが必要になり
迅速に対応することが難しくなったのである。
いわば“消火器がじょうろになった”ようなものである。
(ガイトナー 元財務長官)
「FRBは議会の承認を得なければ動けない。
 急な危機に対応が遅れるリスクがある。」
「金融システムは非常にもろい。
 破綻のリスクから人々を守るために強力は保護策が必要だ。
 危機の記憶は永遠には残らない。
 忘却は敵なのだ。」



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リーマン10年 ウォール街の教訓

2018-10-02 07:00:00 | 報道/ニュース

9月13日 おはよう日本


“ウォール街の大物”と言われリーマン破たんの内幕を知る人物 ピーター・コーエン氏。
(ピーター・コーエン氏)
「当時は電話に出るのが怖かったよ。
 どんな悪いニュースか考えるだけでぞっとした。」
コーエン氏は1980年代にリーマンの会長を務めた。
リーマン破たん時のCEO ファルド氏はかつての部下だった。
破綻後ファルド氏は“世界経済を危機に陥れた張本人”と激しい批判を浴びた。
(ピーター・コーエン氏)
「当時のCEOのファルドは今も友人だ。
 危機の最中よく電話で相談を受けたが
 彼は何が起きているか十分に把握していなかった。
 巨大金融機関は地下のパイプで結ばれるように世界中でつながっている。
 FRB(連邦準備制度理事会)も
 その規模がどれだけ巨大なものか認識していなかった。」
コーエン氏は
いま会社の規模拡大ばかりに目を向けてはいけないと考えている。
(ピーター・コーエン氏)
「経験から学んだことだが
 会社は大きくなると制御できなくなる。
 会社に経営者が振り回されてしまう。」
破綻当時リーマン・ブラザーズのエコノミストだったイーサン・ハリス氏。
リーマンショックの引き金となったサブプライムローンなど
複雑な金融商品の実態は
ウォール街でどう把握されていたのか。
(元リーマン・ブラザーズ エコノミスト イーサン・ハリス氏)
「金融市場では理解できないことがたくさん起きていた。
 複雑な金融商品がすごいスピードで拡散されていった。
 危機が起きてはじめて
 こうした金融商品が経済にリスクを及ぼすことをようやく理解した。」
10年経った今もウォール街でエコノミストとして働くハリス氏。
リーマンショックから得た教訓があると言う。
(元リーマン・ブラザーズ エコノミスト イーサン・ハリス氏)
「もし複雑なものがあれば
 それは想像以上に危険性が高いかもしれない。
 物事の変化を見るときは
 何が起きているか
 注意深く見つめる必要がある。」



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リーマンショック10年 技術者たちの逆襲

2018-10-01 07:00:00 | 報道/ニュース

9月12日 おはよう日本


新潟県妙高にあるベンチャー企業
コネㇰテックジャパン 社長平田勝則さん(54)。
創業から9年
半導体関連の事業を展開している。
32人の社員のうち50代と60代が半数以上。
その多くがリーマンショック後にリストラの対象となった技術者である。
かつて大手電機メーカーに勤めていた平田さん。
会社を起ち上げたのはリーマンショックのつらい経験を跳ね返すためだと言う。
当時勤めていた会社では平田さんがいた半導体部門もリストラの対象になった。
管理職だった平田さんは
会社の方針に従い同僚たちにリストラを言い渡した。
(コネクテックジャパン 平田勝則社長) 
「本当に地獄絵図のところだった。
 自分の力のなさ
 ふがいなさと怒り
 たまらない数か月間だった。」
会社を去った技術者の能力や志の高さを知っていた平田さん。
その力を集めれば世界で挑戦できると考え
新たに会社を起ち上げる決断をした。
(コネクテックジャパン 平田勝則社長)
「自分で手塩にかけて共に学んできた仲間を
 リーマンという訳のわからない事象で切らざるを得なくなった時に
 いまこそさらに“人こそ大事なり”であるべきではないか。。」
創業メンバー3人で工場をかまえたのが平田さんの地元 新潟だった。
当初5年間は苦しい経営が続くが
10年後世界に通用する高い技術の開発を目指した。
今年実現したのが
これまでより低い温度で半導体のチップを取り付ける技術である。 
従来は260度まで温度を上げないと装着できなかった半導体を
80度で取り付けられるようにしたのである。
(コネクテックジャパン 平田勝則社長)
「260度という温度ではペットフィルムが変質
 ほぼせんべいに近いくらいバリバリ。
 80度で特性を変えることなく半導体を実装できる。」
衣服や医療器具など柔らかい素材でもセンサーが装着できるとして
用途はさらに広がるとしている。
(コネクテックジャパン 平田勝則社長)
「半導体がいたるところに実装できさえすれば
 いろんなサービス
 産業が生まれてくる。
 新産業を引っ張っていくトリガーに我々はなりたいと願っている。」
一度は挫折を味わった技術者たち。
世界で勝ち抜くには何が必要なのか。
毎朝 平田さんが理想とする経営者
松下幸之助の言葉を全員で読み上げる。
(松下幸之助 「道をひらく」より)
道をひらくためには
まず歩まねばならぬ
心を定め
懸命に歩まねばならぬ
挑戦を続けなければ道は開けない
リストラでつらい経験をした技術者たちが心をひとつにする時間である。
出身メーカーは異なるが
もう一度自分の力を試したいという思いが集まった技術者たち。
少人数でも世界に挑戦できると自信を深めている。
(内藤弘之さん)
「わくわくしますね。
 また私の力が役に立つんだ。
 世界で戦えるのではないかと本気で思っている。」
技術者たちが挑戦の部隊に定めたのは台湾。
世界的企業が集まる台湾の見本市。
取引先を一気に拡大したいと考えた。
半導体チップを低温で取り付ける
あの技術をアピールする計画である。
(コネクテックジャパン 平田勝則社長)
「大きく道が開けるのではないかと思っている。」
「300引き合いは絶対ゲット!
 勝負どころだよな。」
9月5日 台湾。
いよいよ平田さんたちの勝負の日。
世界の680の企業が出展する見本市。
最新の技術や製品が紹介され
3日間で5万人近くが訪れた。
平田さんたちの展示ブース。
小さな会社が要求に応えられるのかという指摘もあった。
(中国企業の社員)
「魅力的な技術だが
 量産したときに同じ性能を出せるか。」
一方 前向きな評価も相次いだ。
(台湾企業の技術者)
「装置を小型化しようとしているが
 これはすごい技術だ。
 技術力に驚いている。
 まさに探していたものだ。」
商談に向け交換できた名刺の数は目標を超え328枚にのぼった。
「技術の商談がどんどんくる。
 この紙1枚
 この1行からわれわれはモノが作れる。」
10年前のつらい経験から這い上がった技術者たち。
逆襲に向けた挑戦はこれからも続く。
(コネクテックジャパン 平田勝則社長)
「自分自身として一番成長できたのがこの10年。
 10年前より よりタフな人間になれているし
 よりアグレッシブで
 よりチャレンジングな人間になれたのは
 ああいうショックが
 人が起こしたことだけれども
 それに巻き込まれた中で見えたことではないかと思う。」



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