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変わる伝統の“中国食文化”

2020-08-16 07:00:00 | 報道/ニュース

8月28日 NHKBS1「国際報道2020」


新型コロナウィルへの感染を防ぐため世界各地で生活習慣に変化が起きている。
中国ではおなじみの中国料理の食事の場面で新たな取り組みが始まっている。

エビの蒸し餃子にダチョウのロースト。
素材を生かした優しい味わいが特徴の広東料理である。
“食は広州にあり”という言葉で知られる食の都 広東省広州。
創業85年の老舗 広州酒家。
店内に流れる映像で紹介されているのは新型コロナウィルスへの感染対策。
特に力を入れているのが「取り箸」の導入である。
中国料理では大人数で円卓を囲んで料理を直に箸でつつくのがおなじみの光景である。
しかしこの店では
食べる時に使う箸の他に新たに取り箸を1人ずつ導入した。
箸を介して感染が広がるのを防ぐためである。
(客)
「いくつも箸があって面倒ですが
 慣れれば問題ありません。」
さらに個室では客の要望に応じて事前に1人分ずつ取り分けるサービスも行っている。
(広州酒家 感染対策担当)
「店がしっかり対策をしていると分かれば
 安心して来てくれます。」
実はこうした対策は2003年にSARSが広東省から広がった時にも呼びかけられていた。
しかし手間とコストがかかることや
同席者との親近感を重視する中国の人には抵抗感があり
定着しなかった。
業界団体は研修会などを通じて
今度こそ新たな食文化のスタイルとして定着させたいと考えている。
(広東調理協会 会長)
「取り箸の取り組みと伝統的な観念の間には対立するところがあります。
 中国の伝統的な食文化にとって新たな歴史の始まりとしたいのです。」
上海にある企業の中にはビジネスチャンスにつなげようと動き出したところも。
今年4月から取り箸の生産に乗り出し
月に5万膳の取り箸を作っている食器工場。
(取り箸を製造する食器会社 社長)
「皆さんの健康促進に貢献できるよう
 休日返上で作っています。」
今後はネット販売にも力を入れ
取り箸を定着させようと意気込んでいる。
飲食店での取り組みが進む一方で
取り箸を使う習慣が家庭の食卓でも徐々に広がりを見せている。
デパートの食器売り場の一角には新たに取り箸を扱うコーナーも設けられた。
WHOと中国の保健当局は合同で行った調査から
ヒトからヒトへの感染の約8割が家庭内で起きていることが判明。
取り箸の効果に期待が高まっているのである。
上海市内に6人で暮らす一家。
家族の間で感染が広がることに不安を感じ
取り箸を使うことにした。
ところが食事に夢中になるとこれまでと同じように
つい自分の箸で取ってしまうことも。
(娘)
「まだ慣れないけど
 良い習慣だと思ってやり続けます。」
(父)
「取り箸は安全です。
 家だけでなく外に行っても積極的に使っていきます。」
中国料理の世界に取り箸が定着するのか。
1人1人の意識の変化がカギを握りそうである。



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イタリア人作家語る コロナ時代に生きること

2020-08-15 07:00:00 | 報道/ニュース

7月22日 NHKBS1「国際報道2020」


「コロナの時代の僕ら」。
日本を含め世界34か国で合わせて約200万部が出版されている。
著者はイタリア人の作家 パオロ・ジョルダーノさん。
今年2月から3月にかけて
新型コロナウィルスについて感じたことを27の短いエッセイにまとめたもので
まさに今起きている世界の惨状を予見するような示唆に富んだ内容となっている。

都内 池袋の大型書店。
「コロナの時代の僕ら」は話題の本が置かれた本棚に並んでいた。
日本では翻訳本は1万部で成功とされているが
すでに5万部以上が出版され
異例のヒットとなっている。
パオロ・ジョルダーノさんは
素粒子の研究で理論物理学の博士号を持つ異色の作家である。
2008年
デビュー作の恋愛小説で“イタリアの芥川賞”といわれる賞を史上最年少で受賞した。
新型コロナウィルスの出現で
何が起き
どう生きていくべきなのか。
科学者の視点で分析する一方
小説家ならではの豊かな表現力で描写し
不安な日々を過ごす人々の共感を呼んでいる。
(ジュンク堂 池袋本店)
「今こうした長期戦の中で
 どういうふうに考えたらいいんだろうという1つの指針に
 よりどころとして
 買っていかれる方もいるんじゃないかと思います。」
(パオロ・ジョルダーノさん)
「この本はコロナがイタリアの問題ではなく
 他の国々
 世界全体の問題だと警告するために書きました。
 本を書いたことでこの混乱を少しは整理できました。」
本が書かれたのはイタリアで感染が急拡大する前の2月末から3月初めにかけてだが
その内容は世界のその後を予見するものとなっている。
イタリアだけでなく世界中で感染が広がり甚大な被害をもたらした。
僕らは過去のどんな世代よりも頻繁に
ずっと遠くまで移動する
ミツバチと風が花粉を運ぶように
僕らは不安の種と病原体を運ぶ
空の旅はウィルスの運命を大きく変え
従来よりはるか遠い大地を
ずっと速く征服できるようにした
感染症の流行時は
人類の有能さが人類の不幸の種ともなる
(「コロナ時代の僕ら」早川書房より)
本の中では感染状況が悪化した原因について
“グローバル化がもたらした暗い影の1つだ”と指摘し
“全人類1人1人が考えるべき問題だ”と強調する。
グローバル化の周辺で生じる効果の数々
感染症のパンデミックもそんな効果のひとつなら
この新しいかたちの連帯責任はもはや誰ひとりとして逃れられない
(「コロナの時代の僕ら」早川書房より)
(パオロ・ジョルダーノさん)
「こうしたグローバルな問題に対して
 私たちの行動が完全にローカルなものであっては不適切です。
 私たちはグローバルな状況を反映して
 それを変えなければなりません。」
さらに
行政・専門家と市民との間にある根強い不信感から
感染を防ぐのに必要な情報が共有されていない問題にも言及している。
行政は専門家を信頼するが
僕ら市民を信じようとはしない
専門家にしても市民をろくに信用していないため
いつもあまりに単純な説明しかせず
それが今度は僕らの不信を呼ぶ
結局僕らは何を信じてよいのかわからぬまま
余計にいい加減な行動をとって
またしても信頼を失うことになる
(「コロナの時代と僕ら」早川書房より)
(パオロ・ジョルダーノさん)
「私たちはスピーディーに
 簡素化された情報を得ることに慣れすぎています。
 メディア・政治家・行政も
 難しいことは全部抜きにしています。
 時には複雑な情報が必要です。」
ジョルダーノさんは
「同じよう男な感染症の発生を繰り返さないためには
 新型コロナウィルスが原因で亡くなった人々の死を
 記憶し続けることが重要だ」と訴える。
(パオロ・ジョルダーノさん)
「犠牲者を忘れたくありません。
 死者を忘れることは私たちが考えるよりたやすいことです。
 彼らの死は
 私たち全員に対して
 同じことが二度と起きないようにするための警告です。」

 

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“海の貴婦人” 木造帆船 シナーラ

2020-08-14 06:56:33 | 報道/ニュース

7月20日 NHK「おはよう日本」


帆を広げた美しさから“海の貴婦人”とも呼ばれるシナーラ号。
建造から90年以上たったビンテージヨットである。
すべて木で作られた世界的にも貴重なものである。
この船はかつては老朽化が進み
元の姿を取り戻すことは難しいと言われてきた。
修復が始まったのは3年前。
所有する日本の企業が
東京オリンピックのセーリング競技が行われる会場でお披露目を目指し
作業を進めてきた。
かつての融資を取り戻すことで
復興五輪の一翼を担いたいと始まった修復プロジェクトである。


神奈川県三浦市にあるヨットハーバー。
今年3月
陸上での修復作業を終えた「シナーラ」が3年ぶりに海の上に戻された。
全長30m
総重量73t。
舵にロープの滑車 デッキにいたるまですべて木で作られている。
国内に現存する数少ないビンテージヨットの1つである。
(日本セーリング連盟 河野会長)
「帆船が世界中から減っていくなかで
 シナーラの修復は非常に貴重なこと。
 大変美しい姿でよみがえっていることは
 日本のセーラーにとって大変な励みになる。」
シナーラが作られたのは1927年。
イギリス王室のヨット建造を請け負っていた造船所が
“世界で最高のヨットを作る”という信念のもと
10年以上かけて完成させた。
1970年代には日本の企業が購入。
世界を周遊する様子が26回にわたって放送され話題となった。
19年前にシナーラを引き継いだリゾート運営会社の代表 渡邉さん。
世界的にも貴重なこの船を次の世代に残したいと
大規模な修復を決断した。
(リビエラホールディングス 渡邉代表)
「歴史そのものを背負った船。
 価値がある。
 動くミュージアムだと思っている。
 多様な文化 歴史を学ぶ1つの材料になればいい。」
2017年
修復作業は船の解体から始まった。
建造当時の木材を生かして船を再生させるためである。
作業を進めるのはヨーロッパなどから来た職人たち。
総勢50人が10か国から集まった。
リーダーはイギリス出身のハーヴィーさんである。
造船に携わって30年のベテランである。
(ハーヴィーさん)
「これは内装に使われていた板です。
 バラバラに分解しパーツごとに修復します。」
船に多く使われていたのは手に入れるのが難しいミャンマー産の高級木材である。
傷んだ部分だけを取り除き同じ種類の木材で埋めなおす。
どれだけ多くオリジナルの木材を残せるか
その見極めに多くの時間を費やしたとハーヴィーさんは言う。
(ハーヴィーさん)
「この船はヨットの黄金期 造船技術の絶頂期に生まれました。
 私たちが心血を注いだのは
 元のデザインを尊重することです。」
建造当時の姿を忠実に再現したいと考えたハーヴィーさん。
その前に立ちはだかったのは90年の月日だった。
度重なる航海を経て
船の部材は変形。
腐食によって原形をとどめていない部分もあったからである。
修復作業を大きく前進させたのは図面の発見がきっかけだった。
(ハーヴィーさん)
「これはロンドンの国立海洋博物館から入手した。」
博物館の所蔵品の中から
無いと思われていた建造当時の設計図が見つかったのである。
(ハーヴィーさん)
「この図面から船の形状や配置が分かります。
 細かい部分を知るのに本当に役立っています。
 頻繁に図面を見直していますが
 そのたびに新たな発見があります。」
修復作業には多くの日本人も参加している。
ヨット製造の先進地ヨーロッパの技術を吸収するためである。
内装を担当するのは家具職人の橋本さん(25)。
箪笥作りで名高い広島県府中市から参加した。
この日は船体に取り付ける板の調整を繰り返していた。
(橋本さん)
「普通の家具だとほとんどが直角ですが
 船の場合は角度がついている。
 なかなか簡単にはいかない。」
「今までやったことがないところ おもしろい。
 毎日楽しみながら作業している。」
3年ぶりにテントから出されたシナーラ。
5月にはテスト帆走が行われた。
舞台は東京オリンピックセーリング競技の会場となる相模湾である。
“海の貴婦人”がよみがえった。
(ハーヴィーさん)
「イギリスで生まれたこのヨットが日本に渡り
 今では日本の文化の1つになろうとしている。
 これから100年 航海してほしい。
 すばらしい船出になりました。」

この修復作業は新型コロナウィルスの影響で
外国から来た職人が帰国したり資材の輸入が止まったりするトラブルがあった。
そんななか日本に残った職人たちが
国内で新たな資材を探したり方法を工夫して修復にこぎつけた。
シナーラは今後もテスト帆走を続け
来年のオリンピックに向けて準備を進めていくということである。
 

 

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夏休みの記憶

2020-08-13 07:02:46 | 編集手帳

7月19日 読売新聞「編集手帳」


明治の東京をしのぶ『旧聞日本橋』で、
作家の長谷川時雨(しぐれ)は幼かった自分を〈アンポンタン〉と記す。
親からそう呼ばれたからだ。
その〈アンポンタン〉には、
ぼんやり人の顔を眺める癖があった。

少女に見つめられた側は困惑し、
「私の顔に出車(だし)でも通るのかね」。
むろん通るはずもない。
面白いことなどないのに、
よしとくれというわけだが、
この夏は町にも山車(だし)神輿(みこし)が出ない。

全国北から南まで、
多くの祭礼が中止ないし縮小と聞く。
相手はコロナ、
歯がみするのも詮ないが、
にぎやかなお囃子(はやし)も屋台の匂いもお預けである。
花火大会もまたしかり。
懐かしい記憶が今年、
子どもたちから欠け落ちるかと思うと、
やるせない。

今は昔、
両国の川開きで、
時雨は船に乗せられた。
花火の終わりは父の膝で寝たふりをしたという。
〈あとがさびしいから〉。
夢にも似た時間を体験し、
夢が果てる切なさをも学ぶのか。

井上陽水さんの名曲に、
過ぎし日の夏を歌う「少年時代」がある。
口ずさめば祭りも花火も出てくる。
しかも大方の小学校で、
夏休みは短くなる。
少年少女に、
どんな思い出を作ってやれるだろう。


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将棋界の華やぎ

2020-08-12 07:17:10 | 編集手帳

7月17日 読売新聞「編集手帳」


なぜ頬が緩むのだろう。
CMプランナーの高崎卓馬さんいわく、
<人は笑う前に必ず驚いている>
(『表現の技術』中公文庫)。
感情の動きを鮮やかに言い当てていよう。

たくさんの人を笑顔にできるのは、
表情にもまだ幼さを宿す高校生への驚きが先に立つからかもしれない。
藤井聡太七段(17)が渡辺明三冠(36)を破り、
新棋聖となった。待望の初戴冠である。

このところ驚かされることといえば、
異常な降雨であったり、
集団感染の発生であったり…
なかなか明るい感情を持ちづらいときに、
得がたい朗らかなニュースだろう。

戴冠最年少記録を塗り替えたのはもちろん、
どこまで強くなるかと快進撃への話題は尽きない。
今回は涙をのみ、
二冠(棋王・王将)となった渡辺さんにもファンは多い。
妻の伊奈めぐみさんが漫画誌に連載する『将棋の渡辺くん』には、
ぬいぐるみ集めなど夫の風変わりな日常がつづられている。

新棋聖が王位戦で挑戦中の木村一基王位(47)にしても、
中年の星などと呼ばれて人気を広げている。
勝負のかくも厳しい譜をきざむ盤の周りに、
多彩な風がそよぐ。
将棋界が華やいできた。

 

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活気を取り戻す北京の古い町並み

2020-08-11 07:00:00 | 報道/ニュース

7月16日 NHKBS1[キャッチ!世界のトップニュース」


北京の下町はかつて
フートン(胡同)と呼ばれるレンガ造りの独特の街並みで知られていたが
その多くが取り壊され
残されたフートンも以前の活気が失われている。
しかし最近フートンの中には
若い芸術家たちの取り組みで活気を取り戻したところも出てきている。

この20年余
北京では都市開発が一気に進んだ。
昔ながらのフートンは次々と姿を消した。
その後 北京市民の間では
人情豊かな風情があるフートンを残そうという機運が高まり
政府も保存を重視する姿勢に変わってきた。
しかし
古くて狭い・駐車場が無いなど生活は不便なため
若い世代は移転。
住民の多くは中高年や低所得者層になり
活性化はなかなかうまくいかない。
そうしたなか
近年 活性化に一役買うようになったのが若い芸術家たちである。
北京中心部のフートン 五道営。
10年前から
おしゃれなカフェやレストラン
手作りの民芸品を置いた雑貨店などが建ち並ぶようになった。
北京市も“新しい文化と歴史が交わる町”として指定し
今では洗練された伝統文化を発信する場所にもなっている。
ブティックを経営する服飾デザイナーの曲さん。
少数民族のミャオ族の染め物などを現代風にデザインし
ワンピースやスカーフなどに加工して販売している。
ターゲットは服装にお金を使うようになった中国の高所得者層。
外国ブランドのまねではない独自の服飾文化を発信しようとしている。
(服飾デザイナー 曲さん)
「ろうけつ染めの図柄は下書きなしです。
 描けるようになるには40年かかります。」
内陸の山間部に住むミャオ族は
優れた染め物や刺繍の文化を持っているが
経済発展にともなって若い人が都市部に出稼ぎに行くようになり
伝統を受け継ぐのが難しくなっている。
「文化を残すには人々の生活に生かされる必要がある」と曲さんは言う。
(服飾デザイナー 曲さん)
「伝統的な服飾文化は
 人々が着ないと保存できません。
 民族衣装の伝統を生かした服を多くの人に着てほしいと思います。
 伝統的で現代的なものを作り続けます。」
内務部街と呼ばれるフートンでは
若い芸術家たちが人々の交流をテーマに活性化に取り組んでいる。
于さんが代表を務める芸術家グループ。
于さんらは多くの若者がフートンを訪れるように展示会やイベントを頻繁に開いている。
常設展のテーマは
フートンの生活に今も息づく“レトロ文化“。
展示された着物などを手に取って
忘れがちな暮らしの魅力を再発見してもらうのが狙いである。
たとえばフートンの年配の女性が被っている毛糸の帽子。
展示してみるとそのほのぼのとしたデザインが若者の興味をかきたてる。
さらに集会場を訪れた若者や住民がおしゃれな写真を撮影するコーナー。
写真を通じて交流の場が広がればと企画された。
(住民)
「私たち住民同士も仲良く交流するようになりました。」
「おかげで若返ったような気がします。」
外観だけの保存や商店の誘致だけでは
本当の意味での活性化ではなく
そこにいる人が交流し生活を楽しんでこそ魅力的な町並みが残せると
于さんは考えている。
(グループ代表 于さん)
「ここで人生を過ごしてきた住民あってこそのフートンです。
 この取り組みが成功したら
 他のフートンにも広げたいと思います。」
物の豊かさよりも
心の豊かさや生活の中の文化を大切にしたい。
芸術家や若者の思いが
古くからのフートンに新しい魅力を注ぎ込んでいる。

 

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再起の合図となれ

2020-08-10 07:00:00 | 編集手帳

7月16日 読売新聞「編集手帳」


歌に思い出が寄り添い、
思い出に歌は語りかけ…
NHKアナウンサーとしてラジオ歌番組の名調子で知られた中西龍さんは高校野球の実況でも伝説を残している。

「お母さん、
 あなたの息子さんがバッターボックスに立ってますよ」。
鹿児島放送局の駆け出し時代、
マイクに向かって呼びかけたという。
お母さんほどの近親者ではなくとも、
選手を身近に感じられるのが地方大会の良さだろう。

豪雨の被災地・大分で県大会が開幕した。
「最後の一球まであきらめず全力でプレーします」。
選手宣誓したのは、
日田林工の左藤優弥主将である。

そう、
あきらめない全力プレーほど、
災害の爪痕に苦しむ日田市の人たちを勇気づけるものはないだろう。
最も甚大な被害を受けた熊本の大会は、
降り続く雨に延期を繰り返している。
きょう開幕予定だが天候は落ち着いてくれるだろうか。
毎夏、
近所の高校や母校の試合を心待ちにしてきた方は少なくないに違いない。
コロナ禍で一度はなくなった地方大会がすこしでも被災地を明るくするなら、
開催復活の意義はより大きくなる。

空に響く球音が再起の合図となることを。

 

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フランスで始動 カフェを守る取り組み

2020-08-09 07:10:44 | 報道/ニュース

7月15日 NHKBS1「国際報道2020」


フランスでは昔からカフェでゆったりと過ごす文化が根付いているが
近年は店の数が減って
そこに新型コロナウィルスの影響が加わって
カフェを取り巻く状況は厳しさを増している。
そんななか新人オーナーが次々に生まれているという。

パリ市内のカフェ。
日曜日の夕時は大勢の人がテラス席でくつろいでいる。
新型コロナウィルスの影響で今年3月から営業が禁止されていたフランスのカフェ。
6月の営業再開とともに客足は瞬く間に戻り
ふだん通りの活気を取り戻している。
「カフェはパリ市民にとって大切なものよ。」
「テラスでのカフェを満喫しているよ。」
しかしフランス北東部の人口750の小さな町ユニィでは
一昨年12月に小さなカフェが閉店し
カフェ不在の町となってしまった。
地方では高齢化などを背景に利用客が年々減少していて
1960年代には20万軒あったカフェの数は5分の1以下にまで落ち込んでいる。
その町に6月新たなカフェがオープンした。
経営者のガルガノさん(33)。
去年までクリーンイング店などで働いていたが
カフェの経営者を募集していることを知り応募した。
(ガルガノさん)
「祖母がパスタを手作りするのを見て育ちました。
 幼い頃から料理が大好きで
 カフェを開くのが夢だったんです。」
ガルガノさんを後押ししているのが
“小さな町にカフェを招致する”という
官民一体のプロジェクトである。
人口3,500に満たない自治体を対象に
新たなカフェのオープンと経営の支援をしている。
(プロジェクト運営会社 会長)
「カフェは住民たちの出会いの場で
 おしゃべりをする憩いの場です。
 小さな町に息吹を与えたいのです。
 自治体の立候補に全国から応募があります。」
プロジェクトでは
役場が所有する空き物件を格安で借り上げたり
カフェのオーナーの最低賃金を補償したりするなど
手厚い支援を進めている。
その結果
いまでは希望する自治体が殺到しているという。
(ユニィ ブルギニョン市長)
「永続性があるので関心を持って
 すぐに書類を準備して応募しました。」
ガルガノさんはプロジェクトのスタッフにアドバイスをもらいながら
地元に密着したカフェを目指して営業を続けている。
(客)
「仲間と週に1~2回このカフェに集まります。
 人と出会う場所ができてうれしい。」
カフェのオープンを目前に新型コロナウィルスの感染拡大で飲食店の営業が禁止されてしまい
開店を延期したガルガノさん。
そこで始めたのが
出かけられないお年寄りのために弁当を作って配る活動である。
制限が解除された今も続けている。
「ボンジュール。」
「取れたての新鮮サラダです。
 近所で作られた野菜です。」
「ありがとう。
 ご親切にどうも。」
こうして知り合ったお年寄りたちが今では常連客に。
(常連客)
「カフェの客とおしゃべりしたりする雰囲気が好き。
 小さい町ではすぐ知り合いになります。」
小さな町で復活したカフェの灯。
集う人々のつながりが
町に活気を取り戻していく。

 

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ロンドン金融街「シティー」が変わる?

2020-08-08 07:00:00 | 報道/ニュース

7月14日 NHKBS1「キャッチ!世界のトップニュース」


「シティー」と呼ばれるロンドンの中心部にある金融街には
日本を含む外国の約250の金融機関が拠点を置いている。
また金融を柱とするイギリス経済を支える存在でもある。
新型コロナウィルスの感染拡大以降
金融街で働く多くの人が在宅勤務になったことで
シティーの姿が変わろうとしている。

イギリスの首都ロンドン。
新型コロナウィルスの影響で泊まっていた経済活動はほとんど再開できるようになった。
小売店やレストランは通常の営業を始め
人の賑わいも少しずつ戻り始めている。
一方で世界の金融センター「シティー」の人通りはまばらである。
ここで働く多くの人が今も在宅勤務を続けているからである。
政府は可能な限り在宅で働くことを求めていて
いつここに人が帰ってくるのか
見通しは立っていない。
企業の中には“金融街にオフィスを置く“というスタイルを見直すところも現れた。
シティーにあるビルに入っていた企業の1つは
5月いっぱいで退去することを決めた。
(従業員)
「出ていく準備はできています。」
この会社は
ここを拠点に金融機関向けにコンサルタント業務を行なってきたが
全員が在宅勤務に移行した。
従業員の多くは会社の決定を前向きに受け止めている。
(従業員)
「毎日2時間の通勤から解放されてゆとりができました。」
「家族との時間が増えて
 エクササイズができることで
 仕事の効率は上がっています。」
この会社のトップ ハンプソンCEO。
感染拡大をきっかけに
全ての顧客が在宅勤務に移行。
それでも大きな支障がなくビジネスを続けられたことで
オフィスの閉鎖という思い切った判断ができたという。
(金融コンサルタント会社 ハンプソンCEO)
「世界が同時に働き方を変えたことで
 オンラインが基準となりました。
 我々は産業革命などを経験してきましたが
 今回はオフィスの進化に向けた始まりです。」
長年シティーを支えてきた大手金融機関も
すでにEU離脱に備えて従業員をドイツなど大陸側に移しており
ウィルスの感染拡大で“シティー離れ”がさらに進む可能性も出ている。
それでもシティーの行政トップは
“人が集まるオフィスの重要性は変わらない”と主張している。
(シティー・オブ・ロンドン ラッセル市長)
「オフィスは死んでいません。
 変化が起こることは認識しています。
 新旧が入り交じる形です。
 多くの企業が今後
 週3日は出社で2日は在宅勤務にすると聞いています。
 ロンドンの金融街は
 東京やニューヨーク シンガポールとともに
 世界の最前線であり続けるでしょう。」

オフィスの閉鎖まで決めたところは今の時点ではまだ少数派である。
取材した金融コンサルタントの企業は
オフィスにいる従業員が18人と身軽で
事前に顧客に説明して“問題ない”と了解が得られたことで素早い動きができたということである。
ただ多くの企業にとってオフィスをなくすことは簡単にできることではない。
オフィスからしか接続できないシステムや
顧客と顔を合わせないと進められない仕事があれば
従業員に出勤してもらう必要がある。
また
ロンドンは東京などと同様に非常に家賃が高く
若い人を中心に何人かで1つの家を借りてシェアして暮らす人が多い。
こうした人たちにとっては
在宅だと十分なスペースが取れずに仕事の環境が整わないという問題もある。
シティーでオフィスの閉鎖は進むのか。
(大手不動産会社 幹部)
「ワクチンの早期開発や
 公共交通機関の安全な利用
 そしてオフィスが快適な仕事場所かどうかなどに左右されます。
 今後1年でどこに向かうのか
 より理解できるでしょう。」
イギリスでは経営が苦しくなった企業から従業員を減らす発表が相次いでる。
少し前までは航空業界が多かったが
このところは小売や飲食の分野でも人員削減の計画を打ち出す動きが加速している。
雇用への影響が大きくなれば家計が苦しくなり
回り回って
金融が不安定になることにもつながりかねない。
さらにEU離脱の課題が大きい。
移行期間が終わる今年末までにEUとの自由貿易協定を締結しなければ
これまでのような自由な経済活動はできなくなってしまうのである。
しかし交渉は難航しており
残された時間に合意にこぎつけるのは容易ではない。
イギリス経済が再び成長できるのか
不安定な要素が多く残されているのが現状である。



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世界遺産アヤソフィア “モスク化”の波紋

2020-08-07 07:04:34 | 報道/ニュース

7月13日 NHKBS1「国際報道2020」


トルコのイスタンブールを代表する歴史的建造物アヤソフィア。
これまで博物館として使われ
世界各地から大勢の観光客が訪れてきた。
しかしエルドアン大統領は
7月
裁判所の判断を受けて
アヤソフィアをイスラム教のモスクに変更すると発表した。
イスラム教徒が大半を占めるトルコ国内で
歓迎の声が上がる一方
キリスト教圏からは批判が出ている。

7月10日の金曜日
アヤソフィアの周辺には大勢の市民が詰めかけ歓声を上げた。
「この日を長く待ち望んでいました。」
「アヤソフィアはモスクであるべき。
 すべての人がそれを尊重すべきだ。」
アヤソフィアはもともと
キリスト教の聖堂としてビザンツ帝国時代の537年に創建。
長らくギリシャ正教の総本山となってきたが
1453年
オスマン帝国が街を征服するとモスクに改修された。
しかしトルコ建国の父 アタチュルク初代大統領は
宗教と距離を置く“世俗主義”を国是とし
1934年にアヤソフィアを博物館に変えたのである。
歴史学者は「博物館への変更は世俗主義を象徴する選択だった」と指摘する。
(ボアズイチ大学 エルデム教授)
「博物館への変更は
 新生トルコが西欧とともに歩むという意志を示す方法でした。
 おそらくそれが最善の解決策なのです。
 モスクとしても教会としても使用しないことです。」
建国以来の世俗主義を揺るがしてきたのが現在のエルドアン大統領である。
それまで禁じられていた公の場でのスカーフの着用を解禁するなど
イスラム教の価値観を重視する政策を推進。
そして今回
異なる“宗教や文化の共存の象徴“とも呼ばれたアヤソフィアをモスクとすることを決めたのである。
(トルコ エルドアン大統領)
「我々は裁判所の判断に基づき
 大統領令をもってアヤソフィアを再びモスクとする。」
国民の多数を占めるイスラム教徒たちの間からは
アヤソフィアをモスクに戻すことを歓迎する声が上がっている。
(イスラム教徒)
「我々にとってお祝いの日です。」
この日アヤソフィアに駆け付けたカランジュさん(53)。
カランジュさんは子どものころからアヤソフィアが博物館であることに違和感を抱いてきたと言う。
(カランジュさん)
「アヤソフィアを何度訪れても悲しくなります。
 礼拝ができないからです。」
エルドアン大統領は
7月24日にアヤソフィアで初めての金曜礼拝を行なうと発表。
カランジュさん家族はその日を心待ちにしている。
(カランジュさん)
「我々はアヤソフィアで礼拝する権利を与えられたのではなく
 取り戻したのです。
 エルドアン大統領をさらに好きになりました。」
一方 キリスト教圏からは批判の声が相次いでいる。
(ローマ・カトリック教会 フランシスコ教皇)
「アヤソフィアのことを考えるととても心が痛む。」
(ロシア正教会 イラリオン府主教)
「トルコ政府の決定は
 世界中の東方正教会の信者を傷つけるものだ。」
さらにEU(ヨーロッパ連合)からも。
(EU ボレル上級代表)
「(声明)エルドアン大統領の決定は残念だ」
エルドアン大統領は
引き続きアヤソフィアには“誰でも訪問できる”と強調しつつも
批判をけん制している。
(トルコ エルドアン大統領)
「国際社会からの意見はもちろん歓迎するが
 アヤソフィアをどう使用するかはトルコの主権にかかわることだ。」
キリスト教徒に配慮した建国時の選択をくつがえし
イスラム教徒の思いを優先したエルドアン大統領。
欧米との新たな火種となりそうである。

 

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“新たな客層を” 老舗の挑戦

2020-08-06 07:00:00 | 報道/ニュース

7月13日 NHK「おはよう日本」


北海道は地元の素材を生かした美味しいスイーツが沢山あるが
それだけ競争も激しく
伝統ある老舗店も例外ではない。

あんことともにイチゴや抹茶の生クリームを入れたどらやき。
若者を意識して見た目の可愛さにもこだわった。
このどら焼きを開発した創業160年の老舗和菓子店 函館千秋庵総本家は
地域の人口減少や競合店の進出に危機感を感じている。
(函館千秋庵総本家 副社長)
「常連さんも高齢化が進み
 来店するお客さまも年々減少している状況。
 常に新しい取り組みをしないといけない。」
そこで和菓子になじみのない客層をターゲットに
去年から
これまでの常識を捨てた新たなどらやきの製造を始めた。
手軽に食べてもらうため
これまでよりサイズをひと回り小さくした。
(函館千秋庵総本家 製造部長)
「新たに考え直した“挑戦的などらやき”。
 今までのどらやきとは違う新しい挑戦。」
さらに
観光客や若者の取り込みを狙って函館駅前にできた新たな商業施設に出店した。
新型コロナウィルスの影響で観光客が減るなか
新たな取り組みに期待を寄せている。
(函館千秋庵総本家 副社長)
「古いお店なんで
 何をやっても賛否両論出てしまう。
 変えてはいけないものと変えていいもの
 変えなければいけないものがある。
 そこさえ分かっていれば変わることに対する不安はない。」
新たな分野に活路を見出している老舗もある。
札幌市で80年以上続くお茶屋 玉翠園。
常連客の高齢化で売り上げは年々下がっている。
いまは新型コロナウィルスの影響で
企業などの大口顧客との取引が止まったことも響いている。
そこで力を入れているのが
若者をターゲットにした“抹茶パフェ”の販売である。
味や風味に自信がある熟成させた抹茶を使ったアイスが受け入れられ
ヒット商品になった。
パフェをきっかけにお茶を購入する人も増えた。
(客)
「入口がアイス パフェだったとしても
 そこからさらに
 いれていただくお茶が好きになった。
 自分でもお茶を入れてみたいなと。」
(玉翠園 社長)
「伝統的なうちの看板とそぐわないのではと反対もあった。
 結局そうやって導入したことで
 思いもしない需要がたくさん生まれた。
 うれしい誤算かなと思っている。」
老舗店が新たに売り出したスイーツは
これまでの常連客の枠を超えてSNSでも拡散されている。
スイーツ王国北海道で
伝統を生かしつつ進化する老舗の挑戦が続いている。

 

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セミが鳴いたら

2020-08-05 07:00:00 | 編集手帳

7月11日 読売新聞「編集手帳」


夏目漱石『三四郎』に、
高齢の女性が「昔は雷さえ鳴れば梅雨は明けるにきまっていた」と俗信を唱え、
しつこい雨にぐちをこぼす場面がある。

梅雨明けの言い伝えはほか、
「セミが鳴いたら」がおなじみだろう。
初セミといえばニイニイゼミだが、
アブラゼミを「梅雨明けゼミ」と呼ぶ地方もあると天気エッセイストの倉嶋厚さんが随筆に書いていた。

熊本出身の知人にメールを出すと、
こんな返信が来た。
「母はアブラゼミが鳴いたので、
 梅雨は終わると話していたのですが…」。
戸惑いがにじむ。
梅雨明けの見通しもないまま、
大雨が降り注いでいる。

九州豪雨の被害が深刻の度を強めるばかりだ。
線状降水帯が消えては発生し、
行方不明者の救助が難航している。
気象庁が「令和2年7月豪雨」と命名した災害は1週間ほど過ぎたものの、
いま災害のどの時点に来ているかも分からない。
被災地の方々の苦痛や不安はいかばかりだろう。

7月は旧暦の「水無月」が始まる時節にあたる。
「水悩月」との別称もある。
いま以上に悩みが深くならないよう、
俗信にさえすがりつきたくなる。
セミよ、
力強く鳴いて。


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ウィーン少年合唱団 “危機を乗り越え歌声を”

2020-08-04 07:00:21 | 報道/ニュース

7月11日 NHK「おはよう日本」


「天使の歌声」として知られるウィーン少年合唱団。
その歌声は世界で多くの人たちを魅了しているが
いま新型コロナウィルスの影響で存続の危機に立たされている。

宮廷の聖歌隊として設立されたウィーン少年合唱団。
現在は20の国と地域から集まった声変わり前の9~14才の少年100人で構成され
世界各地で年間300回のコンサートをこなす。
しかしオーストリアでは新型コロナウィルスの感染拡大で
3月中旬以降厳しい外出制限措置が取られ
国内外の公演はすべて中止となった。
それから2か月
オーストリア国内での感染者の数が減ったことから練習が再開された。
少年たちの歌声が学校に響きわたった。
しかし練習はこれまでどおりにはいかない。
歌の練習は感染対策のためプールでも行われている。
密集を避けるため
みんなが集まるときは校内の広い場所で練習をしている。
(ハーゲン君)
「歌うことが大好きです。
 感染拡大の時は学校で歌うことが禁止されて
 とても残念でした。
 練習が再開できることはとても大切なことです。」
練習は始まったが
合唱団を悩ませているのが財政難である。
運営費の7割以上をコンサートによる収入で賄ってきたが
今年はすでに110余が中止となり
運営費の25%を失った。
そこで合唱団は活動を続けるため
設立以来初めて
存続のための募金を呼びかけるチラシを作成。
【ウィーン少年合唱団の存続に手を貸してください】
銀行の振込用紙も付けて
窮状を訴えた。
運営にあたるウィルト芸術監督。
このままでは秋には資金は底をついて
合唱団は解散せざるを得ないと考え
政府やウィーン市に支援を求めている。
(ウィーン少年合唱団 芸術監督 ゲラルト・ウィルトさん)
「政府からの支援が受けられなければ資金が尽き
 10月以降は従業員の給与すら払えなくなる。」
窮地に立たされた合唱団。
いまの目標は一刻も早い海外公演の再開である。
起死回生を目指して
少年たちは秋にアジアで再開する予定のコンサートに向けて練習に励んでいる。
第2ソプラノで参加する予定のルイス君(11)。
学校が閉鎖されている間は自宅で練習を重ねてきた。
家ではどういう練習をしていましたか?
「動画を見ながら。」
私が送った動画?
「はい。」
今も練習に参加できない少年はリモートで加わり公演の準備を進めている。
この日は公演で披露する予定の
シューベルトの「ゴンドラの舟人」を練習した。
(先生 マノロ・カニンさん)
「ベネチアのゴンドラに乗って見上げる
 月と星が輝くロマンチックな世界に誘ってあげるんだ。」
(ルイス君)
「歌うことはとても楽しみで
 興奮しています。
 僕たちの歌声を疲労できたらうれしいです。」
(ウィーン少年合唱団 芸術監督 ゲラルト・ウィルトさん)
「ウィーン少年合唱団はこれまでも難局を乗り越えてきたので
 今回も乗り切りたい。」
新型コロナウィルスで気持ちが沈んだ世界の人たちに歌声を届けたい。
かつてない逆風の中
合唱団の挑戦が始まっている。

 

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人通り

2020-08-03 07:00:00 | 編集手帳

7月10日 読売新聞「編集手帳」


きのう用事があって、
東京郊外のターミナル駅の地下を歩いた。
ふと、
ギターのメロディーに乗った若い女性の歌声が響いてきた。

そばに寄るのは高齢の女性が一人だけ。
だが歌唱力と澄んだ声に引きつけられるのか、
足を止めて遠巻きに聴き入る人たちも何人かいた。
コロナ禍がなければ、
歌いがいがあるほどに観衆を集められたことだろう。

ライブなどの開催がままならず音楽家には苦しい時世だが、
プロの手前にいる人たちもはかない思いをしているらしい。
かつての“密”な人通りは意外なほど、
人生のチャンスや活力を社会に与えていたのかもしれない。

観光名所の商店街が一見(いちげん)の客に頼っていたのもしかりだろう。
遊びに来た人がふと足を止め、
混雑を気にせず店に入ってきたり…と。
やはり人通りが“健康体”にならなければ、
以前の元気や平穏は取りもどせそうにない。
古い川柳にのんきな一句があったのを思い出す。
<さまざまな人が通つて日が暮れる>(武玉川)

東京の日ごとの感染者が過去最多の224人にのぼった。
検査の網を広げたためらしいが、
動揺を抑えつつ、
戻りたい街の景色を思う。

 

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コロナ禍の修学旅行で新たな「修学旅行客」

2020-08-02 07:00:10 | 報道/ニュース

7月9日 NHK「おはよう日本」


新型コロナウィルスの感染拡大の影響で
ホテルや旅館などでは宿泊客が減り大きな打撃を受けている。
そうしたなか
東日本大震災の被災地 宮城県の観光業界では新たな客に期待が集まっている。
それは修学旅行である。

新型コロナウィルスの影響で宿泊客が激減した宮城県の観光業界。
そうしたなか5月下旬からある問い合わせが殺到するようになった。
(宮城県 観光連盟)
「大分の学校さんみたいに
 海外の修学旅行取りやめにして東北に考えている。
 北海道の高校含むその他のエリアの中高から
 いま中学校3校
 高校12校
 約2100人ほどの問い合わせがございました。」
(仙台市の宿泊業者)
「去年 栃木・群馬は小中高 全部0です。
 ところが栃木県6校
 群馬県も中学校が仮押さえでは来ています。」
新型コロナの影響で修学旅行を延期していた全国の学校が
いま宮城県に注目しているのである。
その理由は
(宇都宮市 若松原中学校 校長)
「新型コロナを考えると
 奈良・京都方面に行くとなると
 大きな駅で長時間電車を待たなければならない時間が生じる。
 東北地方のようにバスで移動できるのは大きいメリットがある。」
宮城県南三陸町の修学旅行を受け入れているホテル。
予約はすでに前の年の1,5倍に達している。
「多い時で一日十数件問い合わせが来る。」
営業担当者は“語り部バス”などこれまで震災の伝承に力を入れてきた。
防災教育や震災学習が修学旅行の行き先の決め手になっているという。
「震災学習の必要性が認識されているんだろうなと。」
(宇都宮市 若松原中学校 校長)
「私も東北地方には何度も足を運んでいますけれども
 そのたびに町が再建されていったり
 人々の生活が力強く見られたりという経験をしてきた。
 子どもたちにもぜひそれを見せてやりたい。」
修学旅行客が増えればコロナ禍で落ち込んだ町の経済にも良い影響を与えると
営業担当者は考えている。
この日訪ねたのは地元の養殖業者。
海産物の需要が減ったことにより売り上げが半分にまで落ち込んでいる。
学生への漁業体験を依頼した。
(営業担当者)
「検討している中学生なんですけど
 陸の作業ということで
 カキむきがちょうどいいんじゃないかと。」
(養殖業者)
「9月29日からカキむきするので
 私たちの作業を手伝ってもらいながらいろいろな話もできるし。」
漁業体験を通じて
南三陸の海産物の売り上げにもつながることを期待している。
(養殖業者)
「この間行ったところだから
 おいしいからお母さん買ってちょうだいって
 お母さんにおねだりしてくださいねと。
 そういう話をすると南三陸を覚えていてくれるかなと。」
コロナ禍を乗り切るため修学旅行客に期待が集まる。
(養殖業者)
「こちらこそよろしく。
 子どもたちを連れてきてください。」
(南三陸ホテル観洋)
「震災だけじゃなくて南三陸は食べ物もおいしいし
 いい場所なんだよということも覚えて帰ってもらいたい。
 そういった波及効果は目に見えないかもしれませんけど
 非常に大きいものがある。」
 

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