みなさんが「学校の授業」と聞いたとき、まず連想されるのは、先生が子どもに「教える」を思いつかれるでしょう。
それは、みなさんの多くが、自身が学校で受けてきた授業という経験を通して、授業というものをイメージされるからです。
数ある世の中の仕事の中でも、それがどういう仕事かをいちばんよく知られているのは、学校の先生という仕事です。
なぜなら、学校は義務教育を受けるなかでみんなが経験しているからです。
学校の先生ほど、世の中で、社会で、その仕事がどんなのかを知られている仕事はないのでないかと、私はいつも考えています。
ところが、いま全国で行われている授業、あるいは教師がめざしている授業は、みなさんがイメージされる授業とは、大きく違ってきています。
そのちがいは、いろいろとあるのですが、今回はその中でも一番特徴的な「思考力を育てる」という点で、説明してみます。
わたしは、平素、学校関係者と授業の専門的な話をすることが多いのですが、その内容は、一般の人たちにはなかなか理解されにくいものです。
そこで、一般の保護者の方や業界外の人びとに「思考力を育てる授業」ということを理解してもらえるような説明をします。
そもそも「思考力が育つ」とはどういうことでしょうか。そのために子どもが「よりよく思考する」を考えてみます。
そもそも「思考力が育つ」とはどういうことでしょうか。そのために子どもが「よりよく思考する」を考えてみます。
「よりよく思考する」とは、「より多くのことがらや条件を取り込んで考えている」ことです。これを別の表現で言うと、「より深く掘り下げて考えている」ことです。
そしてそれは長年をかけて考えたというのではなく、時間をかけすぎてもいけないのです。
つまり、「思考力が育つ」とは、「より短い時間で、より広く、より深く思考して、結果を生み出すことができるようになること」だといえるでしょう。
では、思考力を授業で育てるには、どうすれば効果的なのでしょうか。
それには、まず子どもたちの意欲を高めることです。
つまり、「思考力が育つ」とは、「より短い時間で、より広く、より深く思考して、結果を生み出すことができるようになること」だといえるでしょう。
では、思考力を授業で育てるには、どうすれば効果的なのでしょうか。
それには、まず子どもたちの意欲を高めることです。
授業の中で、課題に対して「解決したい」という意欲をもたせたり、なぜこれを学習するのかという、その子にとっての必然性がいります。その必然性があれば、主体的に学習に向かうことができます。
そのため、たとえば、「スーパーのレジ袋は有料にすべきか」とう子どもの生活に密着した課題を設定するなど工夫がいります。
ただし、思考は頭の中で行われ、外からは見えません。それを知るためには、思考を「見える化」します。
ただし、思考は頭の中で行われ、外からは見えません。それを知るためには、思考を「見える化」します。
「有料化すべきだと思います」→「なぜ、そう思うのですか」
→「なぜなら理由が2つあります。一つは、プラスチックごみを減らすためです。二つ目は、レジ袋が本当に必要かを考えることになり、生活の仕方を見直すことになるからです」
「私はプラスチックごみを減らすことないはならないと思います。なぜなら多くの人はレジ袋を、ごみ袋などに再利用しています。レジ袋は丈夫で口をしばることができ、臭いを閉じ込めることもできます。
うちの家では生ごみの袋にしていますし、犬の散歩のとき、フン入れにも使っています。こんな便利な袋が無料で手に入らなくなれば、持ち手のあるゴミ袋を新しく買うようになります。」
授業では、これらの考えをチャートにして黒板に表します。
そうすると、多くの子どもが思考のパターンを学ぶことができます。
そうすると、多くの子どもが思考のパターンを学ぶことができます。
たとえば、
「主張は~である。その根拠は~である」
「反対である。その根拠に反対だから」
「共通するのは~である」
このようにすることで、どう考えればいいかわからず「思考停止」に陥っている子に考え方の道案内をすることにもなります。
また、見える化によって、思考の交流や共有もしやすくなります。
この見える化は、小中学校では先生が行う場合が多いのです。
この点で、授業では先生は「教える」という役割よりも、子どもに気づきを生み出し、よりよく思考する学びへ導く「促進役」の役割になるのです。
授業では、基礎基本となる知識や技能は、もちろん教師が「教える」ことになります。
でも、「教える」ことにとどまらず、子どもが「学ぶ」ことへ導いていくのが、授業者としての役割なのです。
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