一昨日は、終戦記念日でした。
戦争体験者が少なくなり、体験の風化が叫ばれます。
でも、体験を引き継いで受けていくのは、いまを生きている人です。
被爆者であろうがなかろうが、戦争体験者であろうが、なかろうが、平和について一人ひとりが考え、自分ができることをする。
戦争体験の継承は、その行動の延長線上にあるのです。
戦争体験者が戦争体験を語るのは、家族に対してだけでないのです。
広島や長崎を平和学習で訪れてくる児童生徒に対して、体験者は話してきました。
二度と戦争を繰り返さないために、次世代はできることは小さなことでもやっていくのです。
何か平和のためにできることをする。
それが学校の平和学習のねらいです。
反省です。
修学旅行での平和学習は、生徒にとってあくまで「きっかけ」だと考えています。ただそのきっかけをもとに、将来さらに戦争のこと、平和のことを考え、行動していく人になればいいと思います。
実際、読谷村で戦争の話を聴いた生徒が、何年か後に新婚旅行で沖縄へ来たとき、「修学旅行で学んだことが忘れられず、やってきました。また話をしてください」と語ってくれた人を訪ねてきたそうです。
ですから、戦争の話は将来につながることもあるという期待をもって、語れるときに語ってくださればいいと思います。
戦争の話、そして、現在の状況を突き詰めて考えると、悲しさや理不尽さ、矛盾を感じることが多く、つい目を背けてしまっているのかもしれません。
機会があれば、私なりに丁寧に話をするようにしたいです。
と、書きながら今日も『対馬丸』のニュースの話題をサラッと流してしまったなぁと思い出し、また反省です。