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フランス 世界初 白トリュフの人工栽培

2021-04-14 07:48:15 | 報道/ニュース

2021年3月19日 NHKBS1「国際報道2021」


ヨーロッパで珍重される高級食材の白トリュフ。
イタリアなど限られた地域でわずかしかとれない。
白トリュフはトリュフの中でも最高峰で
黒トリュフとは全く違う香り・風味は生で味わうのが一番だとされている。
白トリュフのオークションでの落札価格は最高で1キログラムあたり1,000万円以上と
その価値は金と同じといわれるほどである。
なかなか手が届きそうにない白トリュフだが気軽に味わえる日もそう遠くないかもしれない。
フランスで世界で初めての人工栽培が成功である。

パリのトリュフ料理専門店。
シェフが腕を振るうのは店の看板メニュー。
ごはんの上にトリュフを薄くスライスすれば
高級感漂うトリュフリゾットの出来上がり。
フランス国内で白トリュフの人工栽培が成功したというニュースに
シェフも
「いいニュースだ。
 国産白トリュフが手に入るとはね。
 もっと安く提供できるようになるかも。」
白トリュフの人工栽培に挑戦したのは社員35人の苗木業者。
成功するまでにかかった年月は20年以上。
たどり着くまで思考錯誤の連続だったという。
(苗木会社 技術責任者 カマレッティーさん)
「簡単ではありませんでした。
 土壌学や生理学など
 さまざまな専門領域の科学者との共同作業でした。」
繊細な白トリュフを栽培するには多くの条件を満たさなければならない。
まず取り組んだのは
栽培に適した菌をいかにして育て増やすか。
温度や水の量・土の種類といった無数の条件を試してきた。
(苗木会社 技術責任者 カマレッティーさん)
「何年も何年も研究し続けました。
 幾通りも試して
 途中で見切りをつけたものもたくさんあります。」
さらに
苗木となる樹木に菌を安定して定着させるまでに9年もの月日がかかった。
苗木に植え付けたトリュフ菌を顕微鏡で見た画像を見ると
綿毛のような金の糸が苗木の根に入り込んでいるのが分かる。
菌は生きた樹木から養分を得てトリュフへと成長していくのである。
そうして人工栽培に成功した苗木には
ピンがささっている場所に白トリュフが菌が共生している。
(苗木会社 販売責任者 ロバンさん)
「木の根に植え付ける最適な方法を確立するのに
 とても長い努力が必要でした。」
フランスやイタリアの農家からすでに2,500本もの注文が入っている。
研究に協力する国立研究所の検査にも合格し
出荷を待つばかりである。
(苗木会社 販売責任者 ロバンさん)
「我々の研究の成果が農家を支えます。
 さまざまな生産方法が確立すれば
 トリュフの生産で生計を立てられるのです。」
繊細なトリュフは気候変動の影響を受けやすく
あと50年もすればヨーロッパでとれなくなるという予測もある。
温暖化による収穫量の減少に悩んできた農家。
白トリュフの人工栽培が新たな収入源につながると期待している。
(トリュフ農家 ミシュレ)
「収穫量が激減した上に
 とれても売り物にならないものもあります。
 トリュフという文化を失いたくありません。
 さらに研究が進んで
 利益を生むことを期待したいですね。」




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「歯」による身元確認 震災の教訓と課題

2021-04-13 07:01:29 | 報道/ニュース

2021年3月19日 NHK「おはよう日本」


震災で亡くなった方の身元の特定。
東日本大震災の際
所持品や体の特徴などで身元が特定できない場合に有効な手掛かりとなったのが
歯の治療記録。
しかし震災では多くの歯科医院が被災し
特定に必要なカルテが失われるという
データの保存をめぐる課題が浮かび上がった。

災害時に遺体の状況を確認する東北6県の警察による訓練。
身元の特定に備え
警察は発見場所や体の特徴・所持品の記録を作成。
そして歯科医師らが遺体の歯の状況を記録していく。
訓練に参加している法歯学者の熊谷さん。
東日本大震災の際は遺体安置所で歯の記録を残す作業に従事した。
(岩手歯科大学 熊谷准教授)
「どんなに死後変化が進んでも
 歯の形態は変わることがありませんので
 身元が分からない状態で見つかったご遺体の身元確認をするたは非常に有効。」
震災当時 岩手県内では9か月でのべ2,700人近い遺体の歯の状態を記録。
医療機関の診療記録と照合され
少なくとも131人の身元が特定された。
歯の記録が決め手となって家族を弔うことが出来たという花巻市の田中さん。
姉が震災で行方不明になった。
田中さんは震災の2日後からがれきが重なる町を歩いて姉を懸命に探した。
遺体安置所もくまなく探したものの姉を見つけることはできなかった。
(田中さん)
「とにかく探しましたね。
 涙ばっかり出てくるんですよね。」
しかし震災から1年余後
身元不明の遺体から取られた歯の記録が
姉が通っていた医療機関のカルテの内容が一致。
身元が特定されたのである。
(田中さん)
「見つかる前はもうたぶん見つからないだろうと
 たぶんもう海に行っていると思って。
 よかった。
 見つかってよかった。」
身元確認の最終手段となる歯による確認。
しかし震災では課題も浮き彫りになった。
岩手県の沿岸部では多くの歯科医院が被災。
身元の特定に必要なカルテの80%近くが失われたと推定されている。
さらに記録の方法にも問題があった。
「図も描かなければいけないのですが
 この図も何も記載がない。」
当時は遺体に取り扱いに関する知識のない歯科医もやむを得ず作業を行ない
不正確な記録が身元の確認を難しくしたという。
(岩手医科大学 熊谷准教授)
「同じことをまた繰り返すようではいけませんので
 ご遺体が速やかに遺族のもとに帰れるシステムは
 構築する方向に行った方がいいのではないかと思う。」
震災の教訓を踏まえて
生前の歯のデータベース化に取り組んでいる地域がある。
神奈川歯科大学では
震災の翌年から
神奈川県内の24の歯科診療所と連携し
歯を治療した際のX線画像の提供を受けている。
(神奈川歯科大学 山田教授)
「ひと目で口の中全体が分かりますので
 歯の位置
 あごの骨の形
 非常に情報量が多い。」
これまでに画像を登録した人は約1,400人。
遺体の歯型のX線画像と照合することで身元を特定する。
手描きのカルテのような曖昧さを含まず
作業時間も短縮でき
確実な特定方法だという。
(神奈川歯科大学 山田教授)
「生前のデータベースをしっかり構築しておけば
 遺体からとったデータとすぐに比較できる。
 そうなると迅速な身元特定が可能になります。」

日本歯科医師会は
南海トラフの巨大地震などの大規模災害に備え
カルテなどの診療情報のデータベースの導入を国に求めている。
個人情報の保護に関わる新たな法整備やコスト上の課題から
実現の見通しはたっていないが
神奈川のように地域ごとにデータ保存の仕組みづくりを模索する動きが始まっている。


 

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ロングセラーに学べ!

2021-04-12 07:03:42 | 報道/ニュース

2021年3月19日 NHK「おはよう日本」


「ルワンダ中央銀行 総裁日記」。
発行されたのは50年前で
すでに著者は亡くなっている。
1960年代のルワンダを舞台に
経済の建直しを突然託された日本人のウソのような実話である。
「これ面白いですね・・・。
 門外漢でもわかるほどひどい状況とめげない総裁。」
「ビジョンを持ち
 実行力の卓越。」
「本当に事実は小説より奇なりっていう。」
SNSでも主に若者から共感を呼んでいる。
この本を書いたのは日銀に勤めていた服部正也さん。
46歳だった1965年
国際通貨基金の要請で
ルワンダ中央銀行総裁に突然就任することとなったのである。
当時 外国系の金融機関が既得権益を握っていた。
服部さんの改革に不満を表す白人の経営者にぴしゃりと言い返す。
私は破綻に瀕した財政金融を建直すためにルワンダにきたのだ
現状を打破することが必要で
現状是認は私の任務に反する
逆境を跳ね返していく服部さんの姿が心をつかみ
書籍は通算29版14万部に。
特設コーナーまで設けられている。
(丸善 丸の内店)
「20代後半ぐらいから
 幅広く読者層が広がっている感じ。」
服部さんの義理の息子 大西さん。
日銀の後輩でもあって
当時のエピソードをたびたび聞いたという。
なぜいま若者に服部さんの生き方が受けているか。
(著者 服部さんの後輩・義理の息子 大西さん)
「いわば“爽快さ”というのが
 財務大臣や計算大臣や国土交通大臣みたいないろいろな権限を大統領から付与されて
 次々に自分で考え
 自分で実施していく。」
服部さんは現地の人々にも全力でぶつかった。
派閥を作って対立をして仕事をおろそかにしていた現地の行員に訴えかけた。
この銀行はまったくなっていない
私の下にいるからには
早く銀行を立派な中央銀行にすることが君たちの責務なのである
私も君たちが新入日本銀行員であると思って鍛えるつもりだ
(著者 服部さんの後輩・義理の息子 大西さん)
「やはり服部は“現場の人”だと思う。
 現地の人々に分け隔てなくはいっていく人間の幅の広さがなければいけない。」
今を生きる私たちは服部さんの姿勢から何を学べるのか。
(著者 服部さんの後輩・義理の息子 大西さん)
「『ここで甘んじていると世の中はそう簡単じゃないぞ』と
 若者たちに言いたいのではないか。
 我々も学んで
 新しい別の逆境に立ち向かっていかないといけない。」

 

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“新たな魅力を” 九州交響楽団 ライブ初配信

2021-04-11 07:00:08 | 報道/ニュース

2021年3月17日 NHK「おはよう日本」


新型コロナの影響で各地の交響楽団が公演中止など苦しい状況に置かれるなか
福岡に拠点を置く九州交響楽団が
2月 初めてのライブ配信を行なった。
コロナ禍をなんとか乗り切ろうと始まった試みだが
コンサートの新たな魅力を伝える機会にもなった。

ライブ配信では指揮者の表情もまじかで見られるようにした。
さらに舞台袖のカメラでは演奏を終えた楽団員たちの様子もそのまま配信する。
(去年5月)
「公演がまた1個減った。」
九州交響楽団はこの1年コロナ禍に翻弄され続けた。
半年間にわたる活動停止。
そして2度目の緊急事態宣言。
(九州交響楽団 深澤音楽主幹)
「どうにかしないといけないと
 出てきたもの。
 大変な時期から生まれた1つのスタイル。」
2月2日
本番前
カメラの位置や角度の調整をギリギリまで行なっていた。
演奏に合わせて
どの映像を映し出せばライブを楽しんでもらえるか
入念に打ち合わせる。
「アップで抜かれたら顔がつぶれてしまうけど。」
ライブ配信という新しい挑戦に
スタッフたちからは大きな期待と緊張感を感じた。
(九州交響楽団 深澤音楽主幹)
「まさにライブのスリリングさというか
 その瞬間でしか味わえない生の魅力を存分に味わってほしい。」
いよいよ本番。
指揮者の小泉音楽監督は
コロナ禍の今だからこそ進化の時だという。
(九州交響楽団 指揮 小泉音楽監督)
「いい緊張でやれるんじゃないかと
 やっぱり音楽というのは力になる。
 遠いところまで届くように
 映像を通してでもなんとか表したいなと。」
演奏会の最大の魅力は音に包まれる生の演奏だが
新しい魅力をライブ配信では追及する。
演奏を終えた指揮者が扉の向こうで何をしているのか
ふだんはベールに包まれた舞台袖まで見せる。
演奏会はクライマックスを迎える。
カメラは迫真の表情をとらえた。
観客席は空席も目立ったが
ライブ配信で200人の観客も参加。
音楽でつながり会場は一体感に包まれた。
(九州交響楽団 深澤音楽主幹)
「本当に良い演奏だったと思う。
 ぐっときた 。
 すばらしい。」
「九州交響楽団の1つのカラーがお伝え出来たんじゃないかと満足している。」
九州交響楽団の新たな1歩。
クラシック音楽とこれまでにないコンサートの魅力を届ける挑戦は続く。



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「YOASOBI」誕生の仕掛けとは?

2021-04-10 07:18:38 | 報道/ニュース

2021年3月17日 NHK「おはよう日本」


「夜に駆ける」でデビューしたYOASOBI。
CDを発売することなく去年紅白歌合戦に出場した。
このユニットを生み出した仕掛人が大手音楽会社 ソニーミュージックエンターテインメントにいる。
新規事業の開発を手掛ける屋代さん(31)。
そして楽曲制作の支援を行なう山本さん(32)。
このふたりは同期入社。
2年前 雑談からあるプロジェクトを起ち上げた。
(山本さん)
「そもそも期待されたプロジェクトで始まっているわけではないので
 どう反応を得るかも含めて
 いろいろチャレンジしていこう。
 期待は低いというか ゼロ。」
そのプロジェクトは“小説を音楽にする”というコンセプト。
ミュージックビデオにすることを前提に
一般の人からオリジナル小説を投稿してもらうことにした。
専用サイトには170を超える小説が投稿され
その中から選んだのが
衝撃的な結末を迎える作品だった。
ブラック企業に勤める男性が死神が見える女性と恋に落ちるというものがたりである。
「さよなら」
たった4文字の彼女からのLINE。
それが何を意味しているのか
僕にはすぐに分かった。
この部分を基にできた歌詞が
♪ 「さよなら」だけだった
 そのひと言ですべてが分かった
(屋代さん)
「投稿してもらった原作小説を
 何か別の形に変えて表現をしていく。
 その小説を読んでもらえるための戦略術を考えられる。」
作詞・作曲を依頼したのがAyaseさん。
音声合成ソフト ボーカロイドを駆使する。
ボーカルには当時無名だったが特徴的な声を持つ幾田りらさんを起用した。
次々と新しいメロディーが現れ聴く人を飽きさせないようにしたことで
再生回数が伸びていったという。
曲のヒットを受けて
小説投稿サイトのアクセス数も急増した。
原作の小説を読むことで
“曲の背景を深く知りたい”というニーズが高まった。
今後は従来の小説の形も変えていきたいということである。
(屋代さん)
「小説を文庫本・スマホで読むものだけじゃないという考え方もある。
 小説を音楽にして
 そこから広がる世界をいろんな人に伝えていく。」
(山本さん)
「YOASOBIらしさ
 オリジナリティーにもなる。
 そこは大事にしていきたい。」

今後は
自作小説を映画や音楽にできる場として
投稿サイトの方ももっと育てていきたいという。



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釣鐘で交流深める長崎と福建省の寺

2021-04-09 07:05:45 | 報道/ニュース

2021年3月16日 NHKBS1「国際報道2021」


インゲン豆 スイカ タケノコ ごま豆腐。
いずれも日本に渡ってきたのは江戸時代初期。
これらすべてを中国から伝えたとされるのが
高僧 隠元禅師(1592~1673)の一行である。
インゲン豆の名前の由来となった。
いま隠元禅師のつながりで
長崎と中国福建省のお寺同士が交流を深めようとしている。

真冬の深夜 長崎市の興福寺にあるものが運び込まれた。
2m四方
重さ2,5tある釣り鐘である。
興福寺の住職 松尾法道さんにとっては特別な釣り鐘である。
(興福寺 住職 松尾法道さん)
「待ちに待った迎える時がいよいよくる。
 本当にうれしいです。」
興福寺は
400年前の江戸時代初期
長崎に住み着いた中国の商人などが建てた寺のひとつである。
当時 興福寺の住職として中国から招かれたのが隠元禅師である。
吊るされた真新しい鐘。
じつは隠元禅師の出身地 中国の福建省の贈り物である。
なぜ釣り鐘が贈られたのか。
興福寺は太平洋戦争中
軍需物資として釣り鐘を供出し
75年以上 釣り鐘がない状態が続いていた。
32代目の住職 松尾さんは
戦争の爪痕を知ってもらいたいと
これまで訪れた人に対し釣り鐘がない話を説明してきた。
(興福寺 住職 松尾法道さん)
「興福寺はまだ終戦を迎えていません。
 ご年配の方たちは“ここの鐘もそうですか”と非常に残念に思う。」
転機が訪れたのは一昨年 2019年11月。
中国福建省の地方政府の幹部が訪れた際
松尾さんは釣り鐘の話をしたところ
幹部が釣り鐘を寄贈したいと申し出たのである。
釣り鐘をデザインしたのは
隠元禅師が長崎に来る直前まで住職を務めた福建省にある萬福寺である。
萬福寺の住職 定明さん。
長年途絶えていた長崎の興福寺との本格的な交流の復活に期待を寄せている。
(萬福寺 住職 定明さん)
「私たちは過去の400年の交流の歴史にとどまってはいけません。
 未来の400年の交流関係を切り開くことに意義があると思います。」
長崎市の興福寺で
この日初めて住職の松尾さんは釣り鐘の試しうちにのぞんだ。
寺に復活した釣り鐘。
隠元禅師が繋いだ縁を大切にしたいと
松尾さんは気持ちを新たにしている。
(興福寺 住職 松尾法道さん)
「隠元さんの教えもみんなで仲良くというのが教えの源です。
 この鐘が長崎の人たちの癒しになるような
 そういう役目を今から果たしていけることになる。」

 

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ジェーン・バーキンさん 震災10年 被災地とつながって

2021-04-08 08:06:37 | 報道/ニュース

2021年3月16日 NHKBS1「国際報道2021」


ジェーン・バーキンさん。
イギリス出身でフランスを拠点に活動する歌手で俳優 
高級ブランド エルメスのバッグ“バーキン”の名前の由来になった人物としても知られている。
バーキンさんは親日家で
東日本大震災のあといち早く日本を訪れチャリティー・コンサートを通じて被災地を支援してきた。

(2021年3月 パリ ジェーン・バーキンさん)
「パリの自宅のテレビで大惨事を目の当たりにしました。
 すぐに航空券を予約し
 乗客がほとんどいない飛行機で東京に着きました。」
震災直後の2011年4月
東京渋谷でチャリティー・コンサートを開いたバーキンさん。
「地震と津波
 そして原子力発電所の事故を知り
 何ができるかを考えました。
 答えはひとつ
 皆さんと一緒にいることです。」
自ら街頭に立ち募金活動も行なった。
原発事故の影響を心配し外国人が次々と帰国するなか
日本で被災地支援に取り組む姿は多くの人たちの心を打った。
震災から2年後の2013年3月には
被害の爪痕が残る被災地 宮城県石巻に足を運ぶ。
地元の人たちを励まそうと現地で小さなコンサートも開いた。
バーキンさんがいまも取り組んでいる支援活動が
amaproject(アマプロジェクト)である。
仮設住宅で暮らす女性たちが作ったブレスレットなどをインターネットで販売し
生活再建を後押ししようというものである。
バーキンさんがこのプロジェクトに参加するきっかけを作ったのは
長女で写真家のケイト・バリ―さんだった。
ケイトさんはアマプロジェクトの発足直後から参加し
被災地の様子やプロジェクトの活動を写真に収め世界に発信していた。
ところが2013年
そのケイトさんが46歳で亡くなる。
思いがけない 娘との別れ。
受け入れることが出来ないバーキンさんのもとに届けられたのは
プロジェクトに参加する被災地の女性たちが折った千羽鶴だった。
バーキンさんは
震災で家族を失った女性たちが痛みを分かち合ってくれたことに支えられたという。
(ジェーン・バーキンさん)
「被災地の女性たちがケイトと私のことを思いながら鶴を折ってくれました。
 感銘を受けました。
 娘を亡くした被災者に出会った時は
 子どもを失うことがあるとは考えもしませんでした。
 でも今は子どもを失うこともあるのだとわかるようになりました。」
娘の遺志を継いだバーキンさん。
販売するTシャツのデザインなどに携わっている。
ともに活動を続けているエッセイストの村上香住子さんは
震災から10年が経ち支援活動への社会的な関心が薄れるなか
いつも背中を押してくれるのがバーキンさんだという。
(エッセイスト 村上さん)
「“支援を差し出す時はそれだけの覚悟がいるしやめるものではない
 なんとかして続けなさいよ”というバーキンさんの言葉に
 はっと気づかされたのは事実です。」
再び被災地を訪れたいと語るバーキンさん。
約1万キロ離れたパリから
今も被災者に心を寄せている。
(ジェーン・バーキンさん)
「今も想像を絶する暮らしを強いられている人たちのことを思っています。
 なぜ活動を続けるのか?
 それはやめることができないからです。
 被災者の将来を少しでも変えることができるのなら
 私は活動を続けます。」

 

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農業大国インド 野菜農家の挑戦

2021-04-07 07:04:26 | 報道/ニュース

2021年3月16日 NHKBS1「キャッチ!世界のトップニュース」


人口が13億を超えるインド。
働く人の半数近くが農業に関わっている「農業大国」である。
しかしその所得は他の職業の3分の1ほどにとどまっていて
多くの農家が厳しい生活を余儀なくされている。
そうしたなか
栽培方法を工夫したり販路を広げたりすることで収入を上げ
地元の農業を盛り上げようとする農家がある。

インド北部のウッタラカンド州。
山あいの村で代々農家をしているラモーラさん。
化学肥料や農薬を使用する農家が多いなか
安全な野菜を作ろうと
20年以上前から無農薬での栽培を続けてきた。
しかしいい野菜を作っても生計を立てるのは難しかったという。
原因は農作物の販路にあった。
ラモーラさんのような農家の場合
売り先は通常 マンディ(地域の公設市場)に限られている。
どんなに質の高い野菜を持ち込んでも
市場の仲買人に安い値段で買いたたかれてしまうのである。
(農家 ラモーラさん)
「地元の市場に売るしか方法がありませんでした。
 そのため家族を養うのに精いっぱいだったのです。」
収入を上げるため新たな販路を拡大できないか。
ラモーラさんが頼ったのが
インドで野菜の仕入れと販売を手掛ける土屋さんである。
土屋さんは各地の農家を訪ねてまわり
ニューデリー近郊に住む日本人向けに安全な野菜を栽培してくれる農家を探していた。
そして7年前に出会ったのがラモーラさんである。
初めて訪れた時
その野菜のおいしさに驚いたという。
「いい空気と水がきれいで人が優しくて土が柔らかくて
 そのなかでできたキャベツ。」
土屋さんはラモーラさんの野菜を地元の市場価格より高く購入。
日本人の間でたちまち大人気となった。
ラモーラさんは大都市に販路を開拓できたことで
収入が以前の3倍以上に増えた。
(農家 ラモーラさん)
「都会に届けられるようになり
 自分の野菜に自信が尽きました。」
いまラモーラさんが取り組んでいるのが村の若い農業従事者の指導である。
豊かな土地を生かした無農薬野菜の生産によって
自分と同じように収入を上げ
地元の農業を盛り上げていきたいという。
(農家 ラモーラさん)
「今は5~6人ですが
 将来は50人くらいのグループで“オーガニックの村”にしたいと思っています。」

インドでは農家のうち85%はラモーラさんのような比較的小規模農家で
規模が小さいために農業機械の導入が出来ず
生産性を上げることも難しい。
また「マンディ」と呼ばれる市場にしか販路がないことが多く
中間業者に搾取されてしまい
低所得の厳しい状況に置かれている。
そうした状況を変えようと政府は5年前
農家の収入を2022年までに倍増させるため
農業の生産性を高めるインフラの整備・肥料・電力に対する補助金を増やす対策を打ち出した。
さらに農家が中間業者を介さずに全国の市場との取引をできるよう
国営の農産物卸売ポータルサイトを開設している。
しかし実際にはインフラの整備は遅れ
インターネットを介した取引ができる農家もまだまだ少ないのが現状で
状況が改善しているとは言えない。
一方でインドでは
農作物の取引の自由化など
政府が成立させた農業改革の法律に反対する農家らのデモが続いている。
政府側との話し合いが断続的に行なわれているが
解決のめどはたっていない。
インド国内ではここ数年
健康意識の高まりを背景に
オーガニック市場が盛り上がっている。
昨年から続く新型コロナの感染拡大で食の安全を求める人が増えていて
その流れを後押ししている。
インド国内でも有機野菜を専門に取り扱うスタートアップも次々と出てきている。
首都ニューデリーで毎週開かれているオーガニックマーケットも人気が高まっている。
ラモーラさんも
以前は無農薬の野菜の価値を知らない人が多かったが
近年その需要の高まりを実感しているという。

 

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コロナ禍で広がる店舗のシェア

2021-04-06 07:00:04 | 報道/ニュース

2021年3月16日 NHK「おはよう日本」


新型コロナウィルスの影響で厳しい経営が続き倒産する企業も相次いでいる。
こうした中なんとか利益を確保しようと
店舗の一部や空き時間などを貸し出す取り組みがさまざまな業種に広がっている。

東京 吉祥寺駅近くにある木曜日限定のカフェ。
手作りのケーキが自慢のこの店は2月にオープンした。
経営する中川さん。
ふだんは民間企業で働いているが
副業として始めた。
(中川さん)
「食べてもらって
 うれしそうな顔をしてくれるのはいちばんうれしい。」
じつはこの店は中川さんが別の経営者から定休日だけ借りている。
その際利用したのは「店(てん)タク」と呼ばれるサイトである。
飲食店の業務委託を手掛ける会社が
新型コロナウィルスで影響を受けている人たちを支援しようと2020年12月に開設した。
このサービスは
店舗や空き時間などを貸したい人と借りたい人たちがサイトにそれぞれ無料で登録。
個別に交渉してもらい
合意できれば契約が実現する。
店を貸し出した峯岸さん。
2020年2月にオープンしたが相次ぐ緊急事態宣言で厳しい経営を余儀なくされている。
このため定休日に限って1万2,000円で貸し出すことにしたのである。
(峯岸さん)
「少しでも足しにしたいという思い。
 厳しいですが
 何とか乗り越えていかないと。」
サイトの運営会社によると
貸し出しを希望する登録者は全国で656人。
今年に入ってから新たに400人が登録している。
(運営会社 経営企画部長)
「コロナだから1歩前に出ないのではなくて
 コロナだからみんなで助け合って1歩前に出ましょう。」
さらに貸し出しを希望するのは飲食店だけではない。
横浜市にある脱毛サロン。
このサロンは去年11月にオープンしたが
2度目の緊急事態宣言のあと稼働率は20%まで下がり
売り上げが大幅に落ち込んだ。
(脱毛サロン経営 村山さん)
「お客さんが安定しなくて
 どんどん下がっていくという現状が止められない。」
サロンには2つの部屋があるが1つは全く使われていない。
この部屋を貸し出すことで現状を乗り切りたいと考えている。
(脱毛サロン経営 村山さん)
「うちが脱毛なのでそれ以外の業種
 ネイルとかまつ毛とか
 違う方が入ってもらうことでお互い相乗効果でお客さんを一緒に回し合う。」
家具のショールームを貸し出すところも。
展示する家具も使ってもらい
小売店やリモートワークなどの利用を想定している。
感染の影響で困っている人を支援したいと考えている。
(家具店経営 深澤さん)
「いま新しく自分でお店をやろうと思うのがちょっと勇気がいる時代かな。
 そのすき間を使ってもらうことが出来れば
 場所も有効活用できる。」
個人間で広がるシェアリング。
専門家はこうした動きを歓迎する一方で
個人でのやりとりが中心のため注意が必要だと指摘している。
(「シェアリングエコノミー協会」代表理事 重松さん)
「場所を借りた場合に
 ちょっとしたミスで家具を壊したとか
 そういったトラブルが出ていると思っている。
 仲介業者の中には保険のサービスを具備している会社が多くあるので
 保険でカバーをするといった形でサービスを使ってもらえれば。」



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利用者急増!音声SNS

2021-04-05 07:09:27 | 報道/ニュース

2021年3月15日 NHKBS1「国際報道2020」


感染拡大で外出の自粛が求められるなか
日本でもこの1か月余で急速に利用者を増やしているのがクラブハウス(Clubuhouse)である。
このアプリは去年アメリカで生まれた。

「クラブハウスは新しいアプリよ。
 本当にスゴイわ!」
誰もがクラブハウスを話題にする。
「音声のみのソーシャルメディアです。
 映像も文章もありません。」
ソーシャルメディアは写真や話題を共有しながらネットワークを作りビジネスを確立してきた。
「ニコールです。
 アーティスト名はブリンク。」
ニコールさんはインスタグラムはTikTokの映像加工技術を開発。
クラブハウスで売り込んでいる。
「フェイスブックの友だちグループやツイッターのフォロワーと違って
 クラブハウスなら企業のトップや各分野の先駆者から直接話が聞けます。」
クラブハウスには不動産業界の大物や芸能人などが参加しているが
ユーザーは有名人だけではない。
デザイン会社を経営するブラウンさんはビジネスの拡大や人への支援に使っている。
「質問にはなるべくたくさん答えます。
 私の話やアドバイスはルームにいる人たちみんなにすぐに役立ててもらえます。」
映像作家でコミュニティー活動家のモーリスさんは
クラブハウスで最大規模の映画と娯楽のクラブを起ち上げた。
「クラブハウスだからこそ思いが伝わって
 黒人クリエイターのコミュニティを作ることが出来ました。」

クラブハウスの中には話題ごとに“ルーム”と呼ばれる部屋がある。
部屋を選んで入ると
その話題について話している人たちの会話を聞くことが出来る。
さらに
挙手ボタンを押して
話し手から指名されれば会話に参加することもできる。
クラブハウスはいま有名人や起業家と交流するだけでなく
国際情勢や政治問題などを議論する場にもなっている。
(ITジャーナリスト 三上洋さん)
「いまはインターネットのサービスは様々ある。
 可処分時間の取り合い競争である。
 24時間過ごしているなかで
 スマートフォン パソコン テレビなど見る時間の奪い合いである。
 激しい競争だがしかしながらここで1つだけ空いているものがある。
 それは耳。
 クラブハウスは仕事をしながら
 あるいはお風呂に入りながら
 ラフにコミュニケーションできる。
 そこがメリットなので流行っている。
 アメリカではIT関係の経営者が多い。
 スペースXで有名なイーロン・マスク氏が
 ビジネスや将来をクラブハウスで部屋を起てて話をしている。
 クラブハウスは5~8,000人が1部屋で聞ける上限なので
 すぐにいっぱいになってしまう。
 このようにビジネスの最先端にいる人たちが
 自分の経験・今後のビジネスの話をする。
 それをIT関係者が聞く。」

軍によるクーデター以降 大規模な抗議活動が続くミャンマー。
ここでもクラブハウスが使われている。
ヤンゴンでコンサルティング会社を営む後藤さん。
クーデターの起きた2月1日
クラブハウスの中に部屋を起ち上げ
現地で暮らす日本人と抗議活動や治安部隊の動きなどについて情報交換をしている。
(後藤さん)
「3月27日に国軍記念日があり
 そこに向けてより鎮圧の動きが広がる。
 ますます暴力的な行為が見られるということが強く懸念される状況かと思います。」
後藤さんの部屋には日本からもミャンマー情勢に関心のある人が参加し
毎回100人以上が集まる。
(ITジャーナリスト 三上洋さん)
「日本ではクラブハウスのブームとミャンマーの軍事クーデターのタイミングが合った。
 ミャンマーにいる日本人が
 ミャンマー特にヤンゴンの状況を逐一伝えてくれた。
 この情報をみんな聞いていて注目している。
 “ミャンマーの最新の状況”というタイトルで部屋を起てて
 その中で話をする。
 1つの居場所を共有している。
 単なる情報交換ではなく安心感や安否確認にもなる。
 心理的な効果が大きい。」
クラブハウスでは会話の録音が禁止され
民主化や人権問題など
政治的に微妙な問題も活発に議論されている。
インターネット上の言論が規制される中国では使うことが出来ない。
(ITジャーナリスト 三上洋さん)
「中国は1月下旬の最初のころは問題なく使えていた。
 “ウイグルについて話す部屋”が起っていた。
 その中で中国人がずいぶん話していたという報道はある。
 1月末に中国政府がクラブハウスを遮断した。
 天安門事件を話をする部屋があるということで完全に遮断。
 中国側はクラブハウスで自由にコミュニケーションできてしまうことを
 政府は危惧している。」
さまざまな可能性が広がる音声のソーシャルメディアにはIT企業が次々に参入している。
三上さんは
今後ビジネスモデルが確立し話し手が収入を得る仕組みができるかもしれないという。
(ITジャーナリスト 三上洋さん)
「クラブハウスは雑談で人間性が如実に出る。
 違う側面を見て面白いという
 ラフな人間の本当の姿が見れるところが面白い。 
 仕事や地域の活動につながるところが面白い。
 今後クラブハウスなどの双方向のものが人気になっていく。」

 

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空へ

2021-04-04 07:33:57 | 編集手帳

2021年3月14日 読売新聞「編集手帳」


 あはれ花びらながれ
をみなごに花びらながれ…
と始まるのは、
昭和の詩人、
三好達治の名作「甃(いし)のうへ」。
実際はお寺の景なのだが、
花と〈をみなご〉から、
桜咲く頃、
姿の卒業生が語らい歩む謝恩会を連想してしまう.

慮外(りょがい)のコロナのせいで、
謝恩会もままならない春である。
大学に限らず、
師と教え子がなごやかなひと時を過ごせないのは、
互いに残念なことに違いない。

学恩、
師恩の恩は「因」と「心」からなる。
このうち「因」は、白川静著「字統」によると、
四角い敷物に人がした文字だとか。
そう聞くと、
恩の中に、
大の字に寝る人の姿が見えてくる。
思い出される歌もある。

遠くは明治の石川啄木
不来方(こずかた)のお城の草に寝ころびて
  空に吸はれし
 十五の心〉。
近くは忌野清志郎さんが歌った「トランジスタ・ラジオ」。
授業をさぼり
〈寝ころんでたのさ 
 屋上で〉。
内ポケットのラジオから、
音楽が空へと溶けていく。

歌のごとくの子どもらの青春を、
「心」で支えた先生は今もいるはずだ。
きっと思いは伝わっている。
いつの日か、
言えなかったありがとうが空に響くこともあるだろう。

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アナログ時代の「音楽の宝石箱」

2021-04-03 19:14:07 | 編集手帳

2021年3月13日 読売新聞「編集手帳」


 【カセット】という外来語は、
カセットテープの普及とともに世に広がったらしい。
フランス語では宝石箱を意味することが多い。

オランダ・フィリップス社の技術者として、
カセットテープを開発したルー・オッテンスさんという男性が94歳で亡くなった。
世界各国のメディアが取り上げたのは、
多くの人に「音楽の宝石箱」の思い出があるからだろう。

少年のころ、
1曲ずつレコードを回しては止め録音したのを思い出す。
気を抜くとテープが絡まってもじゃもじゃになったり…。
瞬時にダウンロードできる今とはちがって手間と時間を要したが、
その分、
できあがった自分だけの宝石箱に愛着を持った。

と、
アナログ時代を懐かしむついでに思い出したことがある。
カセットテープ全盛時の面影を引きずる語句に、
2年ほど前に接した。
ある芸能事務所でタレントの闇営業問題が発覚し、
話し合いの席で社長がこう発言したという。
「お前ら、テープ回してないやろな」

録音装置がデジタルに変わっても、
「テープを回す」という言い方だけはしぶとく残っている。
宝石箱はすっかり見かけなくなったけれど。


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インドネシア 大震災の教訓を生かして

2021-04-02 07:05:39 | 報道/ニュース

2021年3月11日 NHKBS1「国際報道2021」


東日本大震災の発生から10年。
震災からの復興の教訓はいまインドネシアで生かされている。
インドネシアのスラウェシ島では
2018年に起きた地震と津波で大きな被害を受け
4,000人以上が犠牲になった。
復興が進みつつあるなかで尊重されているのは住民たちの声だった。

インドネシアの中部スラウェシ州の州都パル。
一昨年から高台などに地震で被災した人たち向けの住宅が建設され復興が進みつつある。
(被災者)
「1月に移ってきました。
 住み心地は良いです。」
2018年9月
スラウェシ島を襲ったマグニチュード7.5の地震。
津波に加え広範囲で起きた液状化によって建物などが土砂に埋まり
4,000人以上が犠牲になるなど
甚大な被害が出た。
復興にあたりインドネシア政府が国際社会で唯一支援を要請したのが日本だった。
日本が現地で力を入れてきたのが
東日本大震災の被災地と同じ手法を使ったインフラの復興である。
その1つが堤防の機能を兼ねた かさ上げ道路の建設である。
パルでも沿岸の道路を今後2~3mかさ上げする予定で
インドネシアでは初めての試みだと言われている。
当初から復興に携わってきた JICAインドネシア事務所の高樋さん。
復興計画の中で重要視してきたのが住民の安全な場所への移転だった。
移転の対象地域となる津波や液状化のリスクの高いエリアをどこまで設定するか。
日本の専門家や技術者が調査団を組み
地形データなどを基に細かく調べた。
当初インドネシアからは沿岸部の広範囲を居住禁止区域とする案が示された。
これに対し日本側は
調査結果を基に禁止区域をもっと狭められると提言した。
日本が支援する復興計画のもとになっているのが
より良い復興(Build Back Better)という考え方である。
住民たちの意向を最大限に尊重しながら
災害に強い街や社会を目指す。
(JICAインドネシア事務さん)
「ビルド・バック・ベターとは
 災害発生の際に前の状況に直しただけでは同じような災害を防ぐことができない。
 最も注意した点は復興計画が地元住民に受け入れられるものであること。
 その点に留意して協力した。」
移転をめぐり課題となっているのが住民の意向である。
居住禁止区域からの移転を拒む住民に意義を理解してもらえないのである。
パルでは移転の対象となっているのは約6,600人だが
漁業者を中心に“海から離れたくない”という人が少なくない。
(居住禁止区域に住む男性)
「家族が漁師で
 この辺で仕事をしているので移転したくない。
 海から遠すぎる。」
パルの市役所で復興事業を担当するムンジールさん。
移転を拒む人の対応に頭を悩ませている。
(パル市 復興担当職員 ムンジールさん)
「安全な場所に移ろうとする人が少ないことが課題だ。
 移転を拒めば再び悲劇に見舞われてしまうかもしれないのに。」
こうしたなか
パルに支援の手を差し伸べたのが岩手県釜石市だった。
2年ほど前からJICAを通じパルの復興計画への助言を求められてきた。
釜石市で復興事業を担う金野さん。
釜石では住民の意見を尊重しながら高台移転を進めてきた。
市が開いた説明会はこれまで実に178回。
地域を声を1つ1つ丁寧に拾い上げ議論を積み重ねてきた。
(釜石市 復興推進本部 金野副主幹)
「意見や質問を頂戴してそれを計画に反映させる。
 それを繰り返し行ってきた結果
 今のまちづくりにつながっている。」
その経験を参考にしてもらおうと
金野さんは2019年インドネシアを訪問しノウハウを伝えた。
住民説明会の回数を伝えると
関係者からは驚きの声が上がったという。
その後 今度はムンジールさんが釜石市を訪れた。
そのときムンジールさんは
粘り強く話し合いを重ねることの大切さを学んだという。
(パル市 復興担当職員 ムンジールさん)
「合意形成は1回や2回の会合では構築できず繰り返しやらなければならない。
 日本ではそれを実行していた。」
今年1月 
ムンシールさんはオンラインセミナーで
金野さんに住民たちとの対話が思うようにできていない現状を打ち明けた。
(ムンジールさん)
「住民との対話を何回やっても関心がない。
 住民に意欲を持ってもらうためにどうしたらいいのか。」
これに対し金野さんは
住民たちが参加しやすい説明会の進め方をアドバイスした。
(釜石市職員 金野さん)
「説明は長くしない。
 必ず1時間以内で
 その後は1時間程度 住民の意見を聞く場を。
 遠い先を見据え
 ゆっくりでもいいから歩みを止めないことが重要。」
この日 ムンジールさんは移転を拒否する住民を訪ねた。
(ムンジールさん)
「ここは危ないところなのになぜ住み続けたいの?」
(住民)
「次に災害が起きるのは何百年も先だよ。」
「今の家と土地を手放したくない。
 移転先に行くのが不安。」
この夫婦は津波への警戒感の低さと自宅を没収されるのではないかという不安から
移転を拒んでいた。
(ムンジールさん)
「パルは100年で3回も津波が来ている。
 危険な地域に住んでいるなら安全な地域に移った方がいい。
 新しい家に移ったからといってこの自宅が没収されるわけではない。」
ムンジールさんは
釜石市のようにこれからも粘り強く説明を続けたいと考えている。
大きな災害に襲われてきた日本とインドネシア。
経験を共有しながら
“より良い復興”という共通の目標に向かって連携を深めている。
(パル市 復興担当職員 ムンジール)
「元に戻す=Build Back ステージから
 より良くする=Better に移りつつある。
 私たちは build Back Better を成し遂げなければならない。
 災害はいつ起きてもおかしくない。
 犠牲者や財産への被害を最小限に食い止めるのは人間の責任だ。」

 

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温かくつなぐもの

2021-04-01 07:12:28 | 編集手帳

2021年3月11日 読売新聞「編集手帳」


おとといの夕食は?と聞かれ、
即答できる人はそうはいまい。
人間は出来事の大半を1日のうちに忘れてしまうという。
平穏な日々の何げないことほど、
きれいに忘れるものだろう。

宮城県亘理町の高橋ひろみさん(56)は携帯電話を長女のひな乃ちゃんに渡し、
遊ばせていたことを長く忘れていた。
約10年を経て思いだし捜して見つけだすと、
5歳の娘が打ったたどたどしいメッセージがメール画面にいくつも残っていた。

「ままだいすき」に始まり、
「おはなばたけであそぼうね」といったお誘い。
「あさごはんわめだまやきでおねがいします」というお願いもあった。

ひな乃ちゃんは幼稚園の送迎バスが津波にのまれ園児7人とともに亡くなった。
<口を出てまだあたたかきことばかな>(山口優夢)。
どれほど遠く離れた場所にいようと、
電源が入っていようとなかろうと、
母と娘を温かくつなぐ携帯電話が忘却のなかに埋まっていた。

「天国で会ったときに『楽しかったよ』と言えるよう精いっぱい生きていく」とひろみさんは話す。
そのことばは返信ボタンを押さずとも、
ひな乃ちゃんに届いているだろう。

 

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