今日で東北地震からまる12年になります。
地震の当時のことが東北以外の人びとの脳裏から風化しないように、あらためて当時を思い起こしたいところです。
さて、トルコという国は親日国として知られています。
1890年にトルコの船エルトゥールル号が本国に帰還する途中で、台風に遭遇し和歌山県沖で座礁し沈没しました。
地元の串本の人びとは、誰から言われることなく、海に投げ出されたトルコの人たちの救助にあたり、不眠不休で看病し、食事や休息を提供しました。
しばらく滞在したトルコ人は帰国するとき、串本の人びとに深く、深く感謝を伝えました。
そのときの恩をトルコは忘れていませんでした。
1985年にはイラクがトルコから飛行する飛行機はすべて撃ち落とすと宣言して、トルコに日本人が取り残されていました。
まさにその期限にさしかかっていたとき、トルコ機が緊急着陸し日本人216名を成田空港まで送り届けてくれたのでした。
また、12年前の東北地震の際には、約3週間にわたって日本に救助チームを派遣し、捜索活動にも加わってくれたのでした。
外国から派遣された救助チームのなかでも、トルコがいちばん長く滞在しました。
そのトルコがいま大地震に見舞われ、人びとが苦しんでいます。
日本政府は今回、医療チームをトルコに派遣しました。
日本の医療チームは、オーゼリアの学校の敷地内にテントを設営し、総合病院を今運営しています。
現地の被災した医療機関と連携し、診察を続けています。
被災地は医者が不足しています。当初は地震でケガをした人の手当てが業務の中心でしたが、いまは、避難生活の影響で患った風邪や腰痛などの一般の病気の診察も行っています。
トルコの人は初めてマッサージを受けて、痛みが楽になったと笑顔を見せてくれます。
お互いに、相手が困ったときには助け合うという日本-トルコの友好関係は、あまり日本国民全体には浸透していないかもしれませんが、恩を受けた当事者はその恩をけっして忘れはしません。
串本にはトルコ軍艦難船に関する資料館があります。
そちらに行った時に初めて知ったのですが、
地元の人たちの懸命な救助活動だけでなく、帰りの旅費の手配等、日本中から寄付が集まったそうです。
この話は、長らくトルコでは教科書に載っていたそうで多くの方が知っているとか〜
『基本的には、長い人類史において嵐の次の日に海岸に流れ着いたものは拾った人のものになります。[持ち主が判明しないため]そのうち待ってるだけでは面白くないので,難船して困っている船を襲って強奪するようになり,それが海賊の始まりになります』
(江戸期ですら、九州の宗像では偶に有った)
上記が常識の世界において、串本の人たちの取った行動は人道的で称賛されるべきものでした。
戦争が戦争を呼び、憎しみが憎しみを呼ぶ連鎖とは相反するもので素晴らしい事ですね。