日暮しの種 

経済やら芸能やらスポーツやら
お勉強いたします

イラン開発のドローン 中東で新たな脅威に

2019-09-15 07:00:00 | 報道/ニュース


8月21日 NHKBS1「国際報道2019」


アメリカとイランの間では核開発で緊張が続いているが
実は中東全体ではイランのまったく別の脅威をめぐって新たな形の戦いが始まっている。
イラン製の軍事用ドローンアバビール
その名前はイスラム教の聖典コーランに記された“神が遣わした鳥の部隊”に由来する。
イランはこのアバビールを中東各地の武装勢力に提供。
その攻撃は各国にとって新たな脅威となっている。
(イスラエル軍需企業)
「ドローンは戦場のゲームチェンジャーだ。」
さながらドローン戦争の様相を呈している中東。
中東各地の紛争でドローンによる攻撃が多発している。
低空飛行するためレーダーでとらえにくいとされるドローン。
なかでもイラン製のアバビールは爆弾を搭載できる。
航続距離は1,200kmあるとされている。
イランはこの軍事ドローンを自らの影響下にある武装勢力に提供していて
イエメンの反政府勢力がサウジアラビアを攻撃したり
パレスチナの武装組織がイランの宿敵であるイスラエルへの攻撃を活発化させている。

今年1月イランの政権側の軍事基地で突然の攻撃で6人が死亡した。
上空にはドローンの姿が。
ドローンを仕向けたのはイランが支援する反政府勢力である。
アバビールの改良型だったと指摘されている。
さらにこの反政府勢力が8月
10機のドローンを使い
イエメンの支配地域から1,000km以上離れたサウジアラビアの油田に攻撃を仕掛けた。
サウジアラビアはアメリカ製の防空網を敷いているが
低空飛行するドローンの攻撃を防げずにいる。
(サウジ主導の融資連合 マリキ大佐)
「イエメンの無人機は確実にイラン製のアバビールTだ。
 油田などを狙うのはサウジだけでなく世界のエネルギー安全保障や経済への攻撃だ。」
かつてアメリカなどが独占していた軍事用ドローンの技術を
イランはどのようにして入手したのか。
イランの隣国アフガニスタンで墜落したアメリカ軍のドローン。
イランの協力者が回収しイラン側に持ち込まれたとみられる。
当時イランの精鋭部隊は血眼でドローンの技術を手に入れようとしていた。
(イラン革命防衛隊 元司令官 キャナニモガダム氏)
「アフガニスタンに墜落するなどした米軍のドローンを回収し
 分析して解析することでドローンの設計技術を獲得してきた。
 その結果
 今では自分たちだけど
ドローンを製造できるようになった。」
さらにアバビールの攻撃能力を向上させたのは7年以上続くシリア内戦だとされている。
イランが支配下に置く武装組織は過激派組織ISを攻撃するためアバビールの専門部隊を作った。
その実践データはイラン側に提供されたという。
(カーネギー中東センター ハッジアリ氏)
「レバノンの武装組織はシリアでドローンを効果的に展開した。
 おかげでアバビールの性能は内戦の数年間で向上した。」
イギリスの兵器専門家がイラン製のドローンを分解して調べたところ
一般に出回っている部品を組み立てただけの簡単な作りだったという。
(イギリスの調査機関 レフ調査部長)
「イラン製のドローンはコストがとても低い。
 これは民生技術でアマチュアでも使える。
 だから規制するのも難しい。」
低コストで製造できるアバビールは
戦闘機や防空システムなど高度な軍事技術が用いられてきた空中戦の常識を覆そうとしている。
(軍事専門家 ハンナ氏)
「イラン系の勢力がわずか200ドルでドローンを飛ばすのに対し
 イスラエルは1発5万ドルだ。
 必要なコストが全く異なる。」
アメリカが圧力を強めるなか
イランは生き残りをかけてドローンを使った戦略に磨きをかけている。
(イラン革命防衛隊 元司令官 キャナニモガダム氏)
「トランプ大統領が制裁を強化したとしても
 ドローンの技術向上を止めることはできない。」
イラン製のドローンに危機感を深めているのがイスラエル。
イスラエルはイランのドローンのドローンの脅威に対抗するため
技術開発を急いでいる。
(軍需企業が製作した映像)
「我々の舞台はドローンが待ち構えている敵陣に向かわなければない。」
イスラエル側が警戒しているのレーダーで探知しにくい小の型ドローンである。
Eliminated by Selectabei Meansが開発したのは
AI(人口知能)を使い半径3キロメートル以内に相手が接近すると妨害電波発射。
強力なレーザー光線で迎撃する新兵器である。
イスラエルは国をあげてドローン対策をすすめ
アメリカなどと連携し各地に配備しているとみられる。
開発を率いるのは空軍の元司令官である。
(イスラエル軍需企業 責任者)
「我々はとても困難な地域に入る。
 ドローンは戦場のゲームチェンジャーだ。
 脅威は革命的に大きくなっている。」
台頭著しいイラン製の軍事用ドローン。
の中東の混乱に拍車をかけている。

 

 

 

コメント

フレア・バーテンディングを究める

2019-09-14 07:00:00 | 報道/ニュース

8月21日 NHK「おはよう日本」


バーでお酒をつくる際にお客さんを楽しませる
「フレア・バーテンディング」と呼ばれる技術がある。
ボトルやシェイカーが飛びかうフレア・バーテンディング。

名古屋市内にあるバー。
この店でフレア・バーテンディングを行う女性がいる。
柏谷理夏さん(25)。
今年の4月 富山からやって来た。
この日はお客さんの誕生日祝い。
依頼を受けるとフレアショーで祝福する。
(客)
「本当にすごい」
「まさにザ・ショー。
 ハラハラです。」
柏谷理夏さんがフレアを始めたは4年前。
フレアを極めたいと
単身 名古屋でフレア漬けの生活を選択したのである。
修業の場としてこの店を選んだのはオーナーの滝藤育伸さんがいるからだった。
世界大会で3位になったこともあり国内大会では10回の優勝に輝く実力者である。
全てを賭けてこの店に来た柏谷さんに滝藤さんも期待している。
(Delicious foods and Bar Tatula オーナーバーテンダー 滝藤育伸さん)
「負けん気強い子なんで
 人よりも早く上達したい
 覚えたい。
 やる気があって今の時代いないタイプ。」
夢をかなえるため店に立つ前に毎日欠かさず練習場に向かう。
柏谷さんにとって大事な大会がせまっていた。
そこで挑戦したい技があるという。
1個の「ティン」と呼ばれるシェイカーと1本の瓶を使った1ティン1ボトル
手に持つ道具が少ないぶん表現力が求められる。
プロを目指すためにはその精度を高めなければならない。
(滝藤育伸さん)
「1ティン1ボトルまで決まったら
 お客さんも
 この人上手いってなる。
 本当はノーミスを狙った演技を組まないといけない。
 ちょっと先を見て無理させてる。」
瓶を投げている最中にお酒がこぼれてしまう。
「液体がボトルの底まで行ってからボトルを落とす。
 1回止めないとボトルを。」
投げたボトルをキャッチすると
中に入ったお酒はボトルの口まで達する。
柏谷さんはお酒がボトルの底に落ちるのを待たずにボトルを回転させていた。
まさに0,1秒の世界である。
Central Japan Flair Cup 2019 
6月30日
選ばれた20人が参加する。
柏谷さんはプロを目指す人たちが競うアドバンス部門に参加する。
(柏谷理夏さん)
「何百時間ってやって来たわけなので
 自分のできる限りで見せていきます。」
果たして練習の成果を見せることができるのか。
1ティン1ボトル
40秒の勝負である。
そして練習でお酒をこぼしていたあの場面。
こぼさず成功!
見ごと優勝!
(柏谷理夏さん)
「プロの中でも闘える選手になって
 もっと応援される人になりたい。」

今年10月にはフレア・バーテンディングの全国大会が名古屋で開かれる。




コメント

ラグビーW杯 切り札は“日本流”!

2019-09-13 07:00:00 | 報道/ニュース

8月21日 NHK「おはよう日本」


ラグビーファンのビール好きは筋金入り。
2015年イングランド大会では1試合あたりのビールの消費量がサッカーの6倍以上だった。
ここを商機と見た関係者が切り札として期待しているのが
日本ではおなじみのあのおもてなし術。

観客でにぎわうプロ野球のスタジアム。
観戦に欠かせないのがサーバーを担いで歩き回るビールの“売り子”さんたち。
試合に邪魔にならない絶妙のタイミングで冷たいビールを届けてくれる。
この“売り子”の販売サービスがラグビーW杯の試合会場でも導入されることが正式に決まっている。
(フルキャスト 北海道・東北支社長)
「売り子というサービスは海外にはないサービスと認識している。
 おもてなしのサービス。」
その売り子さんのサービスのノウハウとは?
“エース”と呼ばれる売り子は
スタンドに出るやいなや首を振って客席全体を見渡す。
そしてあっという間にお客さんを見つける。
ビールを注ぐ間も抜け目なく周辺をチェックする。
広い視野を持つことで
1試合で200杯以上を売る。
2つ目の秘密は
売り子さんたちは出発から40分以内に基地に戻るのがルール。
こまめにサーバーを交換することで常に冷えたビールを提供できるようにしている。
さらに売り子の配置にも工夫がある。
“司令塔”役のスタッフが稼働する180人の売り子の位置を常にチェックしていて
偏りが出ないように指示をしている。
売り子さんが敬遠しがちな最上段のお客さんのもとへも無事にビールがいきわたった。
売り子サービスを運営するこの会社では
野球場で培ったノウハウをラグビーW杯の試合会場でも応用できると自信を見せている。
(フルキャスト 北海道・東北支社長)
「日本独自のサービスを演出できると思っている。
 よりお客様の視点に立ってサービスを展開していく
 ご満足いただく。
 より一層しっかりと行っていく必要がある。」



コメント

独自の進化!中国ヒップホップ

2019-09-12 07:00:00 | 報道/ニュース

8月20日 NHKBS1「国際報道2019」

いま中国の若者の間で大人気のヒップホップ。
インターネットで放送されたヒップホップの番組をきっかけに人気に火がついた。 
(観客)
「彼らの歌には関心を持てるから共感できる。
 歌の価値観が若者に合っているんだ。」
とりわけ注目を集めているのがヒップホップミュージシャンのVAVAさん(23)。
曲を通して自分の思いを伝えることにこだわり続けてきた。
(VAVAさん)
「自分の考えや経験を曲の中で表現しています。」
2年前 音楽番組に出演すると
一躍 時の人に。
「Life's struggle」VAVA
人生は戦いだ
それでも日々生きていく
喜怒哀楽と数えきれぬトラブ
しかし最近VAVAさんの曲作りにある変化が表れている。
直接的な表現により慎重になったのである。
(VAVAさん)
「“ある人たち”のための曲だが
 中国では放送しづらい。」
去年 中国当局は突如各テレビ局に対してヒップホップを番組で扱わないよう指示。
ヒップホップは体制批判に結び付きやすいとして
その文化が広がることを警戒したとみられる。
当局によってヒップホップのライブが突然中止させられることも珍しくないという。
こうしたなかVAVAさんが挑んだのが
当局の規制の対象になることのある一部の弱い立場の人たちへの思いを込めた曲である。
「レインボー」という言葉を使ってそれを暗示させた。
(「レインボー」VAVA)
自分らしく生きることこそ勇敢
偏見を捨て愛で満たせ
欠けた中から心の安らぎを見つけて
平凡なあなたは少しも平凡なんかじゃない
自分らしく目覚めよう
自分らしくレインボー
(VAVAさん)
「自分の音楽をやるだけ。
 暗示的な表現でも理解してもらえたら。」
一方で堂々と自らの思いを歌うミュージシャンもいる。
20代若者のヒップホップグループ
天府事変である。
(「信」天府事変)
一帯一路は新シルクロードの復興
中国の善意が世界へ拡散
俺たちには自信がある
中国は再び世界の中心に
最大の特徴は中国政府を強く支持する歌詞。
今の中国の高い技術力や当局の政策への支持。
それに列強諸国に翻弄されてきた歴史への怒りを激しい言葉で訴えている。
屈辱を受け入れるのか?
目の前の国難に譲歩するのか?
見ぬふりすれば
傷ついた国の復活はない
列強は俺たちを狙っている
俺たちの突撃を世界へ見せつける
彼らの曲はミュージックビデオの制作に中国共産党の精鋭組織が協力するなど
もともと体制に挑戦的だったヒップホップの精神に反すると
批判の声もあった。
しかし音楽配信サイトでは約3,000万回のダウンロードを記録。
中国のヒップホップファンから強い支持を得ている。
背景にあるのは1990年代以降に生まれた若者たちの祖国への思いだという。
ものごころがついたときから中国の発展を目にした彼らは
強い共感を寄せているのである。
(「天府事変」 王さん)
「中国の発展はとても速く
 多くの分野で外国と差はなくなり
 進んですらいる。
 多くの人に支持される理由は若者と同じ思想を歌にしているから。」
アメリカで生まれたヒップホップは
文化や社会体制が異なる中国で独自の変化を遂げようとしている。

 

コメント

伝統の綿織物でかける“虹”

2019-09-11 07:00:00 | 報道/ニュース

8月20日 NHK[おはよう日本」


初秋から冬にかけて通り雨が多くなり虹が現れることで知られている高島市。
その琵琶湖を望む観光施設に
地元伝統の綿織物で作られた“虹”が登場した。
地場産業の担い手が新たなものづくりに挑戦している。

滋賀県高島市箱館山。
標高630mの展望台に現れたのは・・・
虹のカーテン。
伝統の織物「高島ちぢみ」
約200枚が風になびく。
カーテンを抜けると琵琶湖。
インスタ映えを狙って多くの人が。
高島市に江戸時代から続く綿織物「高島ちぢみ」。
琵琶湖に流れ込む清らかな水にさらすことで真っ白な生地を生み出す。
高島ちぢみの特徴は「しぼ」と呼ばれる独特の凸凹。
肌にあたる面積を少なくすることができる。
涼しい肌ざわりと清潔感のある白い色で
夏の肌着として昔から親しまれてきた。
しかし出荷量は安価な海外製品に押され
およそ30年前のピーク時に比べて10分の1程度まで落ち込んでいる。
いま高島ちぢみを作っているのは1つの工場だけである。
今年の春から虹のカーテンを手掛けた平山さん。
人目を惹く色を使って
まずは高島ちぢみに関心を持ってもらいたいと考えた。
(平山さん)
「写真や口コミで情報を広げてもらえるのは地場産業にとって非常にありがたい。
 パステルカラーというのは今までなかった分
 こんな色もできると感じていただけたらいいかなと。」
白い生地が大半を占める高島ちぢみ。
生地をカラフルな色に染めるのは初めてである。
赤・青・黄色の3色の染料を使い
微量な配合を繰り返し
虹の7色を表現する。
淡い虹色を表現するのに1か月試行錯誤を続けた。
虹のカーテンをきっかけに若者向けの商品作りにも。
高島ちぢみ初のアウトドアウェアを開発。
(平山さん)
「ちぢみの新しいポテンシャル。
 それを今の商品作りにもっと生かしていきたい。
 ものづくりにまだまだ励んでいけるなと自信を持てました。」
「いろんな方に実際手に取っていただける
 触っていただくと高島ちぢみの良さってお客さんに伝わると思うので
 もっともっと知ってほしいなと。」
高島ちぢみの新たな挑戦。
虹の未来へ。

 

コメント

ピクニック計画から30年 ハンガリーはいま

2019-09-10 07:00:00 | 報道/ニュース


8月19日 NHKBS1「国際報道2019」


東西冷戦時代ハンガリーは東側諸国のなかでいち早く民主化が進んでいた。
30年前の8月
ショプロンでオーストリアとの国境が一時解放されて
東ドイツの人たち600人以上がハンガリーからオーストリアを経由して西ドイツに亡命したのである。
これは「ヨーロッパ・ピクニック計画」と呼ばれ
その後の東欧諸国の民主化の流れをつくった。
国境の町ショプロンは普段は人口600人ほどの閑静な街だが
「ピクニック計画」30周年を祝福しようと多くの人が集まった。
式典ではドイツのメルケル首相も演説を行った。
(ドイツ メルケル首相)
「ピクニック計画は1989年に起きた民主化への大きな動きの象徴となった。
 我々ドイツ人はヨーロッパ分断を克服するためにハンガリーが協力してくれたことに感謝している。」
しかし民主化運動から30年の節目を迎えるなか
ハンガリーで注目されているのは皮肉にも
EUを激しく批判して自国第一主義を掲げるオルバン首相なのである。

ラズロさんは30年前 東側の人を西側に逃がした「ヨーロッパ・ピクニック計画」に参加した。
(ラズロさん)
「ここにゲートがあった。
 ここにあるのはすべて当時のままだ。」
国境を越えて西側のオーストリアに亡命する東ドイツの人たちの喜びに満ち溢れた表情を忘れたことはない。
計画にかかわったことを今も誇りに感じている。
(ラズロさん)
「我々は自分たちの行動を正しいと信じ
 ベルリンの壁の崩壊を目指していた。
 全国民が同じ希望を抱いていたと思う。」
東西冷戦時代ヨーロッパはいわゆる「鉄のカーテン」によって東側と西側に分断されていた。
しかし国境が一時解放され
東ドイツの人たち600人以上が一気に西側に脱出した。
東ドイツの人たちは街で平和的に開かれるピクニックへの参加を装って国境に集まっていたことから
「ヨーロッパ・ピクニック計画」と呼ばれている。
計画は民主化を求めた当時の政党と政権関係者が極秘に進めたとされている。
そしてこの動きがその後の東欧諸国の民主化につながった。
東西冷戦の象徴だったベルリンの壁も抱懐。
ハンガリーは東側諸国の民主化の原動力となったのである。
あれから30年。
いまハンガリーでは当時と逆行するような動きが強まっている。
絶大な権力をふるい
“独裁者”とも呼ばれるオルバン首相が支持を集めているのである。
(ハンガリー オルバン首相)
「ハンガリーの人々よ!
 立ち上がれ!」
(市民)
「オルバン支持です。
 彼はハンガリー民族の利益を優先してくれる。」
2004年 EUに加盟したハンガリー。
経済は国民が望んだ発展とはほど遠い状況が続いている。
1人あたりのGDPはEUの平均の3分の1ほどで
西側との差は歴然として残っている。
オルバン首相は西側諸国が中心となって進めているEUの経済政策を批判。
それが国民の心をつかんでいるのである。
ピクニック計画にかかわったラズロさんもオルバン首相を支持している。
(ラズロさん)
「我々は西欧諸国の植民地のような存在。
 ずっとヨーロッパ統合に向けて戦ってきた。
 だがまだ東西の間には“目に見えない鉄のカーテン”が存在する。
 オルバン首相ならハンガリー経済を強め
 我々の立場を高めてくれる。」
しかしオルバン首相の強硬な政治姿勢は国際社会から非難を集めている。
(ハンガリー オルバン首相)
「我々はいまいまイスラム教徒に侵略されている。
 EUはその侵略を進めようとしている!」
2015年 40万人超の難民らが流入し混乱が起きたハンガリー。
EU加盟国で初めて国境の一部を封鎖した。
全長500キロに及ぶ二重のフェンス。
高圧の電流が流れている。
国連は“非人道的”としてたびたび非難している。
さらにオルバン首相は政権に批判的なメディアへの圧力を強めている。
オルバン政権と対立していたテレビ局で編集長などを務める著名なジャーナリストだった男性は
去年 解雇された。
「ヨーロッパ・ピクニック計画」で
ハンガリーが世界に示した自由を求める精神は失われつつあると懸念している。
(ジャーナリスト ゲルゴさん)
「ハンガリーの報道機関には自由がない。
 昔は事実を報道していたが
 今は政権の言うことをそのまま流すだけだ。
 政権に批判的なジャーナリストは仕事も得られない状況だ。」





コメント

“アプリ”で伝える日豪友好の歩み

2019-09-09 07:00:00 | 報道/ニュース

8月19日 NHKBS1「国際報道2019」


「オーストラリアと日本 友好と繁栄」
両国の友好の歴史をまとめた本である。
このなかで紹介されているカウラという町。
この町には美しい庭園とともに
太平洋戦争中に戦った日本軍とオーストラリア軍の痕跡が今も残されている。
カウラで何があったのか。
本だけでなくスマートフォンのアプリでも伝えていこうという新たな取り組みが始まった。

オーストラリア南東部の町カウラ。
戦時中 日本兵などの捕虜収容所があったことなどから
日本とオーストラリアの戦争と和解の歴史を今に伝える場所となっている。
太平洋戦争中
日本軍は連合軍の基地があったオーストラリア本土をたびたび攻撃するなど直接戦火を交えた。
カウラにあった捕虜収容所。
当時1,100人を超える日本兵が収容されていた、
1944年8月 ここで集団脱走が起きた。
脱走する捕虜への発砲などで230人余が死亡した。
戦後 収容所の近くには日本兵などの墓地が整備され
カウラは日本とオーストラリアが互いに理解を深める町となったが
その歩みを詳しく知る人は多くない。
そこで日系人に関する研究などをしているグループが
カウラの歴史を紹介するアプリを新たに作った。
(製作者の1人 ショルツさん)
「アプリなら簡単な操作でより多くの人に聞いてもらえると思いました。」
アプリでは墓地や収容所の跡地など10か所を示し
触れるとゆかりのある人の証言を聞くことができる。
(アプリの音声)
「日本兵は小屋から集団で出てきて
 有刺鉄線まで走ると鉄線に毛布をかけた。
 手を守るため野球のグローブをはめた者もいた。」
証言者の1人 オリバーさん(71)。
当初 捕虜の遺体が埋められた場所は放置されていたが
戦地から戻ったオリバーさんの父とその仲間は清掃などを行った。
死んだ戦友が弔われたのか遺族から尋ねられた時
日本兵の遺族も同じ思いでいるに違いないと気づいたという。
(証言者の1人 オリバーさん)
「父たちは
 墓を手入れして
 命を落とした人たちに敬意を払うべきだと思ったそうです。」
父と仲間たちの取り組みはカウラの住民たちの心を動かし
現在の墓地が完成。
今では毎年慰霊式も行われている。
(証言者の1人 オリバーさん)
「アプリを通じて
 和解がどのように始まり広がったのかを知り
 その重要さを理解するのはすばらしいことです。
 誰も二度と戦争を望みません。」
この日はアプリを作ったグループのメンバーが地元の高校生らにアプリを紹介した。
生徒たちはアプリを通して
墓地の墓地の整備にかかわった人の話や脱走した日本兵に関する説明に耳を傾け
70年余前の出来事に思いをはせた。
(アプリの音声)
「父たちは墓地の草を刈り雑草を抜いた。
 日本兵の遺族も誰かが墓の面倒を見ることを望んでいるはずだと思ったんだ。」
(地元の高校生)
「初めてカウラの脱走事件を身近に感じました。
 学校で詳しく習わないので
 アプリの話を聞き
 より大事なことと感じました。」
グループは
後世に証言などを伝えることで
日本とオーストラリアのつながりがさらに深まってほしいと願っている。
(アプリ製作者の1人 ショルツさん)
「アプリの証言を聞いた人はその話を広めるでしょう。
 多くの人がそこから何かを学び
 未来につなげてほしいと思います。」



コメント

箱根ハイランドホテル ラ・フォーレ

2019-09-08 21:11:17 | グルメ

  

  

                           (食べログより)

 

 

 

神奈川県足柄下郡箱根町仙石原品の木940箱根ハイランドホテル

https://www.hakone-highlandhotel


コメント

参勤交代の川渡り 地域をつなぐ “かち渡り”

2019-09-08 10:15:00 | 報道/ニュース

8月19日 NHK「おはよう日本」


秋田県大館市の小学生たちが江戸時代の参勤交代を再現し川を歩いて渡る“かち渡り”。
地元の歴史を学ぶ教育の一環として始まった行事が
地域に新たなつながりをもたらしている。

お侍さんに薬売り。
大館市の早口小学校などの子どもたちなどが江戸時代の参勤交代を再現した催しである。
最大の見どころは
小学校の近くを流れる早口川を歩いて渡る“かち渡り”。
江戸時代 参勤交代の行列も
青森と福島を結ぶ羽州開度を流れるこの川を渡ったとされている。
“かち渡り”の行司が始まったのは26年前。
江戸時代の行司から歴史を学び
子どもたちに地元への愛着を持ってもらおうと引き継がれてきた。
(参加した子ども)
「わらじがちょっと脱げたりしたので
 そこが苦労したんじゃないかなと思いました。」
この行事を始めた1人が早口小学校の元PTA会長 高橋さんである。
小学校が参勤交代のルートだった羽州街道沿いにあるという立地を生かし
“かち渡り”を再現することを思いついたという。
(高橋さん)
「ふるさと学習につながっていくと思って
 私らも手探りで一生懸命。」
高橋さんは教師や保護者と一緒に江戸時代の地元の土地柄を勉強し子どもたちに教えた。
さらに安全に川を渡れるよう重機で川の石を取り除いた。
“かち渡り”の実現に取り組むうちに
子どもだけでなく保護者にとっても大切な行事になっていったという。
(高橋さん)
「親とどういう服装をしていくんだ
 どういうものがある方がいいよねとか相談する。
 見る行事から
 参加する行事になったのでは。」
“かち渡り”を通じたつながりは学校の外にも広がっている。
“かち渡り”の当日に履くわらじ作り。
子どもたちに教えているのは卒業生の親や祖父母など地域の人たちである。
保護者だけでなく地域の人たちもわらじ作りを学び
“かち渡り”にのぞむ子どもたちを支えている。
(地元の参加者)
「他人の子であっても自分の子と同じ。
 それがいちばんいいんじゃないかな。
 自分で出来る限りは尽くしていきたい。
 残していきたい。」
早口小学校だけでなく
近くの3つの小学校の児童や地域の人たちも参加した今年の“かち渡り”。
道路沿いでは地域の人たちが見守る。
今年はおよそ100人の子どもたちが川を渡った。
川を渡る子どもたちを見守った高橋さんは
“かち渡り”が地域をつなぐ行事としてこれからも続いていくことを願っている。
(高橋さん)
「無事に続いていることをありがたく思っている。
 つながりがあったこそできている。
 これからも続いて行ってほしいと思う。
 立ち上げたものとして。」

 



コメント

声あげ始めた日系アメリカ人反移民高まるアメリカで

2019-09-07 06:00:00 | 報道/ニュース

8月19日 NHK「おはよう日本」


トランプ政権のもと移民への反発や敵視が深刻化するアメリカ。
8月にはヒスパニック系の移民を標的にした乱射事件も起きた。
そのアメリカで
日本からの移民の血を引く日系アメリカ人の間で
こうした風潮に異議を唱える人が増えている。

オクラホマ州。
「収容所を閉鎖しろ!」
7月 不法移民を収容する施設の前で行われた抗議活動。
目を引いたのは袈裟をまとった僧侶など日系アメリカ人の姿だった。
なぜ不法移民の問題に日系人が立ち上がったのか。
背景には
太平洋戦争中12万人もの日系人が“敵国からの移民”とみなされ
強制収容所に連行された歴史がある。
不安そうな表情で収容される女性の写真。
この女性が収容所で産んだのが日系3世のサツキ・イナさん(75)である。
日系人の歴史を語り継ぐ活動をしている。
イナさんが母親の証言などをもとに作った映画「From a Silk Cocoon(絹の繭から)」。
厳しい環境のなか子どもたちを育て上げた苦悩を描いている。
メニュー:パン、茹でたじゃがいも ソーセージ数切れ
こっそりとおかわりをした
規則違反だが
お腹がすいている
そしていま中米諸国からの移民が劣悪な環境で収容され
亡くなった子どももいると聞いたとき
イナさんは他人事とは思えなかった。
(日系3世 サツキ・イナさん)
「怒りを感じました。
 劣悪な環境に置かれた移民の子どもや家族の姿は
 まるで私たちのように感じるからです。」
ただ戦後多くの日系人は政治的な活動を避けてきたという。
(日系3世 サツキ・イナさん)
「日系人は強制収容のトラウマからこれまで沈黙を守ってきました。
 110%良きアメリカ人であろうとしてきたのです。
 再び抑圧の対象となるのが怖かったのです。」
しかしいま行動を起こすべきだと考える日系人が増えている。
その1人
日系3世のルイス・ワタナベさん(63)である。
戦時中 祖父母たちが暮らした収容所は砂漠のなかにあった。
食事もままならず
亡くなった人も多かったという。
(日系3世 ルイス・ワタナベさん)
「ここで亡くなた人のために祖父が建てた慰霊塔です。
収容所で亡くなった人たちの歴史を決して風化させてはならないとワタナベさんは考えている。
(日系3世 ルイス・ワタナベさん)
「人種差別は長い間続いてきました。
 しばらく下火になっていたかもしれませんが
 最近になってとつぜん息を吹き返してきました。
 私たちの家族に起きたようなことが繰り返されないことを願っています。」
そしてワタナベさんは思いを行動に移す。
中米出身の移民とともにトランプ政権に対する抗議デモに参加したのである。
胸元には収容所の慰霊塔の写真を抱え連帯の意志を示している。
(日系3世 ルイス・ワタナベさん)
「私がここに来たのは
 収容所に入れられた子どもたちの姿が
 戦争中に起きた私の家族の苦しみを思い出させるからです。」
70年以上前人種差別のために苦難の道を歩まされた日系アメリカ人たち。
反移民の風潮が再び強まるなか
決して歴史を繰り返してはならないと
声をあげ始めている。



コメント

フランス “料理”で目指す自立 難民が作る祖国の味

2019-09-06 07:00:00 | 報道/ニュース

8月17日 NHK「おはよう日本」


ヨーロッパで難民や移民に対する排他的な風潮が広がるなか
難民がふるさとの味をふるまう異色のレストランが登場し
注目を集めている。

20近くのレストランが並ぶパリのオープンスペース。
“ラ・レジドンス”(住まい)という名の店では難民がシェフとして働いている。
去年3月にオープンした。
「これはシリアのレシピなんですよ。
 どうぞ召し上がれ。」
いま人気のメニューは
鶏肉を直火で焼くシリアの伝統料理“シャワルマ”である。
フランス人に好まれるコリアンダーやザクロを一緒にラップに包みアレンジしている。
(客)
「おいしい。
 繊細な味だ。」
メニューを考えたのはシリア出身のハイサム・カラジャイさん(39)。
7月からこのレストランで働いている。
(ハイサム・カラジャイさん)
「お客さんが“とてもおいしい”とか“これは何ですか”と聞いてくれるのがうれしい。」
カラジャイさんは内戦が激化するなか4年余前にフランスにわたり難民申請した。
(ハイサム・カラジャイさん)
「道を歩いていたら数メートル先に爆弾が落ちたことがあった。
 内戦は私の人生の全てを変えてしまった。」
2015年以降シリアなどから多くの難民が押し寄せ
フランスにはいま約37万人の難民が暮らしている。
受け入れに反発する排他的な風潮が国民の間に根強く残っている。
カラジャイさんのような難民に手を差し伸べているのがフランスのNGOである。
将来 飲食業を営んで自立した生活ができるよう
接客やメニュー作り
仕入れの方法などを
実践で学べるよう支援している。
(NGO団体 共同代表 ルイ・マルタンさん)
「料理を食べた人に
 難民への偏見を改めてもらい
 難民の人たちには安定した職について欲しい。」
カラジャイさんがレストランで働き始めて1か月余。
すでに自分の給料で生計を立てられるようになった。
調理の腕がかわれ
新しいメニュー作りも任されている。
これまで調理経験のなかったカラジャイさん。
メニューの開発にあたり参考にしたのが母親のレシピである。
「これはサラダ
 これはクッパ(揚げ物)
 本当にたくさんのレシピを教えてもらった。」
母親のアファフ・アルラシェドゥさんは
シリアからともに逃げ
今年6月に亡くなった。
夫を病気で亡くしたあと一人息子のカラジャイさんを女手一つで育ててくれた。
レシピは生前
母親からカラジャイさんが毎日聞き取ってまとめたもの。
大切な形見である。
(カラジャイさん)
「シリアで39年間学んできたことをフランスに還元したい。
 その方法が母親がおなかを満たしてくれた料理だった。」
新しいメニューのサラダは
キュウリなどの野菜に
ザクロやレモン汁
オリーブオイルをまぜる。
味の決め手は隠し味のミント。
何度も試作を重ねて完成させた。
(カラジャイさん)
「これは母親のレシピで
 伝統的な調理法だ。
 母親はいつも刻んだミントで味つけをしていた。」
いずれは独立して自分の店を持ちたいと話すカラジャイさん。
新しい人生の1歩を向見だそうとしている。
(カラジャイさん)
「難民は地下鉄構内で眠る
 ことばが話せない
 というネガティブなイメージがあるが
 社会に溶け込み
 何とか人生を切り開こうとしている人もいることを知ってほしい。」




コメント

台風の倒木防ぐ 線路沿いの事前伐採

2019-09-05 07:00:00 | 報道/ニュース

8月16日 NHK「おはよう日本」

 

和歌山県内を走るJRの路線では
毎年台風による強風で多くの倒木が発生するなどして被害を受けている。
こうした被害を事前に防ごうとJRでは大掛かりな取り組みを始めた。

JR阪和線沿いの雑木林。
線路沿いの木を伐採しているのはJR西日本和歌山支社である。
和歌山県内を走るJRの路線は海沿いを走っているイメージが強いが
実際には3分の1以上が森や林の中を走っている。
このためJRを悩ませているのが毎年のように起きる倒木である。
特に被害が大きかったのは去年の台風21号と24号。
和歌山支社管内の合わせて20か所以上で倒木が起き
電車の運行が妨げられた。
このうち台風21号では倒木の撤去や電線の修理などに1億円以上かかったほか
運転再開まで最大で10時間かかるなど
大きな影響を受けた。
線路などの安全管理を担当しているJR西日本和歌山支社 施設課。
倒木の被害が年を追うごとに増えていると危機感を抱いている。
(JR西日本和歌山支社 施設課)
「鉄道建設していた当時は大きな木も生えていなかったと思うが
 それが何十年もたっ木も伸びてきて
 手入れされていないところもあって
 倒木は増えてきていると考えられる。」
現在 和歌山支社管内には線路の沿線で倒木の危険性の高い箇所が約260か所あり
このうちの9割がJRの敷地外にある。
こうしたなかJRでは大掛かりな対策を打ち出した。
危険な場所についてはJRが費用を負担してでも伐採を強化することにしたのである。
(JR西日本和歌山支社 施設課)
「木が倒れると列車が乗り上げて脱線する危険があって
 JRの用地内だけの伐採では安全を担保できない。」
この日訪れたのは大坂阪南市のJR阪和線の沿線にある雑木林。
去年の台風でも多くの木が倒れた場所である。
「ここ一帯全部 台風で倒れた木。
 木が反対に倒れていたら上下線を支障していたと思う。」
この現場では約150mの雑木林を伐採するのに数千万円かかるが
倒木で事故が起きる可能性や復旧にかかるコストを考えて
必要だと判断した。
(JR西日本和歌山支社 施設課)
「地権者に本来切ってもらいたいところだが
 地権者の都合もあって
 自己防衛的に列車の運行に支障をきたすような危険のある木は
 自分たちで切るという方針で行っている。」
この土地の所有者は約30年前までこの場所で旅館を経営していた。
伸び続ける気が気がかりだったが
莫大な費用を考えると手が付けられなかったという。
(所有者)
「本来打ちが伐採しないといけないが
 JRさんにしてもらえるのは非常にありがたい。
 できる限りは協力していく。」
対策を進める上でJRが苦労しているのが土地の所有者への連絡をとることである。
登記簿などで所有者が確認できても今の連絡先が分からないケースが多いのである。
解決には行政などとの連携が必要だという。
(JR西日本和歌山支社 施設課)
「地権者に連絡するアプローチするのは大変。
 電話番号はないので会いに行かないといけない。
 交渉の中で行政や森林組合の協力を得られれば助かる。」
要望を受けた和歌山県では
鉄道の安定的な運行のため今後 連携を進めていきたいとしている。
(県 林業振興課)
「最近の豪雨による災害を未然に防止する非常に大切な取り組みだと思う。
 森林所有者の調査には
 市町村や森林組合などにも連絡しながら協力したい。」
地域にとって重要なインフラである鉄道。
災害に負けないための取り組みが鉄道会社の枠を超えて動き始めている。




コメント

しのげば、必ず朝が来る

2019-09-04 07:15:00 | 編集手帳

8月16日 読売新聞「編集手帳」


 サンディという名のハリケーンが米北東部を痛撃したのは2012年の秋だった。
大潮と重なり、
ニューヨークでは地下鉄が浸水し、
証券取引所さえ閉鎖された。

注目されたのが先手先手の計画で被害の拡大を防いだことだった。
「Last Wake Up Call!!(目を覚ませ、次はない)」。
早期の避難により、
数千戸が全半壊した沿岸で犠牲者はいなかった。
地下鉄は3日前から運行停止を予告、
車両を退避させて短時間での再開を果たした。

お盆休みの西日本を台風10号が縦断した。
新幹線を始め、
数々の交通機関の計画運休で難渋した方は多かろう。
ただ、
案内板を前に途方に暮れる、
そんな風景は減っただろうか。
「命は自分で守る」。
昨年の豪雨を体験したお年寄りは早々に身を寄せた避難所でそう話していた。

昔、
詩人の長田弘さんが語った台風一過の思想、
という言葉を思い出す。
たたかうのでなく、
なんとかしのげば、
後には必ず
朝(あした)が来る。
日本には風にしなう生き方、
考えが根強くあるのではないか…。

過ぎるほど備えを重ねじっとやり過ごす。
個々人の心構えが無事な朝を連れてくる。

コメント

北海道 「ジンギスカン鍋」の博物館

2019-09-03 07:00:00 | 報道/ニュース

8月16日 NHK「おはよう日本」


ジンギスカンの主役は肉やたれではなく鍋。
岩見沢市にあるジン鍋アートミュージアム
展示スペースは8畳ほど。
全国各地から集めたジンギスカンの鍋が300枚以上展示されている。
手のひらサイズの直径13センチの可愛らしい鍋や
その10倍の大きさ直径1メートル30センチの
博物館曰く世界一大きい鍋も。
鍋を収集したジン鍋アートミュージアム館長の溝口さん。
Q.いつから収集?
「2005年から14・15年目くらい。」
溝口さん自慢の鍋は昭和31年考案の鍋。
えんとつのようなものがついている。
かつてジンギスカンは鍋を七輪にのせて焼いていた。
その火力をフタを取り外して調節するのである。
(ジン鍋アートミュージアム館長 溝口さん)
「集めると鍋にはいろんな形・機能があり
 しかもそれが歴史を経るごとに変遷する。
 自分の勉強としてもジンギスカン鍋は面白いと思っている。」
コレクションの鍋は肉を焼くのにも大活躍である。
月に1度 展示している一部の鍋でジンギスカンパーティーを開いている。
溝口さんが博物館をオープンさせたのは3年前。
そこにはふるさとへの思いがあった。
博物館のある万字地区はかつて炭鉱の街としてにぎわい
昭和30年代には約5,000人が暮らしていた。
しかし地区の柱だった炭鉱は昭和51年に閉山。
(ジン鍋アートミュージアム館長 溝口さん)
「炭鉱閉山後あっという間に町の人口が減る。
 すごいショック。
 ここで昔の賑わい
 花見や運動会のあと必ずみなさんジンギスカンを食べていたから
 そこで鍋の博物館を開く意味もあるかなと。」
賑わいを少しでも取り戻したいと
溝口さんはかつて食料品店だった実家を博物館にしたのである。
博物館から聞こえてくる不思議な音色。
この日コンサートが開かれた。
叩いているのはジンギスカンの鍋である。
(コンサートを企画 岩見沢ノイズサミット 吉田さん)
「博物館の鍋をたたいてみると全部音が違うのが面白い。」
(溝口さん)
「“たたかせてくれませんか”って申し出があった。
 “え?”って思って
 “これ面白いね”となり
 “たたくのに鍋を使っていいから
 ここでコンサートしましょうか”と。」
コンサートが最高潮に達すると観客全員にも鍋が配られた。
(訪れた人)
「面白いですね。」
「楽しい。
 また来たいと思います。」
 鍋すごくいい音。
 たたかせてもらって。」
(溝口さん)
「鍋だけであんなに多彩な音楽とリズムできるとは思わなかった。
 これは1つの収穫。
 夏のいっときをこういうふうに過ごし
 昔のにぎわい 再現できてよかった。」
鍋を通じてつながっていく人の輪。
溝口さんはふるさと万字でその輪を広げていく。


コメント

またとない反省の日

2019-09-02 07:00:00 | 編集手帳

8月15日 読売新聞「編集手帳」


終戦の年の5月25日、
のちに作家となる18歳の北杜夫さんは東京最後の空襲を体験した。
「山の手空襲」である。

翌日、
自転車で青山から渋谷にかけてを走って目にした光景を、
『どくとるマンボウ追想記』に書き残している。
建物はことごとく焼き払われ、
「空洞となったビルや倉庫」がぽつりぽつりと残るだけ。
表参道の入り口にはおびただしい数の遺体が積み重ねられていたという。

青山、
渋谷、
表参道。
できれば若い方に今の東京一等地との景色の違いを心に留めていただきたく、
青山育ちの北さんの随筆を引いた。

<八月十五日>。
そう題する詩がかつて、
本紙の「こどもの詩」欄に載ったことがある。
<終戦記念日
 どうして日本が負けた日が
 記念日なの>(小学3年生・男子)。
この疑問に選者の詩人、
川崎洋さんがじつに簡潔明瞭な評を寄せている。
「またとない反省の日だからです」

きょうがまたとない日となる。
なぜ戦争をしたか。
なぜ戦没者は310万人に及んだか。
痛みとともに歴史を省みつつ、
考える日だろう。
そして華やぐ街を今、
なぜ安心して歩けるか。
その理由も記念日に教わろう。



コメント