「学問の要(かなめ)は活用にあるのみ。
活用なき学問は無学に等し」
福沢諭吉は、『学問のすすめ』の中で、こう言いました。
この人が生きたのは、1835年から1901年でしたので、日露戦争前には亡くなったのです。
江戸時代、明治時代を生きて、明治時代になってから『学問のすすめ』を著しました。
今の時代の学力観では、身につけた知識・技能を活用して思考し、判断し、表現する学力が求められています。
学校の授業も、その学力観で組み立てられ、全国で実践されています。
いわゆる「主体的で対話的で深い学びの授業」です。
(関連した内容として、昨日のブログをみてください。→
もちろん児童生徒がたくさんの知識・技能を身につけていることも大切にはしますが、それを活用できる必要があるのです。
今の時代に、正解のない課題や問題に対して自分なりの答を導き出すために知識・技能を活用することが求められます。
日本がこの学力観に至るまでには、知識詰め込み暗記型の学習が、高校入試、大学入試の学力として幅をきかせていたのが、50年前ほどからでした。
熾烈な偏差値受験競争の時代がありました。
たとえば、一昔前の社会(歴史)のテストには年号を問う問題がありました。
「鎌倉幕府は何年に開かれましたか」→「1192年です」
今もこのような暗記(知識)を問う問題は皆無ではないですが、ほとんど出題されません。
かわりに、「源頼朝が鎌倉の地に幕府を開き、朝廷と幕府の関係はどう変わっていったのか」という出題になります。
この問いに対する答を、資料や史料を解釈して、根拠を明確にして自分の考えを書き表します。その際に基礎となるのは、身につけた知識です。
知識は活用してこそ、生きた学習になります。
なお、学力論をいうとき、「応用」と「活用」は違うものとしてとらえています。
だから、「応用問題」と「活用問題」もちがいます。
すでに得ている知識や技能を他の分野にあてはめて利用する問題が応用問題です。
習得した知識や技能、考え方を効果的に利用することをみる問題が活用問題です。
ともあれ、学問のこの本質を150年も前から見抜いていたのが、福沢諭吉です。
私は、その先見性と洞察力の深さに感心します。
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