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前回では、夫婦による共同の子育てが難しいとき、また、親が子ども目線になれないことが、児童虐待を誘発しやすいことに触れました。
さらに、児童虐待が起きる背景には、親自身に自信がないことも関係します。
自信がないので、子どもが思い通りにならないと、子どもから「ばかにされている」、「なめられている」という気持ちになりかねません。
いつ殴られるかわからないのでおびえて、子どもが親の顔色をうかがっていることがあります。
すると、「その目つきは何だ。オレに因縁をつけているのか」と言って怒る例があると報道されている通りです。
この意味で、将来親になる人に対して小中学校時代に、いかに自分への自信を植えつけていくかが問われるのであり、学校の役割もあらためて大切だと、わたしは思います。
学生時代にずっと劣等感を感じてきた人は、大人になると、わが子に「こんな小さいのに、こんな子までバカにするのか」という気持ちが強くなり、手が出ます。
でも、「泣く子どもには勝てませんわ」というように、子育ては子どもに対して親が「負け」を認めることがしょっちゅうです。
そのとき、パートナーから「たいへんだね」「いっしょに育てていこう」という言葉があれば、母親はどれだけ救われた気持ちになるでしょうか。
パートナーだけでなく、頼ることのできる親や親せき、愚痴を聞いたり助けたりしてくれる地域の友だち、職場の同僚や上司がいてくれれば、がんばって育てていこう、という気持ちが生まれます。
子育てをする親の周りに、サポートしてくれる子育て支援ボランティアなどの人間関係が広がっていくことで、親はがんばることができます。
ですから、中学生が学習の一環で子育て体験をすることも、将来のために大いに意味があるのです。
この意味で、将来親になる人に対して小中学校時代に、いかに自分への自信を植えつけていくかが問われるのであり、学校の役割もあらためて大切だと、わたしは思います。
学生時代にずっと劣等感を感じてきた人は、大人になると、わが子に「こんな小さいのに、こんな子までバカにするのか」という気持ちが強くなり、手が出ます。
でも、「泣く子どもには勝てませんわ」というように、子育ては子どもに対して親が「負け」を認めることがしょっちゅうです。
そのとき、パートナーから「たいへんだね」「いっしょに育てていこう」という言葉があれば、母親はどれだけ救われた気持ちになるでしょうか。
パートナーだけでなく、頼ることのできる親や親せき、愚痴を聞いたり助けたりしてくれる地域の友だち、職場の同僚や上司がいてくれれば、がんばって育てていこう、という気持ちが生まれます。
子育てをする親の周りに、サポートしてくれる子育て支援ボランティアなどの人間関係が広がっていくことで、親はがんばることができます。
ですから、中学生が学習の一環で子育て体験をすることも、将来のために大いに意味があるのです。
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